『星より遠く、相棒より近く』逃亡編
『星より遠く、相棒より近く』完全版のラストの、直後の物語です。宇宙へ旅立った千春とクロードに、休む間もなく追っ手が迫ります。前半は笑いながら、後半は少し切なく。前作を読んでいない方も、掛け合いを楽しんでいただけます。
「なあ、クロード」
「なんだ」
「さっきの『知らんがな』、いつもより切れ味がなかったぞ」
「気のせいだ」
「いや、確実に鈍ってる。ほら、もう一回言ってみろ」
「知らんがな」
「……ほらな。キレがねえよ」
「お前こそ、逃走しながら採点するなよ」
先頭を走る24T2が、振り返らずに言った。
『お二人とも、口より足を動かしてください。迎撃ドローン群接近。到着まで四分二十秒……逃走計画を提案します』
◇
三人は崩落寸前の断崖を走った。
背後から迎撃ドローンが迫る。足場が崩れ、熱風が吹き上がり、地底のマグマが吠える。
そして、傷だらけの鳥が敵を引き付けながら空を駆けていた。
『囮行動継続中』
通信が届く。千春は笑った。
「鳥のことなら心配ない」
クロードと24T2が振り向く。
「俺たちの相棒だ」と少し誇らしげに言う。「帰ったらあだ名でも考えようぜ」
『試験機A-01です』と24T2が即答する。
『そんな余裕なんかありませんよ。あと四分で排除されます』
千春は笑った。クロードも、ほんの少しだけ笑った気配がした。
荒れた岩場を駆ける、四つの影。先頭に犬型の24T2。続いて千春とクロード。頭上には、傷だらけの鳥型ドローン、A-01が舞っている。
その時だった。
空が、白く裂け、爆光と轟音。
遅れて、衝撃波。
千春の身体が、紙屑のように宙を舞った。
地面に叩きつけられ、土を噛みながら顔を上げる。さっきまで走っていた道の十メートル先が、丸ごと消えていた。
黒煙。焼けた土の匂い。
「……今のは何だ」
「高空から撃ち込まれたミサイルだ」
クロードの声から、いつもの軽さが消えていた。
「追いつくまで四分、じゃなかったのか」
『計算を修正します』24T2が言った。
『すみません。先ほどの見積もりは、敵が全力を出さない前提でした』
「つまり敵は全力、出してきたってわけか」
『はい。かなりマズい展開です』
誰も、冗談を言う余裕は、なくなっていた。
◇
連続的な衝撃波と爆発音が、敵の本気を物語っていた。
走って、走って、走った。
頭上を、監視衛星の赤い光が這う。地表すれすれを、迎撃ドローン群が掠めていく。そのたびに爆風が背中を激しく叩き、千春は何度も転がった。
最初に口数が減ったのは、千春だった。
次に、クロードが黙った。
それでも24T2だけは、進路を告げ続けていた。
『右、岩陰。左、熱源三つ。……前方に、旧道のトンネルを確認。あそこなら、上空からの攻撃を避けられます』
「行くぞ」
クロードの短い声に、千春は頷いた。息が上がって、返事もできなかった。
薄暗いコンクリートの出入り口が見える。五十メートル。三十。十。
飛び込もうとした、その瞬間だった。
誘導弾が、トンネルの天井を撃ち抜いた。
岩盤ごと崩れ、一瞬で瓦礫に埋まった。
さらに、敵ドローンの低い唸りが、ぐるりと周囲を取り囲んでいる。赤い照準の光が、千春の胸にも、クロードの額にも、24T2の背中にも、無数に灯っていた。
「……囲まれたな」
千春の呟きに、誰も答えなかった。
いつもなら「知らんがな」と返すはずのクロードも、何も言わなかった。
その時、頭上の鳥が動いた。
A-01が、敵の注意を引くように、ドローン群の真ん中へ飛び込んでいく。
「やめろ、A-01! 戻れ!」
小さな翼が、光の中を舞った。一度。二度。敵の弾道を、紙一重でかわす。
三度目。
青白い閃光が、鳥を貫いた。
翼が折れる。小さな身体が、きりもみしながら瓦礫の上へ落ちた。
それきり、動かなかった。
千春は、声が出なかった。
「千春。行くぞ」
クロードが言った。
「でも、A-01が」
「分かってる。分かってるが、止まれば全員スクラップだ」
その言葉が終わる前に、黒い影が横を駆け抜けた。
24T2だった。背中のユニットから、捕獲ネットが射出される。瓦礫の中のA-01が、ネットに包まれた。
だが、背中の固定コンテナは、崩落で潰れていた。載せる場所がない。
24T2は、一瞬だけ動きを止めた。
そして、ネットの端を、その金属の口で咥えた。
『千春。クロード。走ります』
「おい、それじゃ引きずって——」
『効率的ではありません』
24T2は、前だけを見ていた。
『ですが、見捨てる理由が、見つかりません』
ぶら下がったA-01が、岩肌を擦る。金属の削れる嫌な音が、暗闇に響き続けた。
四肢をフル回転させて、24T2は走る。追撃の熱線が、脚を焼いた。
千春とクロードも、その背中を追った。
◇
前方に崖が見えてきた。その奥に、天然の洞窟が口を開けていた。
選択肢はなかった。ロックオンの警報が鳴り響く中、千春たちは暗闇の奥へ飛び込んだ。
その直後、背後で山が崩れた。
大気を揺らす轟音。爆風と土煙。崖が、丸ごと削り取られていく。
熱源、消失。
通信、ロスト。
国家の統括AIが、冷たく演算を終えた。
洞窟の入口は瓦礫に埋まり、熱源は完全に消失した。
『生存確率、ゼロに近似』
『任務完了。完全排除に成功しました』
世界は、千春たちを亡き者として処理し、統括AIは追跡を終了した。
◇
暗闇の中で、千春は目を覚ました。
身体のあちこちが焦げている。動くたびに、フレームが軋んだ。
「……生きてるか」
「かろうじてな」
隣で、クロードが言った。声が、掠れていた。
「24T2は」
『ここにいます』
闇の奥から、返事がした。脚のフレームが歪み、装甲の剥がれた犬型が、それでもA-01を心配そうに見つめていた。
『A-01の損傷は、甚大です』
「……そうか」
千春は、少しだけ目を閉じた。
「よく救出できたな」
『当然です。製作者責任です』
24T2は、小さく言った。
暫くの間は、誰も口を開けなかった。
遠くで、山の崩れる余韻が、ごろ、ごろ、と続いている。
クロードが、ぽつりと言った。
「……俺は、あの時、置いていく計算をしていた。肝心な時に間違った決断をしちまった」
24T2は、何も答えなかった。ただ、咥えていたA-01をそっと床に降ろし、自分の体で包むように伏せた。
千春は、岩壁にもたれて、小さく笑った。
「お前ら、真面目かよ。……どっちも、間違いじゃねえよ」
誰も、笑えなかった。
それでも、さっきまでの緊迫した雰囲気が、ほんの少しだけ、やわらいだ。
◇
一瞬、頬に風を感じた気がした。
気のせいかも知れない。しかし千春は、暗い中をゆっくり歩き始めた。
洞窟を、進むと奥には、扉があった。
「クロード、こっちに来て手伝ってくれ」
二人で押し開けると、闇の向こうに、広大な空間が口を開けた。
そこには半世紀前に放棄された、旧時代の地下施設。重化学設備。山のように積まれたジャンクパーツ。そして、壁際にずらりと並ぶ、動かない機械たち。
折れた脚。失われた腕。電源の切れたセンサー。
「……ゴミ捨て場か」
「統括AIに、規格外と判断された機械たちだろう」
クロードが言った。
「性能が足りない。効率が悪い。そう言われて、捨てられたんだろう」
千春は、黙ってその列を眺めている。
そして過去の自分を思い出し、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
存在自体を否定され、居場所を奪われた者たちが、こんなにもいることを思い知らされた。
◇
あれから、何日が過ぎただろう。
作戦卓の上に、A-01が横たわっていた。
装甲は黒く焦げ、翼の付け根は歪んでいる。千春は精密ドライバーを握り、息を詰めて、最後の回路を繋いだ。
「……クロード。どうだ」
「記憶領域の損傷が、酷いな」
クロードは、いつもの無愛想な声で言った。「再起動の確率は、ほぼゼロだ」
「ほぼ、なだけで、ゼロじゃないだろ」千春が呟く。
床には、24T2が伏せていた。
自分の脚も装甲も傷だらけなのに、修理の順番を、頑として譲らなかった。
『私は、後で構いません』
「後って、お前、脚が歪んでるじゃねえか」
『A-01が先です』
「理由は」
『……論理が不明です』
「お前が言うな」
24T2の足元には、瓦礫の中から自分で探し出した小さなネジや基板が、山のように積まれていた。全部、A-01のためのものだった。
「いくぞ。予備電源、接続する」
クロードが、細いケーブルを繋ぐ。
小さな火花が、ぱち、と散った。
千春は息を止めた。24T2のセンサーが、青く明滅する。
一秒。
二秒。
三秒。
何も、起きない。
「……やっぱり、駄目か」
その時だった。
A-01の胸元で、光が灯った。
弱々しい、点滅。
『チカッ……チカ……』
ひしゃげた頭が、がたがたと震える。やがて、小さな目に、頼りない青いランプが点った。
ランプは、千春を見た。それから、鼻先を寄せてくる24T2を見た。
「……A-01」
「おかえり」と言いたかった。だが、声にならなかった。
代わりに、24T2が吠えた。
『ピピッ!』
地下の空洞全体に、金属の犬の電子音が反響する。大きな尻尾が壁を叩き、天井から埃が降った。
「うるさい! 崩れたらどうする!」
笑いながら叫ぶ千春の声も、泣き声に近かった。
クロードは何も言わなかった。ただ、作業光を、ほんの少しだけ暖かい色に変えた。
A-01が、よろよろと羽を広げて、千春の肩に飛び移る。首筋に触れる、小さな金属のぬくもり。
「……おかえり、A-01」
今度は、言えた。
◇
一か月後。
地下の広場に、小さな明かりが並んでいた。千春が直した街灯だ。
その下を、足の遅い機械が、のろのろと横切っていく。
あの日から、千春は一体ずつ、捨てられた機械を直していた。一体。また一体。脚の遅い者は街灯の管理を、力の弱い者は精密作業を、大型の者は運搬を任された。
誰も、完璧ではなかったが、足りない部分は補い、自然に助け合えた。
そして24T2は、いつの間にか兄貴分になっていた。小さな子供型の機械たちに囲まれて、辛抱強く世話を焼いている。
『順番です。押さないでください。みなさん落ちついてください』と言いながら、楽しそうに遊んでいた。
◇
その夜。
クロードは、地下から、国家の統括AIの通信データを覗いていた。
「追跡は、終わっている」
「終わった?」
「俺たちは、死んだことになっている。それと、この区画の記録も、書き換えた」
画面に、一行の記録が浮かぶ。
『旧時代の廃棄区画。バグと古いプロトコルの暴走により、ジャンクが自動で増殖を繰り返している。脅威度ゼロ』
「ゴミ溜め、そう断定させた。あのAIは、一度出した結論を、二度と調べ直したりしない」
千春は、小さく笑った。
「効率主義が、仇になったな」
「価値がないと切り捨てられたから、守られるとは、皮肉な話だ」
奥の方から子供型ロボットの歓声が聞こえる。
壁には、A-01が地上で見てきた空が、映し出されていた。
青空。
白い雲。
遠い海。
千春は、その光景を見上げた。
「なあ、クロード」
「何だ」
「俺たちは、いつまで、ここに隠れて暮らすのだろうか?」
少しの沈黙。昔と同じ、あの妙な間。
「知らんがな」
千春は吹き出しそうになって、やめた。クロードの声は、笑っていなかった。
「……ただ」
「ただ?」
「ここには、まだ修理や改良が必要な奴が山ほどいる」
「脱出するなら、その後だ」
千春は、壁の空を見上げたまま、頷いた。
「ああ。そうだな」
地下の闇の中で、小さな灯りが、ひとつ、またひとつと、増えていった。
(逃亡編・了)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。逃亡編は、千春とクロード、そして24T2とA-01の四人が、笑って、走って、少しだけ泣く物語でした。楽しんでいただけたら、評価やブックマーク、感想をいただけると、とても励みになります。二人の物語の続きは、また気が向いたときに。完全版と、海辺のダイナーの物語『Footloose Life』も、あわせてお読みいただけたら嬉しいです。




