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7.こちら「ひだまり広場」

 悠真が「ひだまり広場」に配属されてから、季節がいくつ巡っただろうか。

 最初は緊張で膝を震わせ、マニュアル通りの「正論」を盾に、慣れない育児支援の現場で必死に戦おうとしていた。そんな若き支援員も、今ではこの広場の柔らかな風景に、すっかり溶け込んでいる。


 最近、悠真を呼んでくれる親子が増えた。


「長谷川さん、見てくださいよ! タクト、今日も絶好調で……」


 苦笑いしながら入ってきたのは、佐々木さんだ。3歳を目前にしたタクトくんは、激しかったイヤイヤ期が少しずつ落ち着き、その分、溢れ出すようにおしゃべりが上手になってきている。


「ぜんぶ! タっくんが、するの!」


 タクトくんは胸を張り、自分で履こうとして前後が逆になった靴下を誇らしげに指さした。


「なるほど! 自分で全部できたんだ、すごいね!」


 悠真が腰を落とし、目線を合わせて笑って応える。かつてなら「靴下、逆さまだね」と正論を口にしていたかもしれない。けれど今の悠真は、そのちぐはぐな靴下こそが、彼の「やりたい」という意志の証であることを知っている。


「そうですよね、これも成長ですもんね」


 佐々木さんも、かつて育児不安で表情を硬くさせていた面影は微塵もなく、息子を頼もしく、そして愛おしそうに見守っていた。



 さらに、入り口のほうから賑やかな声が近づいてきた。

 ハルトくんとお母さんだ。かつて、ハルトくんが全く離乳食を食べてくれず、お母さんが広場の隅で泣きそうになっていた。


 だが、今のハルトくんはもう手づかみ食べを卒業し、小さな手でスプーンを一生懸命に動かしているという。


「あの時ハルトが全然食べなかったのが、もう嘘みたいです。今は何でもバクバク食べて……最近は、私の分まで狙われるんですよ」


 そう言って笑うお母さんの顔には、当時の悲壮感はどこにもない。むしろ、食いしん坊な息子を自慢するような、明るいエネルギーに満ちていた。


「それは嬉しい悩みですね。お母さんのごはんが美味しいんですね!」


 悠真は、自分のことのように胸を熱くしながら応えた。



 そして、かつては窓際の隅っこで、誰とも目を合わせず黙々とミニカーのタイヤを回し続けていたカイトくんと、その背中を消え入りそうな表情で見つめていた母・松本さんも顔を見せた。


「長谷川さん、カイト、療育のクラスで大好きな先生ができて、喜んで行っています」


 松本さんは、以前のような張り詰めた悲壮感を少しずつ手放していた。


「私も、専門の先生や同じように悩む親御さんと話せる場所があるって思えたら……。最近は、この子の『こだわり』を『面白い個性だな』って、一緒に楽しむ余裕が少しずつ出てきたんです」


 わが子の特性を「直すべき欠点」ではなく、その子だけの「色」として受け入れ始めた母の瞳には、柔らかな光が宿っている。


「松本さんがカイトくんの『世界』を大切に思うことが、きっと伝わっているんですね。僕もカイトくんのあの集中力、尊敬してるんですよ」


 悠真がそう返すと、松本さんは照れくさそうに、けれど誇らしげに目を細めた。



 そして土曜日。平日は仕事で忙しいお父さんたちが主役になるこの日、常連の鈴木さんが息子のケントくんを連れてやってきた。

 悠真が挨拶をすると、鈴木さんは少し照れくさそうに、話した。


「実は……二人目を授かったんです。秋には、ケントはお兄ちゃんになります」


 その報告に、悠真は自分のことのように顔をほころばせた。


「本当ですか! おめでとうございます!」


「ありがとうございます。……いやぁ、嬉しい反面、正直もっと仕事も家事も、子育ても頑張らないとな、って」


 少し肩に力が入っている鈴木さんの様子を見て、悠真は温かな、けれど真っ直ぐな眼差しを向けた。


「あんまり無理しないでくださいね。ここに来た時くらいは、肩の荷を下ろして、子育て楽しんでください」


 悠真の言葉に、鈴木さんはハッとしたように表情を緩めた。


「そうですね……。つい、一人で背負い込もうとしていました。また何かあったら話聞いてください」


 かつては「支援員」として完璧なアドバイスをしようと躍起になっていた悠真。けれど今の彼は、ただ隣にいて「無理しないで」と言えることが、どれほど相手の救いになるかを知っていた。



 広場が賑わう中、悠真は一人の新米ママの隣に座った。彼女は、不安そうに周りの子を見ては溜息をついている。

 以前の悠真なら、すぐに「発達の目安」を持ち出して安心させようとしただろう。しかし、今の悠真はただ、彼女と一緒に目の前の子どもを見つめる。


「お子さんの寝癖、すごく可愛いですね」


 少し驚いたような顔をした後、ふっ、と母親が小さく笑う。


「……こんなにやわらかい髪の毛なのに、寝ぐせってつくんですね」


 特別なアドバイスもしなければ、専門用語も使わない。ただ、今この場所で親子の「ありのまま」を肯定し、同じ視線で面白がる。それだけで、母親の強張った肩がすうっと下がるのが分かった。



 広場が終わった後、瞳子は悠真に声をかけた。


「悠真くん、最近変わったわね」


 悠真は照れくさそうに頭を掻いた。


「そうでしょうか?瞳子さんに言われた通り、僕は救世主でも、先生でもない。ただ、ここにいて、皆さんの話を聴いて、一緒に笑ったり悩んだりするだけの存在でいいんだって、やっと分かってきました」


「そうね。私たちは、家族でも先生でもない、第三の『居場所』。何者でもないからこそ、繋がれる絆があるのよね」



 悠真は今、床に這いつくばって、子どもたちと一緒にブロックを積み上げている。


 子どもと全力で遊びながら、その横で親がふと漏らす「しんどい」という本音を、こぼさないようにそっと拾い上げる。

 保育士のようにただ預かるのでもなく、カウンセラーのように深く分析するのでもない。

 親子が社会から孤立しないように、手を取り合い、適切な場所へと繋いでいく「架け橋」。


 それこそが、悠真が見つけた「子育て支援員」としての姿だった。


 窓から差し込む夕日は、広場を黄金色に染め上げていく。

 悠真はもう、自分を飾る必要はないと知っている。

 目の前の親子が、明日もまた「ここに来よう」と思える一筋の光になれれば、それでいい。


「また明日、待ってますね」


 広場を後にする親子の背中に、悠真は心からの笑顔で声をかけた。

「ひだまり広場」には、今日も温かな、優しい時間が満ちていた。

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