1.予兆
ラグナールへの帰路は、来たときよりも短く感じられた。
街道の景色は変わらない。畑を耕す農夫、煙を上げる鍛冶場、行き交う荷馬車。
けれど、レイの胸には落ち着かない感覚が残っていた。
「……静かすぎない?」
フィーネがぽつりと言った。柔らかな声だったが、その視線は周囲を警戒している。
「確かに」
カイが空を見上げる。
「鳥が、少ない」
「魔物が増えりゃ、獣も減る」
ブロムが低く唸った。
街門が見え、ラグナールに帰ってきた実感が湧く。
だが、門前に立つ守備兵の数は明らかに増えていた。通行の確認も、いつもより念入りだ。
事情を尋ねると、守備兵は曖昧に答えた。
「最近、細かい騒ぎが多くてな」
細かい。だが、確実に数が多い。
その感覚は、街に入ってからも変わらなかった。
冒険者ギルドは、以前よりも慌ただしい。
掲示板には新しい依頼がぎっしりと貼られ、討伐や護衛の文字が目立つ。
「魔物関連が、前より増えてるわね」
フィーネが指でなぞる。
「しかも、場所が偏ってる」
カイが地図を指した。
「街の外縁ばかりだ」
「内側に入らせねぇ、って感じだな」
ブロムが腕を組む。
受付は彼らの顔を見るなり、安堵したように息を吐いた。
「お帰りなさい……無事でよかった」
その言葉に、レイは違和感を覚える。
「何か、あったんですか?」
「大きな事件じゃないんです。でも、“おかしなこと”が続いていて」
魔物の行動がどこか統率されているように見えること。
討伐に向かった冒険者が妙に遭遇することが多いこと。
被害は出ていないが、“誘導されている”ような感覚があるという。
「偶然、ですけどね」
そう前置きはされたが、誰もが納得している様子ではなかった。
街を歩くと、聖堂の存在感が以前より強くなっていることにも気づく。
炊き出し、孤児の保護、無料の治療。
「聖堂、ずいぶん活発だな」
「困ってる人が増えた、ってことかしら」
フィーネはそう言ったが、声にはわずかな迷いがあった。
レイは、聖堂の前で足を止める。
白い石の壁。変わらない鐘の音。
だが、どこか見られている気がした。
(……気のせい、か)
そう思おうとして、やめる。
“気のせい”が多すぎる。
そのとき、聞き覚えのある声がした。
「……レイさん?」
振り返ると、白い法衣に身を包んだ司祭が聖堂の石段を降りてくるところだった。
「ルシオ神父」
「お久しぶりですね。無事に戻られたようで何よりです」
穏やかな笑みは、以前と変わらない。
「北へ行かれていたと聞きました。少し心配していたんですよ」
(……情報、早いな)
そう思うが、表情には出さない。
「なんとか。色々ありましたけど」
「それはそれは」
ルシオは、ほっとしたように頷いた。
「街も少し慌ただしくなっています。こういう時こそ、無理は禁物ですよ」
「……はい」
「困ったことがあれば、いつでも聖堂を頼ってください。冒険者の方々は、つい無理をしてしまいますから」
善意の忠告以上は踏み込まない。
だが、別れ際、一瞬だけ彼の視線がレイの胸元に留まった気がした。
「それでは、またお会いしましょう」
司祭は聖堂へ戻っていく。
鐘の音が鳴り、扉が閉じた。
ラグナールは今日も平穏だった。
――表向きは。
夕刻、守備隊の詰め所から使いの兵が現れた。
「レイ。アレイン隊長がお呼びだ」
詰め所の窓からは訓練場が見える。
木剣を打ち合う兵たちの動きは、以前より切迫していた。
アレインは机に肘をつきながら言った。
「戻ったな。街の様子、どう感じた?」
「……落ち着いては、いません」
レイは正直に答える。
「人も、守備も、動きが多いです。理由は分からないけど、何かに備えている感じがする」
アレインは小さく息を吐いた。
「そうか……お前も、そう見えたか」
「平穏だ。だが、平穏すぎる。偶然が多すぎる」
視線が、まっすぐ向けられる。
「お前は、ただの冒険者だ。
それ以上でも、それ以下でもない」
一拍置いて、アレインは続けた。
「だからこそ――
決して無理をするな」
「背負う必要のないものまで、背負おうとするな」
「今は無理に前へ出るな。だが、備えろ。剣も、身体も、判断もだ」
「……はい」
詰め所を出ると、夜のラグナールは静かだった。
その静けさは、嵐の前触れのようにも思えた。




