3.パパの居場所
休日の子育て支援拠点「ひだまり広場」。窓から差し込む柔らかな陽光が、床に敷き詰められたコルクマットを明るく照らしている。平日の、ママたちの情報交換や笑い声が絶え間なく響く賑やかさとは打って変わり、この日はどこか奇妙な静けさと、独特の緊張感が漂っていた。数人のパパたちが、わが子を遊ばせながらも、手持ち無沙汰に周囲を伺っている。その空気は、まるで「アウェーの試合」に臨む選手たちのようであった。
悠真は、入り口付近で所在なさげに立ち尽くしている父親、鈴木さんに目を留めた。着慣れたはずのパーカー姿だが、ポケットに手を突っ込んだまま、視線をどこに置いていいか迷っている。周囲では数少ないママ友同士が固まって談笑しており、鈴木さんはその輪から弾き飛ばされたかのように、ポツンと浮いていた。
「鈴木さん、こんにちは!今日はパパが担当なんですね。素晴らしい心がけですよ!」
悠真は「同性なら話しやすいはずだ」と確信し、持ち前の爽やかな笑顔で一気に距離を詰めた。しかし、鈴木さんの表情は重く、息子を見守る目には疲労の色が濃い。
「……ああ、まあ。妻に言われて来ただけなんで」
鈴木さんは、悠真の視線を避けるように短く答えた。そのぶっきらぼうな態度を「緊張の裏返し」と解釈した悠真は、さらに踏み込んで「正論」をぶつけてしまう。
「せっかくの休日ですから、お子さんと向き合うチャンスですよ!スマホを見ずに、お子さんが今何に興味を持っているか、じっくり観察しましょう。例えば積み木なら、大人が土台をしっかり作って見せてあげると、お子さんも達成感を得やすいですから。受け身にならず、積極的に関わってみてください!」
「……はあ、そうっすね。やってみます」
鈴木さんは吐き捨てるように言い、さらに背を丸めて黙り込んでしまった。良かれと思ったアドバイスは、寝不足の体に鞭打ってやってきた鈴木さんにとって「お前は父親としての熱意が足りない」という、無慈悲な説教に等しかったのだ。
*
広場が閉まった後、悠真は片付けをしながら、瞳子に肩を落として打ち明けた。
「同じ男性同士だから、もっとフランクに育児の悩みを話してくれると思ったのですが……。逆にうまくいきませんでした」
瞳子は絵本を棚に戻す手を止め、眼鏡の奥の瞳を和らげた。
「悠真くん、男の人ってね、どこかで『ヒーロー』になりたい生き物なのよ。奥さんや子どもを守って、颯爽と助ける、頼もしいヒーローにね。悠真くんはどう? 自分の中にそういう気持ち、ないかしら」
「ヒーロー? ……確かに、誰かの役に立ちたい、頼られたいっていう願望はあります。それが空回りしたってことでしょうか。プライド……ということですか?」
「そうかもしれないわね。できない自分を認めるのは、ヒーローにとって一番勇気がいることなの。だからまずは、彼を『教え子』にするんじゃなくて、君が彼の『ファン』や『相棒』になってみたらどうかしら?」
*
翌週、再び鈴木さんがやってきた。先週よりもさらに居心地が悪そうに、部屋の隅で息子が重機のおもちゃで遊ぶのを眺めている。悠真は今日、アドバイスを一切封印することを決めた。彼は鈴木さんの隣に、適度な距離を保ってふわりと腰を下ろした。
「このショベルカー、アームの動きが妙にリアルですよね……。あ、見てください、ここのレバーを引くとバケットが二段階で動くみたいですよ。最近のおもちゃは馬鹿にできないですね」
悠真は、一人の「メカ好きの青年」として独り言のように呟くと、鈴木さんの視線がふっとおもちゃに吸い寄せられた。
「……本当だ。油圧シリンダーみたいな動きだな。実は俺、昔からこういう機械に憧れて、今は現場で実機を動かしているんだけど……。おもちゃでここまで再現されてるのは知らなかったな」
鈴木さんの大きな手が、おもちゃのキャタピラを愛おしそうになぞった。その瞬間、黙々と遊んでいた息子のケントくんが、「パパ、動かせるの?」と目を輝かせて顔を上げた。
「ああ、見てろよ。ここはこうやって……」
鈴木さんは木製ブロックを器用に積み上げ、それを「工事現場」に見立てた。ショベルカーのアームを絶妙な角度で操作し、ブロックを次々と運んでいく。その手つきは、まさにプロのそれだった。
「すごい! パパ、かっこいい!」
ケントくんが歓声を上げ、鈴木さんの膝に身を乗り出す。鈴木さんの顔に、先週までの強張った表情はなく、誇らしげな、まさに「ヒーロー」の笑みが浮かんでいた。二人は夢中で動かしているうちに、鈴木さんが視線を落としたまま、ポツリと本音を漏らした。
「……実は家だと、妻に『もっとケントの相手をしろ!』って言われててさ。でもどうすればいいかわからなくて。こんな遊び方なら……俺にもできるかもしれない」
「……僕も毎日反省することばかりでに、自分の不甲斐なさに参ってるんです。今のクレーンの旋回、やっぱりプロは違いますね。ちょっとコツを教えてもらえませんか?」
悠真が頭をかきながら苦笑いすると、鈴木さんは今日初めて、フッと鼻で笑った。
「また来週も、現場の続きをやりましょう。次はもっと大きなビルを建てなきゃいけませんから」
帰り際、ケントくんとしっかりと手を繋ぎ、少しだけ背筋を伸ばして去っていく鈴木さんの背中を見送りながら、悠真は瞳子に誇らしげに報告した。
「鈴木さんの隣に座ったら、彼のお仕事のことや、隠れていた本音が聞こえてきました」
瞳子は、窓から見える夕焼けを眺めながら、深く頷いた。
「そうね。毎日お仕事をして、必死にママやお子さんを助けている。それだけで彼らは立派なヒーローなのよ。プロの仕事を持っているパパも、毎日家事と育児を回しているママもそう。仕事をしながら子育てをするのは、本当に大変なこと。けれど、そのひたむきな背中を、また子どもがしっかり見ているのよね」
悠真は、ケントくんの「パパ、かっこいい!」という弾んだ声を思い出していた。正論で正すことよりも、その人が持っている輝きを一緒に見つけること。夕暮れの「ひだまり広場」で、悠真はまた一つ、誰かの心の扉を開けるための大切な鍵を見つけたのであった。




