9.酒場に満ちる、静かな異変
ギルド酒場は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
木製の床を踏み鳴らす足音。
酒樽を叩く音。
笑い声と、疲れ切った溜息。
レイは、いつもの卓に腰を下ろし、杯を傾けていた。
正面にはブロム。
左にカイ。
右にはフィーネがいる。
「……結局、騒がしかったのはあの日だけだったな」
ブロムが、酒を煽りながら言う。
「戦勝祝いなんて、あんなものよ」
フィーネは淡々としているが、その視線は酒場全体をさりげなく見渡していた。
「今は、祝う空気じゃないもの」
「確かに」
カイも短く頷いた。
「酒場は満員なのに、
どの卓も話してることは似たようなもんだ」
レイは、周囲のざわめきに耳を澄ませる。
確かに、いつもより空気が落ち着かない。
人は多い。
だが、騒ぎ方が違う。
武勇伝でも、賭け話でもない。
どの卓でも、声を潜めるような話題が飛び交っている。
「聞いたか? 西の街道でも遺跡周辺に影が出たらしい」
「聖堂が人を動かしてるって話だ」
「魔物の動きが、変なんだよ。餌じゃなくて……探してるみたいで」
レイは、無意識のうちに杯を置いた。
「……遺跡?」
「ええ」
フィーネが小さく頷く。
「最近、そういう噂が増えてるわ。
はっきりした情報じゃないけど、共通点がある」
「共通点?」
「どれも、古い場所よ。
昔から“触るな”って言われてた場所ばかり」
カイが、翼を畳んだまま肩をすくめる。
「冒険者の間じゃ、
“また何か始まるんじゃないか”って話になってる」
「始まる、か」
ブロムが鼻を鳴らす。
「始まる前に終わってほしいもんだな。
俺たちは巻き込まれる側だ」
レイは黙って聞いていた。
自分が眠っていた寺院。
再び起動したあの場所。
回収された剣。
それらが、酒場の噂と静かにつながっていく。
(……考えすぎか)
そう思おうとしたとき、フィーネがわずかに眉をひそめた。
「……変ね」
「どうした?」
カイが尋ねる。
フィーネは一瞬、言葉を選ぶように黙り、それから答えた。
「魔力の流れが……落ち着かない。
酒場のせいじゃないわ。もっと、局所的」
視線が、自然とレイに向く。
レイは首を傾げた。
「俺?」
「……断定はできないけど」
フィーネは視線を外し、杯に口をつけた。
「さっきから、あなたの近くで、引っかかる感じがするの。
風が、流れきらないみたいな」
レイは、自分の手を見た。
何も変わらない。
いつも通りの、冒険者の手だ。
「気のせい、じゃないのか?」
「かもしれないわ」
フィーネはそれ以上、踏み込まなかった。
そのときだった。
酒場の入口が開き、ギルドの職員が顔を出した。
周囲を見回し、レイたちの卓を見つけると、まっすぐ近づいてくる。
「レイさん」
名を呼ばれ、周囲の視線が集まる。
「ギルド長がお呼びです。
至急ではありませんが……できれば、今夜のうちに」
「ギルド長?」
ブロムが眉を上げる。
「何の用だ?」
職員は一瞬、言葉を濁した。
「……正式な指名依頼の件です。
経路は、聖堂経由になります」
その一言で、空気が変わった。
カイが、静かに息を吸う。
フィーネの表情が、わずかに硬くなる。
レイの脳裏に、守備隊長の声が蘇った。
――ただの冒険者だ。決して無理をするな。
「断れない、って顔だな」
ブロムが低く言う。
「そうね」
フィーネも同意する。
「このタイミングで、聖堂経由。
偶然じゃない」
レイは、ゆっくりと立ち上がった。
逃げたいわけじゃない。
だが、選んでいる感覚もない。
それでも、名前を呼ばれたのは自分だった。
「……行ってくる」
職員に促され、歩き出す。
背後で、酒場のざわめきが再び広がった。
噂は止まらない。
違和感は、静かに積もっていく。
(……ただの冒険者のはずなのに)
そう思いながら、レイはギルド長室へ向かった。
世界は、確実に動いている。
自分の意志とは関係なく。




