第8話
冬花の荒い運転で山を抜け、なんとか菊都の家へ辿り着いた。
冷えきった夜気が身体に張り付いてくるのを感じながら、全員が玄関をくぐった瞬間、その場に崩れ落ちそうになるほどの疲労が押し寄せてきた。
「……全員、座れ。話を整理しようぜ」
菊都は肩で息をしながら上着を乱暴に脱ぎ、リビングへと向かう。
テーブルの上には飲みかけのコーヒーや資料が雑多に置かれていたが、今は片付ける余裕もない。
それぞれが思い思いの場所に腰を下ろし、ようやく一息ついた。
藤麻は咲良の隣へ座り、その横顔を覗き込む。
逃げ切れた安堵と、追いつめられた恐怖の余韻がまだ頬に残っていて、藤麻の胸がざわついた。
鈴音はソファの端で足を押さえながら、疲れを隠せない表情をしていた。
アイドルとして見ていた時とは違う、か細い人間らしさがそこにあった。
冬花はすぐさま膝にノートPCを広げ、眼鏡をくいと押し上げる。
表情は冷静だが、その指先は少しだけ震えている。
「まず、自己紹介からしましょう」
冬花の声に、全員が小さく頷き自己紹介が始まる。
それが終わると、菊都が本題へ踏み込んだ。
「それで、鈴音さん。何で異世界のことを知っている?」
「それは……私が異世界帰りだから」
静かな声だった。
しかし、その一言で空気が一気に張り詰めた。
「詳しく頼む」
鈴音はゆっくりと語り始めた。
三年前、20歳の時に突然召喚されたこと。
王に呼ばれ、スキルを与えられ、別世界で一年間過ごしたこと。
そして、帰還の記憶は曖昧だということ。
菊都と似た話だったが、細部には違う点もあった。
「ちなみに、鈴音さんのスキルは?」
「私のスキルは身体強化。今は足を挫いてて使えないけど、常人じゃできないパフォーマンスが出来るわ」
「確かに鈴音さん、アクロバティックなダンスが多いですもんね」
冬花が補足する。
「それで、あの施設では何を?」
「元々、わたしのグループのメンバーの子が行方不明になったのが発端なの。その子を探してたら、とある物理学者に辿り着いたの」
「物理学者?」
「ええ、それが、関川桔梗という物理学者よ」
その名を聞いた瞬間、藤麻たちの表情が強張った。
「関川桔梗って!?」
「あなた達も会ったことがあるの?」
「ええ、一度だけ」
「そう。私は一度、関川と対峙してるわ。色々調べてる時に偶然出くわしてしまって、その時やられてあの施設に連れてかれたの」
「身体強化して逃げたりとかは?」
「無理だったわ。どこに隠れても見つけてくるし、壁は破壊してくるし。おそらくだけど……関川も異世界帰りのスキル持ちだと思う」
菊都が顔をしかめる。
「関川は、軍需施設で何をしてるんだ?」
「人間からエネルギーを生み出す研究。具体的には“魔力”を人間から抽出してる」
その言葉に空気が凍った。
「魔力って……こっちの人間にもあるのか?」
「魔法は使えなくても、魔力はあるの」
「そうなんですか?」
鈴音はゆっくりと頷き、淡々と続けた。
「人が死ぬと平均21グラム軽くなるって話、聞いたことない?」
「それは、なんか……都市伝説的なやつですよね。ありますけど」
「あの21グラムは、こちらの世界の住人が持つ魔力の総量よ。死ぬ時に放出されて軽くなるの。関川はその魔力を回収するために人攫いをして……殺してたのよ」
「21グラムって多いの?少ないの?」
藤麻の質問に菊都が腕を組む。
「異世界基準だとめっちゃ少ねぇな。あっちの住人の魔力量は大体1000〜3000MP。ちなみに召喚魔法には100万以上のMP必要だ」
冬花が小声で計算する。
「……つまり、召喚魔法をこちらでやるなら約4万8000人以上の命が奪われるってこと?」
「まぁ、そうなるわね」
全員、息を呑んだ。
「というか、その関川って人は魔力を集めるために今まで攫った人を殺してたってことなの?」
「証拠も死体も出てこなかったんだけどね」
その瞬間、藤麻が思い出したように声を上げた。
「……あ!」
あの薄暗い私室で撮った、謎の資料の写真。
藤麻はそのことを説明し、冬花にデータを送った。
冬花は資料を受け取ると、軽く息を吸って読み始めた。スクロールさせる指はなめらかに動いていたが、途中でぴたりと止まり、彼女の目が驚きに大きく見開かれる。
どうやら、そこに記されている内容は、鈴音が語ったものとほぼ一致していたらしい。
「この資料は……ワームホール理論について書かれてるわね」
冬花は画面から目を離さずに言った。
「確かに、この理論と……その、人間から抽出した魔力があれば、ワープ装置の完成も不可能じゃないわ」
冬花が言葉を締めると、鈴音は視線をこちらに向ける。
「こっちは答えたんだから、今度はあなた達の番ね。あなた達は、異世界帰りなの?」
「いいや、異世界帰りは俺だけだ」
菊都は背を伸ばし、落ち着いた声で答える。
「話を聞く限りじゃ、鈴音さんと俺が行った異世界は同じ場所だろうな」
「じゃあ、あなたのスキルは?」
鈴音が確認するように尋ねた。
「俺のスキルは……」
菊都はそこで、自分が持つスキルの詳細を語り始めた。
「……なるほど。かなり強力なスキルね」
「異世界では、このスキル使って無双してたからな」
鈴音は短く息をつき、少しだけ考え込んでから口を開いた。
「ちなみに、あなた達はどうしてあの施設にいたの?」
「俺、一応探偵をやってるんですよ」
菊都は横に座る藤麻を親指で示しながら続けた。
「で、こいつの友達があの施設に攫われたみたいで。助けに行ってたんです」
「スキル持ちの探偵、ね……」
鈴音はその言葉を噛みしめ、やがてまっすぐ菊都を見る。
「あなたにお願いがあるの。私は関川の陰謀を暴いて、あいつの暴挙を止めたい。協力してほしいの。報酬なら弾むわ」
菊都は冬花へ視線を向けた。
「……冬花、どう思う?」
「私は構わないわ」
冬花はすぐに答えたが、その表情には別の深刻さがあった。
「でも一つ条件がある。藤麻くんは参加させないこと」
「え、なんでですか?」
「悪いが、俺も冬花に同意だ」
菊都もきっぱりと言う。
「それどころか、冬花も危険な場に出さない方がいい」
「探偵さんまで……どうして?」
「相手は、人を何人も殺してきたスキル持ちの殺人鬼だ。これはスキルを持つ俺と鈴音さんが挑むべきだろう」
「それは……たしかに、そうね」
冬花は続けるように軽く息をついた。
「それに、藤麻くんには別の任務があるの」
「他の任務……?」
「ええ。ワープ装置を作ることよ」
冬花は藤麻を見つめながら言った。
「あなたが撮ってきた資料のおかげで、ワームホール理論の研究が一気に進みそうなの。ようやく開発に手をつけられる段階に来たわ。明日からはそっちを手伝ってほしいの」
「ついに……開発するんですか!?」
「まだ負のエネルギーは手に入ってないけど、それ抜きでも装置の基盤部分なら作れそうなの。試作段階には入れるわ」
その言葉に、咲良が遠慮がちに手を挙げた。
「あの〜……話の腰を折らないようにずっと黙ってたんですけど、スキルとかワームホールとかって……何の話なんですか?」
遠慮ではなく、完全に“理解が追いついていない”という声だった。
「あ、話してなかったな」
藤麻は額を指で押さえ、小さくため息をつく。すぐに咲良の方へ身体を向け、わかる範囲で異世界召喚やワームホールのことを噛み砕いて説明し始めた。
説明を聞き終えた咲良は、目をぱちくりさせながら、今度は藤麻にだけ聞こえるように小声で囁く。
「この前言ってた異世界の話って……冗談じゃなかったの?」
「冗談じゃないよ。俺でもまだ全部信じきれてないけどさ。でも、異世界帰りっていう人が二人もいるんだし」
藤麻も同じように小声で返す。
「二人とも、ただの厨二病って可能性は?」
「それは……可能性としては、まぁあると思う」
「いや、キツいでしょ。特にあの菊都さんっていうおじさんは、さすがに卒業するべきでしょ?」
「それはそう」
「お〜い。聞こえてるぞ〜」
菊都のツッコミが飛ぶ。やや呆れたが、どこか楽しそうでもあった。
「別に信じなくていいんだよ。俺たちが言ってるのは“あり得る可能性”の話なんだからな」
「そんなもんか……」
咲良が肩を落として呟いた、その直後だった。
ピンポーン。
突然インターホンの音が響き、場の空気がぴんと張りつめた。
誰もが一瞬だけ動きを止める。
「見に行ってくる」
短くそう告げると、菊都は眉を寄せながら玄関へ向かった。足取りは慎重で、扉の前で一度息を整える。ゆっくりとドアを開けた。
そこには、背の高い黒髪の好青年が立っていた。整った顔立ちに爽やかな笑み。だが、その笑顔の奥にわずかな影が見える。
「こんにちは」
落ち着いた、物腰柔らかな声。
「ええ、こんばんは」
菊都がそう返した次の瞬間。
「鈴音を返せ。カス犯罪者」
青年の口からは似つかわしくない低い声が響き、その拳が一瞬で菊都へ飛んだ。
菊都はとっさに腕で受けたものの、衝撃に耐えきれず体が後ろへ吹き飛ぶ。
「っ……!」
鈍い衝撃音が家中に響いた。
その音を聞きつけ、リビングにいた藤麻たちが駆けつける。状況を目にした鈴音が、思わず悲鳴をあげた。
「お兄ちゃん!やめて!」
その一言で、その青年は、振り上げた拳を寸前で止めた。
彼は菊都の胸ぐらを掴んだまま、驚いたように振り返る。
「鈴音!大丈夫か? このクソジジイに何もされてないか?」
「お兄ちゃん! この人は私を助けてくれた人!」
鈴音のその言葉に、青年の表情が一変した。
次の瞬間、彼は菊都の目の前で勢いよく土下座する。
「本当に申し訳なかった。妹のことになると周りが見えなくなってしまって……。顔以外ならどこを殴っても構わない」
唐突な展開に、場の空気が固まる。
「お兄ちゃんって……俳優の彰人さんじゃない? 兄弟だったの?」
冬花が驚いたように声を漏らす。
「ええ。変な熱愛報道が出てるけどね。あれを否定する前に私が行方不明になったせいでゴタゴタしちゃって」
藤麻はふと、咲良の様子が見えないことに気づく。
(あれ? 好きな俳優がいるのに、咲良の喜び声が聞こえない……?)
目線を探すと、咲良はソファで枕を頭に押し当て、ぶつぶつ何か唱えていた。
「何してんの? あれ、咲良の好きな俳優でしょ? 見なくていいの?」
「無理無理無理無理……! 確かに彰人様のご尊顔を拝見したいのは山々なんですが、メイクも崩れてるし、そもそも私みたいのがお近づきになっていいわけがないし……!」
「なぁに? 君、僕のファン?」
いつの間にか彰人がすぐ近くに来ていた。
「…………」
咲良は完全に固まり、声すら出ない。
「咲良〜? 咲良〜? ……ダメだこりゃ」
藤麻が呼びかけても反応なし。どう見てもキャパオーバーだ。
「ここまでなっちゃうくらい僕のこと好きなんて、嬉しいね」
彰人はにこっと笑い、ファンサを惜しまない。
「……というか彰人さんは何でここに?」
手を押さえながら菊都が戻ってきて尋ねた。
「鈴音のスマホにつけてるGPSを追ったらここにたどり着いたんだ。少し前まではGPSの反応が途切れていてね」
「あ、そういえばあの施設、妨害電波らしきものが出てたな」
冬花が腕を組みながら、首をかしげた。
「……やっぱり、分からないわね」
「何がですか?」
「外との連絡を遮断するために妨害電波を流すくらい用意周到なのに、なんで私たちみたいな行方不明事件を調べてる連中に、犯罪組織の名前をわざわざ教えてきたのかってこと」
「……確かに」
「犯罪組織の名前?」
鈴音が聞く。
「ええ。関川に会った時に、最近の行方不明に関わってるっていう組織の名前を教えてもらったの。“ラプラスの悪魔”っていう犯罪組織だって」
「ラプラスの悪魔? それ犯罪組織の名前なの? それ異世界の魔道具でしょ?」
鈴音は眉をひそめて言った。
「魔道具?」
「うん。異世界にいた時に聞いたよ。確か未来を予知できる本……異世界の三大魔道具の一つ」
「叔父さん、知ってた?」
「魔道具は専門外でな。冒険仲間には詳しいやつがいたが、俺はさっぱりだ……」
「その魔道具の名前を犯罪組織の名前にしてるってこと?」
「その可能性もあるが、単にその単語を出して俺たちの反応を探ってたって線もあるな」
菊都が言う。
「とにかく、その関川って奴が悪いことをしてるんでしょ? 私はそれを止めたいの。これ以上犠牲者を増やしたくないの」
鈴音の声は強く、揺るぎない。
「流石は私の推し」
冬花が頬をゆるめる。
「え!? 今度こそ私のファン!?」
「ええ、大好きです」
「やっとファンがいたぁ! 嬉しい! え、サインでもツーショットでも何でもやってあげる!」
鈴音は目を輝かせ、冬花に詰め寄った。
「ともかく、俺は鈴音さんと関川についての調査を続ける。その間、藤麻と冬花はワープ装置を頼む」
菊都がそう言ってその場を締めくくった。




