8.広域動員の最前線
北方街道は、かつての姿を失っていた。
ラグナールを出て半日。街道の要所には簡易の柵が組まれ、守備隊の槍が並ぶ。荷車は列を成し、行き交う人々の足は重い。検問の合間に聞こえるのは、泣き声と、苛立ちを押し殺した怒鳴り声だった。
「……封鎖、か」
カイが低く呟く。
「完全じゃないけど、流れを制限してるわね」
フィーネは周囲を見渡しながら言った。
「魔物の動きが読めないから、補給線と避難路を分けているみたい」
ブロムは腕を組み、荷車の列を見つめる。
「遅れりゃ、腹が減る。前に進めなきゃ、不安が溜まる。……揉めるのも無理はねぇ」
レイたちの任務は、街道の巡回と難民誘導、そして“取りこぼし”の対応だった。戦線ではない。だが、誰かがやらなければ崩れる場所だ。
検問所の脇で、老いた商人が声を荒げていた。
「この先に倉がある! 荷を下ろせば皆が困るんだ!」
守備兵が困った顔で首を振る。
「命令です。今は人を優先してください」
「人だと? この荷が人を生かすんだ!」
言い争いの間に、列の後方がざわついた。
子どもを抱えた女がよろめき、荷車の下敷きになりかける。
「危ない!」
レイが駆け寄り、荷車を押さえる。
ブロムが反対側から肩を入れ、カイが周囲に声を飛ばす。
「道を空けて! 今は動かすな!」
フィーネは素早く女の様子を見て、落ち着いた声で言った。
「大丈夫。息を整えて。水はある?」
小さな混乱は、すぐに収まった。
だが、こうした“すれ違い”が、街道のあちこちで起きているのが分かる。
(……戦いは、もう始まってる)
レイはそう思った。
昼を過ぎ、列が少しずつ進み始めた頃、異変は起きた。
街道脇の林から、獣の気配。
カイが即座に合図を出す。
「来る。数は――三、いや四」
魔物だ。だが、動きが妙に揃っている。
先頭が囮のように姿を見せ、残りが側面へ回る。
「統制、取ってる……!」
フィーネの声に緊張が走る。
「難民を下げろ! 守備隊、前へ!」
レイは前に出すぎない。
ブロムと並び、街道中央を守る位置。
カイの矢が、回り込みを止める。
一体が飛び出した瞬間、レイは踏み込み、剣を振る。
浅い。だが止めるには十分。
ブロムの斧が追撃し、地面に伏せる。
反対側からもう一体。
フィーネの術が足元を縛り、守備隊の槍が貫く。
短いが、息の詰まる戦いだった。
魔物は引いた。撤退の仕方まで、どこか“教えられた”ようだ。
「……引き際まで、整ってる」
カイが眉をひそめる。
難民の列から、安堵の息が漏れる。
だが、恐怖は消えない。むしろ、形を変えて残る。
検問の裏で、若い男が呟いた。
「北から来たんだ……村が、急に……」
誰も続きを促さなかった。
言葉にすれば、現実になるからだ。
日が傾く頃、巡回は一区切りついた。
封鎖は維持され、避難路は何とか流れ始める。
レイは、胸元に触れた。
例の水晶は、今日も静かだ。
だが――魔物が近づいた瞬間、ほんの一度だけ、胸の奥が“きしんだ”。
(……気のせい、じゃない)
帰路につく一行の背後で、街道はなお忙しく動き続けていた。
戦場ではない。けれど、ここもまた最前線だ。
英雄がどこかで剣を振るっていようと、
この場所では、名もない手が世界を支えている。
レイは剣を鞘に収め、歩き出した。




