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少し遅くなりましたが、二話目です。
今回は前置きとして三津屋啓の学校での一幕となっています。
あまり話として進んでませんが、この話まで前置きは終わります。
今後怒涛の展開に巻き込まれる啓の運命はいかに――!?
啓の教室では、先ほど葉子が言ったとおり自習の時間になっていた。本来なら、今の時間数学の授業のはずだったが、担当の教師――赴任二年目の清村寿美子(三十一歳独身)が来ておらず、クラスメイト達がそれぞれに談笑などしている。
「ほんとだ。葉子ちゃんの言ったとおりだね」
「でしょう? 今頃、あの行き遅れは彼氏のところじゃないかしら。……必死だこと」
眼鏡を手にとって刺繍入りのハンカチを取り出しては、丹念にレンズの曇りを取りながら葉子は落胆したように答えた。
「えぇ? 寿美子先生、授業放りだしてなにしてんの?」
啓は呆気に取られた様子で振り向く。葉子は想像するまでもないとばかりに、レンズを光にすかすため、何度か眼鏡をかざしていた。
「さぁ? 『行き遅れ』てるんだから今度の彼氏を逃すとやばいんじゃない? まったく。校長の親戚だからといって職権乱用もいいところだわ」
ハァ、とレンズに息を吹きかける葉子。レンズとハンカチがこすれる音が小気味よく鳴っている。
数学の清村寿美子は校長の親戚に当たる。校長は校長で、その寿美子先生を娘のように溺愛していて、この学校にわざわざ勤め換えさせてしまったほどだ。目にいれても痛くない、と、以前に全校集会で公言した時は教師を含め、その場にいた生徒全員に静寂をもたらした。
一方、呆れ顔の葉子は葉子で、親がこの学校の理事長をしている。何気ない仕草やたたずまいからして、いいとこのお嬢様といった風情を持っているのは誰の目にも明らかだろう。校長と理事長は親戚同士でこの学校を経営しているので、つまり、葉子と寿美子先生は縁戚関係にあった。直接の血縁関係はない。と、葉子の談。
これでは何のためにわざわざ魔法まで使って学校に飛んできたのか。
無駄となってしまった行為に対して思わず歯噛みしてしまいそうになる啓を横目に、葉子は大きく声を上げた。
「おまたせしましたー。全員そろったわね?」
教室の入り口にてクラスみんなの注目を集める。
視線の集中に、とっさに歯噛みを殺した啓の前で、葉子は手を方の位置まで上げて、小さく『ハイ』をしたまま教卓の前へと進みだした。教卓の前に着いて息を吸い、上げた手を台におろして静まり返った教室に声を響かせる。
「清村先生は今日はきっと帰ってきません。と、言うわけで、かねてからの学園祭についての案件を、この際、片付けてしまいたいと思います。異論のある人はいませんね? それでは皆さん、会議体勢にすみやかに移行してください」
一息に号令をかけた。途端、全員が一斉にそれまで取っていた行動を取りやめて、椅子を収納して机の上に座りだした。
このクラスでは、ホームルームの時はこうして全員が机の上に乗って会議すると決められている。発案者はクラス委員を務める葉子だ。それなりに進学校でもある向陽高校では暇さえあれば内職をするものが後を絶たないため、それに嘆いた葉子の手によって導入された新しい試みだった。机という『壁』をなくしてその身を一番高いところに置くことで、影でこそこそと何かをしてもすぐにわかる。同時に意識の切り替えを促す。らしい。今のところ不満の声は漏れてはいない。なにせ発案者が理事長の娘だ。不平不満など出るはずもない。だせばそれは縦穴式に理事長に筒抜ける。つまりは内申書と同意語だ。
入学して半年も経たない間に葉子はこの学園の女王になりつつある。理事長の娘という立場を存分に活かしては、一年生であるにも関わらず、今年の学園祭実行委員にも席を置いていた。上級生にも顔が広く、ゆくゆくは生徒会長になることも確定事項だろう。こうして自らの権限を増やしていく。とんだ職権乱用だ。と、啓は思っていた。
それでも葉子は平然とした態度で、
「成績がよければ何の問題もないわ」
そう、以前に胸を張って語ってくれた。
実際、葉子は学年トップの成績を入学当初から独走している。入学式で代表挨拶をしたのも葉子だし、教師に対して意見を通せる生徒も学内では葉子を含めて数名しかいない。
向陽の生徒にとって葉子は強い味方であり、監視者であり。そして、女王だった。
ものの数秒で、全員が机の上への移動を完了する。ある男子は机上に広げていた教科書やノートを開いたまま瞬時に引き出しの奥へと押し込み、またある女子はスカートがはだけるのを覚悟の上で机に飛び乗った。実に訓練された隙のない動きだった。
一同が即座に、机に座るのを見届けた葉子は、今だ教室の入り口に突っ立ったままの、呆気に取られている啓に対して、
「ほら、三津屋さんも席に戻って。学園祭まで、夏休みを除けば二ヶ月もないのだからあまり時間はなくてよ?」
呼びかけられて、慌てて席まで戻る啓。
葉子は学校に居るとき――他の生徒が見ている前では、啓のことを苗字で呼んでいた。啓がいじめられてしまわないようにとの葉子なりの優しさだった。
おおむね座ってしまうと机の表面積すべて使ってしまう。そんな腰掛ける啓を見届けて、葉子は満足気に、あらためてクラス全員を見渡した。本日に欠席者はいない。
振り返って黒板に大きく『学園祭演目 白雪姫』と白いチョークで書き記す。再度、教室の中央へ振り返って葉子は高らかに口火を切る。
「では、以前のホームルームの時に決定したとおり、私達のクラスは演劇にて、白雪姫を行います。今日はその配役を決めます」
宣言と宣告をおりまぜて、葉子はあらかじめ教卓に用意していたプリントの束を手に取った。同時に、副委員の襟島一美を呼び寄せる。
「襟島君。これを、廊下側の列から回して。それと黒板に決定内容を書いてもらって、よろしい?」
呼ばれた襟島は無言で黒板の前に歩いていく。啓の横を過ぎていった。物静かな印象が際立つ襟島は、言葉を発しているところを啓はあまり見たことがない。その大人しさゆえに副委員にされてしまうほどだ。さらに言うと意思も弱そうで、こういった面倒ごとを、断ろうともせずに、いつも黙々と引き受けては着々こなしていっている。野心を持って委員になっている葉子とはまるで対極の生徒だ。
そんな葉子から束を受け取ると、一美は人数分に分割していく。体躯の割りに長い指のが特徴的な男子だ。
襟島一美はこう見えても男。啓よりも身長の低いこの男子は、柔らかそうな髪とその名前からよく女の子に間違われる。体つきもまだまだ華奢で、啓が隣に並ぶと控えめにみても総合的に、悲しいことに一周りは大きい。葉子と二人並んでクラス委員の仕事をする様子などは傍から見れば姉と弟――いや、姉と妹いったほうがいいかもしれない。長く細い指が、今もプリントをより分けては、控えめな態度で最前列に置いて回っている。
配り終えて黒板に向かっていく一美の後ろ姿を、啓はなんとなく見つめていた。今は白雪姫の配役を黒板に書き写そうと、かかとを浮かせている。チョークを持ち、手を伸ばしてもまだ、黒板の上のほうには届いていなかった。
背伸びした状態で、足先を震わせながら書く字はとても不安定で、書きはじめと終わりが斜めになっていく一美。踏み台を使わないのは彼の『男』としてのプライドがそうさせている、のだろうか。そんな、懸命に黒板に向かうその後ろ姿は、男子の制服を着ていなければ、なおさら女の子と錯覚してしまいそうで、思わず啓にため息をつかせている。
一美君はあんなにも女の子っぽいのに、自分はどうしてだ。
この年頃の女子は成長が男子よりも早いと保険体育の授業で聞いたことはあるが、それにしても女らしさがない。と常々、思う。胸周りだけは、あるいは国内の平均を上まわっているかも知れないが、全身をくまなく見ても『大人の女性』には程遠い気がする。発達した太ももは体重を支えるために肥大化しているし、手は握ると拳ダコがうっすら見える。力こぶだって作れてしまう。おまけに制服で隠れている所には青あざもかなり。もはやアスリートに近かった。唯一、平均を上回っている胸も、もはや胸囲と言ってしまったほうが良いのかもしれない。
将来の自分を思うと、それはむしろ脅威だった。それもこれも、魔法少女なんてやっているせい。
今もって黒板に向かって格闘する一美――十六歳(あくまでも男)を見つめながら、啓のため息は深くなっていく一方だった。
ふとして書き終えたのか、チョークを置いてこちらを振り向いた一美と不意に目が合う。啓はさっと目をそらす。名前を呼ばれた。
「――三津屋さん。ねぇ聞いてる?」
それは葉子の声だった。深く考え事をしていたせいで、葉子の声に反応していなかったらしい。けげんそうな顔で声をかけてくる葉子。
「あ、ごめんごめん。なんだっけ葉子ちゃん」
われに返って、啓は聞き逃した内容を確認する。
葉子は少しだけ呆れ顔になったがすぐにいつもの笑顔に戻ると、プリントを示しながら、
「これで全員の役決めが終わったんだけど、王子役をよろしくねって、そう言ったのよ三津屋さん」
今度は確実に啓の耳に届くようにと、王子の部分を強調するように、はっきりと――そう宣誓した。
一瞬、何のことだかわからない啓は、先ほどまで、ふとして、背の低い一美が一生懸命書いていた黒板に視野を広げる。そこには歪みながらも大きな字で確かに、『王子役:三津屋啓』と書かれてあった。
「えぇぇぇっっっっ!」
大きく悲鳴を上げると共にちょうど終業合図の鐘が鳴りはじめた。
何もわかっていない啓をよそに、葉子は、それでは学園祭がんばりましょう。などと突き放した口調でホームルームを打ち切ってしまった。
結局。その後、休み時間になっても放課後になっても、啓の必死の懇願――配役の変更は葉子には受け入れてもらえなかった。
夜になってビルの屋上で思い返す。
戦いの前の、このわずかな時間は啓にとって今日一日を振り返るための貴重な時間となってしまった。
葉子は一番大変な役どころを啓に与えることで、クラス内の団結力と引き換えにしたらしい。
「この前のの創立祭、途中で抜け出したでしょう? あの時の罰よ」
下校時刻。教室で去り際に葉子は笑いながら、さらりと悪びれもせずに理由を言ったのだった。忙しい彼女は放課後も部活動、文化際関係、その他教職員からの雑務等、いつも何かしらの案件を抱えている。このところ、一緒に帰ることも少なくなった。
啓も、入学以来、魔法少女の仕事のほかに華王飯店でのアルバイトも平行して行うようになっていたため、少なからず二人の距離は昔より離れてしまっている。そんな寂しさを感じてはいるが、お互いに大人になっていると思うことで納得していた。昔の私とは違う。魔法少女の秘密を抱えて、もう二年になる。小さなイライラなら、このあとの戦いにぶつけていればいい。
啓はこうしてまた、夜を日常と化した魔法少女に戻っていく。先日、立っていた、あの見晴らしの利くビルの屋上で、今日もあの空間を見張る。今日もあれは出る……らしい。
まだいくらか出現時間には間があるはずだったので、沈黙したまま、今日これまでの出来事を振り返りつつ、文化祭で演じることになった役について考えることにする。大事な役どころだ。まだ台本は見せてもらっていないが男役。よりにもよって男役。確かに白雪姫を演ずるにはちょっとだけ背が高いかもしれない。骨格もほんのちょっとだけ骨太で、男役のほうが向いているかもしれない。ほんのちょっとのセリフしかないとは言え、王子なんて……。つまり、その、このままなら、キ、キ……、キスシーンが……。
深いため息をつこうとした時、大げさに魔法少女用にデコレーションされたヘッドセットの向こうから、京が語りかけてきた。
「おやおやぁ? 今日はちょっと暗いんじゃないかい? なんかあったの?」
「関係ないでしょ」
啓は、まるで心配していない呼びかけに、一言で即答。気持ちを切り替えようとした。決して京がこっちの顔を見ていることはなかったはずだが、なぜか悟られていたことに、内心驚く。
「わかるさ、もう二年の付き合いだしね」
啓のあしらいを無視するように続ける京の声は、こちらの考えていることがお見通しとでも言いたげだった。
ヘッドセットの向こうではきっとニヘら笑いを浮かべているだろう。空気の読めない割りに勘のいい男だと啓は思っている。
「なに? いつからオブザーバーは個人のプライベートまで口出しするようになったの?」
十以上離れた歳上の男性に、その言い方はどうかと葉子が知ったら突っ込まれてしまいそうだが、そもそも啓にとっては、京はこの世界に入る原因を持ってきた男だ。二年も続けているうちに、彼への対応はこれで十分と算段をつけている。
京は京で、そうした対応を気にもしていないのか、常に減らず口を絶やすことはない。
「気になるじゃないか。十六歳思春期真っ只中の『女子高生の秘密』――なんて気にならない大人がいると思うかい?」
わざとらしく粗い鼻息をしてみせる京に、血の気が遠ざかった。意識して大きく息を吸うことで、つい怒鳴りそうになる気持ちを何とか落ち着かせた。
「……ロリコンね。あんたが二年前に、私に声かけてきた理由がわかった気がするわ。すべてが終わったらセクハラで賠償させてあげる」
筋が浮き出そうになる表情を殺して平静を装う。
「ひどいなぁ。裁判で勝つことは確定してるの? これでもムードを作ってあげたのに。きっとカルシウムが足りないんだね。あれほどカルシウムは大事だっていつも言ってるじゃないか」
「大きなお世話よ。これ以上、身長が伸びるなんて考えたくもないわ。今でさえ十分すぎるほどだってのに。あんた、私が学校で何番目に大きいかしってる? 全学年中で四番目よ。ありえないわ」
「見た目の身長と違って意外と小さいことを気にしてるんだね。今時、背の高い女性なんてたくさんいるさ。君の身長が高いからといってイジメでも受けたの? 時代錯誤もいいとこだ。それとも君は女の子は背が低くあるべきなんて考え方の持ち主だったかな? それこそ時代錯誤で差別的だ。もしそうならこれからの付き合いを考え直さなくちゃいけないね。だいたい――」
べらべらとまくし立ててくる京に、怒りを通り越してあきれてしまいそうになる啓は、この男と真剣に向き合うだけ馬鹿らしく思えて、ついには脳の奥から排除する決意をした。
遠目には、街の様子に変わったところはない。見渡す限り、平常運転しているようだ。
「――だからカルシウムが……ってこれは耳にタコか」
長い独り言――向こうはそう思ってないのだろうが、相手が黙するまで待って、つぐんでいた口を啓はようやく開いた。
「話は済んだかしら」
沈黙がヘッドセットを往来した。
先に口を開いたのは京だった。
「少しは肩の力が抜けた? ほら、もうじき時間が来るよ。そこから何かみえない?」
時刻を問われて視界をビル群へと向けた啓。見ると一点が停電したように暗くなりだしている。衣装の一部――備え付けのグローブをぎゅっと締めなおした。すっかりいつもの自分に戻っていた。京の減らず口も少しだけ役に立ったのだろう。
「見えたわ。今夜はあそこね」
目線を外さずに確認をとる。京のほうでも同じ現象をキャッチしているだろう。
「確かに見えたよ。今夜は五丁目だね。あと数分で飲み込まれるだろうね。いつもみたいによろしく頼むよ」
不定期に出現する、眼前の空間を見つめて。もう間もなく異空間は完成するだろう。広がっていくその闇は、そこら中の光という光を吸収して増殖していっている。
すこしだけ考え込むようにして啓は呟いた。
「それ。いつも機械で反応チェックしてるみたいだけど、もうちょっと何とかならないの?」
すっかりいつものペースに落ち着いたことで新たな疑問が浮かんだ。
「ん。なにが?」
あれだけしゃべり倒していたのに話し疲れもまったく感じさせずに京。啓は、おそらくは京の前に広がっているだろうモニターを思い出して、
「その、あなたが覗いてる探知機よ。もうちょっと詳しく解れば、事前に対処できるんじゃないかと思って。いつも行き当たりばったりじゃない。こうしてビルの上から見るの、今はいいけど冬はつらいのよね」
啓にとって去年の冬など、短いスカートのままの魔法衣装ではさすがに堪えたものだった。離れた場所で、室内にいる京にはわからないでしょ。そういった意味合いを込めて啓は要求する。
しばしの沈黙を経て、京は思っていたより真面目な口調で答えた。
「そうはいってもね、性質上、時間の特定が精一杯だね」
前置きした上で、思いだしたように付け加えてきた。
「それでも対策を立ててないわけじゃないよ。つい最近、協会から新兵器――というか小道具だな。それも届いたし。……まだ試すには躊躇してるんだけど、うまくいけば啓ちゃんの負担も少しは軽くなるかもしれない。もちろん使わないでいいなら、使わないほうがいいさ。啓ちゃんならそんな必要もないと思うしね」
「本当? そんなものがあるならさっさ出してほしかったわ」
啓は、その言葉を聞いて思わず瞳孔が開いて身を乗り出しそうになった。乗り出したとしても、目の前には誰もいないが。
これまでそういった要求――提案を幾度かにわたってしてきたが、ことごとく却下。あるいは実現不可能という回答をもらっていた啓にとってはこれほどの驚きはなかった。
「おしえなさいよ。なんなの? 新兵器って」
「とっておきだからねー。チャンスが来るまで秘密さ」
京は人差し指で口に「内緒のポーズ」を作る。いずれ見せてあげる。と、かわいらしく付け加えた。
「うぇぇ」
見えないが、その様子を壮大に想像できた啓は、吐きたくなる気持ちに必死で耐える。
やっとの思いで、口を拭い、風になびくスカートに手を入れ、学校に飛んだときに使ったクッキーを取り出した。
けっして口に何かを入れることで、その沸き上がる吐き気を忘れようとしたわけではない。五丁目にドーム状の強大な異空間が完成していたからだ。
「時間よ」
話に終止符を打たせて、啓はクッキーを口に入れた。飲み込むと同時、
「五丁目・コンビニ前」
はっきりとそう言った啓は虹色の光に包まれてビルの上から消え去った。
前回は金曜日。今回は日曜日。
少し遅れてしまいましたが週間UPを目指しています。
金曜~日曜にかけてチェックしていただける大変うれしいです。
では次回。
ついに魔法少女としてバトルへ突入、敵はなんなのかその目的は?
今後さらに加速する展開に、啓の体重も右肩上がり――!?