3.発現
足が、勝手に動いていた。
恐怖で縫い止められていたはずの体が、
気づけば、あの剣へ向かって一歩を踏み出している。
(……やめろ)
頭の奥で、必死な声が響いていた。
だが、止まらない。
剣から、目が離せなかった。
錆びつき、刃こぼれした、どう見ても古い長剣。
長い年月、使われることもなく放置されていた――そうとしか思えない姿だ。
それなのに。
そこに在るだけで、空気が歪んでいる。
周囲の音が引き延ばされ、遠くで鳴っているように曖昧になる。
背後では、戦いが続いているはずだった。
怒号。金属音。石が砕ける衝撃。
だが、それらすべてが、
膜一枚向こう側の出来事のように感じられた。
赤い目が、こちらを見ている。
いや――剣を見ているのか。
それとも、剣に近づく自分を見ているのか。
判断できない。
ただ、胸の奥が、妙にざわついていた。
(……触るな)
そう思った、その瞬間だった。
指先が、剣の柄に触れた。
――白。
視界が、一瞬で塗り潰される。
次に押し寄せてきたのは、熱だった。
凍りついていた体の内側を、
灼けつくような奔流が一気に駆け抜ける。
血管の一本一本が、内側から焼かれていくような感覚。
息ができない。
声も出ない。
体の奥で、何かが――
長い眠りから、無理やり叩き起こされる。
剣が、脈打った。
手の中で、確かな“鼓動”を感じる。
無機物のはずのそれが、生き物のように震えている。
次の瞬間。
空気が、砕けた。
剣を中心に、見えない壁が音を立てて割れる。
衝撃が波となって広がり、霧の前に張られていた“何か”が、
ガラスのように弾け飛んだ。
赤い目の存在が、初めて動きを止める。
ほんの一瞬。
だが、それまで一切揺らがなかったそれが、確かに静止した。
(……え?)
何が起きたのか、分からない。
ただ、手の中の剣が、
強く、強く光を放っている。
眩しいはずなのに、不思議と目は焼けない。
剣が――
何かを命じている。
そんな錯覚が、脳裏をよぎった。
次の瞬間、体が勝手に動いた。
振ったつもりはない。
力を込めた覚えもない。
だが、剣先がわずかに動いただけで、
圧縮された衝撃が、前方へ解き放たれた。
轟音。
床が抉れ、石柱がへし折れ、
霧の身体が、大きく後退する。
赤い目が、わずかに揺れた。
――初めての後退。
それを目にした瞬間、
全身から、一気に力が抜けた。
剣の光が、急速に弱まっていく。
脈打っていた鼓動が、嘘のように静まり返る。
膝が崩れ、石床に倒れ込む。
呼吸が荒く、視界が揺れる。
指先が痺れ、感覚が遠のいていく。
(……なにが……起きた……)
答えは、どこにもなかった。
剣は、ただの古びた長剣に戻っていた。
光も、震えも、最初から存在しなかったかのように消えている。
赤い目の存在が、こちらを見ている。
今度は、はっきりと。
じっと。
長い時間をかけて、観察するように。
次の瞬間、
霧が、静かに後退を始めた。
攻撃も、威嚇もない。
ただ、溶けるように、闇の中へ消えていく。
やがて、寺院には静寂が戻った。
剣を握ったまま、レイは床に膝をつき、
荒い息を繰り返していた。
背後から、複数の足音が近づいてくる。
守備隊の兵士たちだ。
視線を感じる。
警戒。
疑念。
恐怖。
それは、助けられた人間に向けられる目ではなかった。
――まるで、
危険なものを目にしてしまった者が向ける視線だった。




