記憶のラストオーダー
店内はレトロだが、どこか無機質な雰囲気。
棚には何百もの、青く光る液体の入った小瓶(記憶ボトル)が並んでいる。
カウンターの奥で、マスターのが手際よく珈琲を淹れている。
カウンターの端に座り、空のグラスをじっと見つめている。
「アキラ様、今夜が最後の営業となります」
「……わかっている」
「政府の法改正により、故人の記憶データの閲覧は一律で禁止となりました。今夜を過ぎれば、これらはすべて消去されます」
棚から一本の小さな青いボトルを取り出す。
ラベルには『エミ(2020-2024)』と手書きされている。
「もう一度だけ、彼女の笑顔を。あの夏の日を、僕にくれ」
「かしこまりました。ただし、最後の警告です。この高濃度抽出珈琲を飲むと、あなたの現実の記憶の一部が、対価として上書きされ消滅します」
「構わない。エミのいない現実に、価値なんてない」
静かに頷き、青い液体をドリップ珈琲に注ぐ。
珈琲が鮮やかな青い湯気を立ち上げる。
カップをの前に置く。
「ラストオーダーです。どうぞ」
震える手でカップを持ち上げ、一気に飲み干す。
の目が大きく見開かれる。
まばゆい太陽の光。
ひまわり畑の中で、白いワンピースを着た女性・エミが振り返り、満面の笑みを浮かべる。
「アキラ、こっちだよ!」と呼ぶ声。
涙を流しながら息を吐き出す。
その表情は、深い幸福感に満ちている。
「ああ……これだ。この笑顔だ……」
の涙が止まる。
次第にその表情から、感情が抜け落ちていく。
きょとんとした顔で自分の濡れた頬を触る。
「……あれ? 僕はなぜ、泣いているんだ?」
レイは悲しげな目で見つめる。
「お味は、いかがでしたか?」
「あ、いや。とても美味しい珈琲ですが……すみません、僕はなぜここにいるんでしょう? 誰を待っていたんだっけ……」
アキラ、自分の左薬指を見る。そこには指輪の跡だけが白く残っている。
「大切な何かを忘れている気がする。でも……思い出せない」
レイ、静かに頭を下げる。
「お気になさらず。お客様はただ、温かい珈琲を飲みに来られただけです」
少し首を傾げた後、穏やかな笑顔になる。
「そうですか。ごちそうさまでした」
席を立ち、店のドアへ向かう。
カランコロン、とドアのベルが鳴る。
店から出てくる。雨は上がっている。
夜空を見上げ、すっきりとした表情で歩き去っていく。
アキラの座っていた席のカップを片付ける。
棚を見る。すべての青いボトルが、一斉に光を失い、ただの透明な水へと変わっていく。
自分の胸ポケットから、一枚の古い写真を出す。
そこには、若き日のアキラと、笑顔のエミ、そして二人の間に立つレイが写っている。
「……お幸せに」
、写真を静かにゴミ箱へ落とす。
店の照明が、一つずつ消えていく。




