5.日常に混じる“勇者”の噂
ラグナールの朝は、いつも通りだった。
城門の前では農民が荷車を押し、鍛冶場からは鉄を打つ音が響く。酒場の女将が掃除を終え、通りに水を撒いている。忙しなくも、街は変わらぬ平穏を保っていた。
レイはギルド直営の安宿を出て、剣を腰に提げる。
今日は討伐でも護衛でもない。倉庫整理と街道の簡易巡回。地味だが、今の自分にはちょうどいい仕事だ。
「……無理をするな、か」
アレインの言葉が、ふと頭をよぎる。
胸の内ポケットの水晶は、相変わらず沈黙している。熱もなく、反応もない。ただ、そこにあるだけだ。
巡回を終え、昼前にギルドへ顔を出すと、いつもより人が多かった。受付前に人だかりができ、酒場側からもざわめきが漏れている。
「なんだ?」
カイが首を傾げる。
「噂よ」
フィーネが肩をすくめた。
「今度は、勇者だって」
「……勇者?」
ブロムが鼻で笑う。
「また大層な話だな」
酒場の一角で、冒険者たちが声を潜めている。
「神皇国で、勇者が召喚されたらしい」
「本物か?」
「さあな。でも、聖堂絡みだって話だ」
「最近の魔物の動きも、そのせいじゃないか?」
レイは、黙って耳を傾けていた。
勇者。
物語の中だけの存在。魔王を討ち、世界を救う英雄。
(……本当に、そんなものがいるのか)
「どこか遠い話ね。
でも、本当だとしても、私たちには関係ないわ」
フィーネが言う。
「だな」
カイも頷く。
「勇者が出るなら、前線は国の騎士団と聖騎士団の話だ。俺たちは関係ないし、あったとしても後始末ぐらいさ」
ブロムはジョッキを傾ける。
「それで世の中が落ち着くなら、ありがたい話だ」
誰も、本気では信じていない。
噂話として、酒の肴にする程度だ。
だが、レイの胸には小さな引っかかりが残った。
魔物の統制。
遺物を探すような動き。
すべてが、無関係だとは思えない。
「……どうした?」
カイに問われ、レイは首を振った。
「いや。なんでもない」
本当だ。
今の自分は、ただの初級冒険者。
世界を救う勇者の話など、遠すぎる。
それでも――
この世界が確実に“次の段階”へ進み始めていることだけは、否定できなかった。
酒場の外で、鐘が鳴る。
いつもと同じ音。
いつもと変わらない一日。
だが、その裏で、別の物語が静かに動き始めていた。




