第7話
藤麻たちが軍需施設へ侵入する、さらに数十分前のこと。
「これ、どこに連れてかれるんですか?」
咲良は両腕を乱暴に掴まれ、薄暗い施設の廊下を歩かされていた。蛍光灯の冷たい光が床に無機質な影を落とし、男たちの靴音が規則的に響く。その中で放った問いに、誰も答えは返さない。ただ沈黙だけが咲良の耳に重くのしかかった。
「………」
「何が目的ですか?」
再び尋ねると、一番前を歩いていた男が苛立ったように肩越しに吐き捨てる。
「……黙れ。喋るな」
その声は低く、威圧的で、反論の余地を与えなかった。咲良は唇を噛み、また前へ引きずられるように進む。
そして、乱暴に押し込まれるように一つの部屋へ入れられた。
「……いってて……」
床に手をつきながら顔を上げると、そこには咲良の他に、同年代くらいの女の子が部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいた。茶髪のハーフツインテール、どこかで見たことがある顔だ。咲良はその正体に気づき、思わず目を見開いた。
「……大丈夫?」
彼女はかすれた声で咲良に話しかけてくる。
「え!? 井上鈴音さん!? アイドルの!?」
「え、ええ。そうだけど……私のファン?」
「……いや、むしろ憎んでます」
「何でよ!?」
「私の好きな彰人様と熱愛が……」
「彰人様?……ああ、お兄ちゃんのファンか。あれ、熱愛なんかじゃないから。ただの兄よ」
「え? お兄様なんですか!?」
「そう。でも説明する前に私が捕まったから、ずっと誤解されたままなのね……」
「そうだったんだ……周りでは井上鈴音が消えて、彰人様も姿を見せなくなったから駆け落ちしたって噂されてて……よかったぁ……」
咲良が胸を撫で下ろしたところで、鈴音が少しだけ苦笑した。
「多分お兄ちゃん、血眼で私を探してるわよ。あの人、筋金入りのシスコンだから」
「……なるほど……」
緊張が少しだけ和らいだが、現実に引き戻されるのは時間の問題だった。
「えっと、話が急に変わってすみません……ここは?」
「ここは、とある物理学者が運営してる民間の軍需施設よ」
「軍需施設? 何でそんなところに……?」
「ここで、とある研究をしてるの」
「とある研究?」
「……人間からエネルギーを生み出す研究よ」
咲良は息を飲んだ。
「人間から……?」
「最近、行方不明事件が多かったでしょ?」
「……そういえば……」
「その行方不明の人たちはみんなここに連れてこられてる。そして、研究材料にされてるの。私がそれを調べてたときに捕まったの」
「なんでアイドルがそんな……警察とかには?」
「もうしたけど、でも無駄だった。警察内部にも協力者がいる。多分、かなり上の人間」
「そんな……」
咲良の表情に不安が走った。それを見て鈴音は優しく言った。
「絶望してる時間なんてないわ。今はできることをしましょう。あなた、スマホ持ってる?」
「ありますけど?」
「貸して」
咲良はスマホを渡した。鈴音が少し操作すると、画面には「圏外」の表示が虚しく光っていた。
「やっぱり……繋がらないわね」
「大丈夫です。来る前に友達に助けてって……」
そこまで言いかけた時、胸が急にざわついた。
「どうしたの?」
咲良の不安げな顔に鈴音が問いかける。
「その……警察と関わってる犯罪組織に藤麻が……辿り着けるのかなって……大丈夫かなって……」
「藤麻? あなたがSOS送った友達?」
咲良はこくりと頷いた。
「はい……でも……あいつ、特にすごい才能とかあるやつでもなくて……ゲームがちょっと上手いくらいで……本当に来てくれるのかな……助けに来ても返り討ちにされちゃうかも……」
鈴音は優しく微笑んだ。
「その子のこと、本当に大事なのね」
「そりゃあ……まぁ……大事な友達ですよ……」
「いいわね。私はそういう友達、いないから……羨ましい」
鈴音がそう言った瞬間だった。
廊下から、人の悲鳴が響いた。
それに続いて、ドアノブが激しく揺れた。
ガンッ! ガンッ!
鈍い衝撃音が何度も鳴り、鍵が耐えきれず吹き飛ぶ。
破壊された扉の向こう。
そこには、息を荒げ、額に汗を滲ませて立つ藤麻の姿があった。
「藤麻!」
咲良の声が震えた。壊れたドアの向こうで、肩で息をしながら立っている藤麻の姿が見えた。額には汗が滲み、息を吸うたびに胸が上下している。ここに辿り着くまで、どれだけ必死だったのかが一目で分かった。
「はぁ、はぁ……咲良、ここにいたのか。よかった……」
安堵と焦りが混じった声だった。藤麻の視線がすぐ隣にいる女の子へ移る。
「えっと、その人は?」
「井上鈴音さん。この人も、ここに連れてこられた被害者みたい」
「わかった。ん?井上鈴音? あのアイドルの?」
「そう!」
藤麻の驚きに、鈴音は少し気まずそうに眉を下げた。
「あら?あなたは私のファン?」
「いや……有名人だな、くらいの感覚ですね」
「そ、そんな……私ってあんまり人気ないのかなぁ……」
一瞬だけ場が緩むが、藤麻はすぐに真剣な表情へ戻った。
「そんなことより、早く脱出しましょう。なんとか、知り合いの真似して、そこにいた警備員を気絶させたけど……ここに複数人来たらさすがに勝てない」
藤麻の視線はわずかに揺れ、恐怖を必死に抑えているのが咲良にもわかった。
「あ、でも、ちょっと待って」
咲良は鈴音の肩に手を添え、ゆっくりと立たせる。
「どうした?」と藤麻が振り返る。
「鈴音さん、足挫いてるみたいなの」
「あ……そういうことか。わかった」
藤麻は咄嗟に状況を組み直し、声のトーンを落とした。
「咲良はそのまま鈴音さんを支えてあげて。俺は前に警備員がいないか先導する。二人はできるだけ音を立てずに」
咲良は鈴音の腕を肩に回し、ゆっくりと一歩を踏み出す。鈴音は苦痛を噛みしめるように息を吸った。
三人は薄暗い廊下を進んだ。白い壁には非常灯だけがぼんやりと光を落とし、遠くで機械が唸る低い音が不気味に響いている。
藤麻は曲がり角の度に身を屈め、影に隠れながら周囲を確認した。
幸いにも巡回のタイミングを避けることができ、三人は建物の出口に繋がる通路に辿り着いた。
「……もう少しだ。行こう」
藤麻の小さな声に、咲良も鈴音も静かに頷いた。
そして三人は、警備員たちの視線を避け、慎重に出口へと向かっていった。
その道中、ふと気になったのか、鈴音は藤麻に尋ねた。
「……そういえば、あなた、どうやってここに侵入したの?」
藤麻がこれまでの経緯をかいつまんで説明すると、鈴音は思わず顔をしかめた。
「どうしたんですか?」
「いや……なんでそんな大胆なことをしてるのに、警報の一つも鳴らないの?」
その疑問に答えたのは、藤麻たちの背後から聞こえた別の声だった。
金髪で、チャラついた雰囲気の、どこか適当そうな男。彼が歩み寄りながら言った。
「それはね、警報なんて鳴らす必要がないからだよ。もう侵入者の場所は全部把握してるからさ」
「……あんたは?」
鈴音が睨みつけるように問う。
「ここの警備員だよ。唐木田淳って言いまーす。いやぁ悪いねぇ。ここに連れてこられた時点で、君らを生かして帰すわけにはいかないんだわ。上からそう命令受けててさ。…あー、でも人気アイドルの鈴音ちゃんを殺すのは、ちょっと気が引けるけどねぇ」
頭をぽりぽり掻きながら、唐木田は悪びれもなく言う。
「……あんたみたいな奴に……」
鈴音は鋭い目で睨んだ。
「“あんた”か、まぁ正しくは“あんたら”だな」
と唐木田が指を鳴らすと、いつの間にか、藤麻たちは複数の警備員に完全に囲まれていた。
全員が拳銃を構え、逃げ道はどこにもない。
「……やっぱり、ここまでスムーズに来れたのは罠だったってわけね。通りで妙に上手くいくと思ったわ」
鈴音が低く呟いた。
「あははっ、気づいた? 俺こういうの大好きなんだよ。一瞬だけ希望を見せて、最後に絶望に叩き落とすってやつ」
「悪趣味ね」
「大人しくお縄につきな。君らは足を挫いてる女の子一人。こっちは十数人。勝てないのは分かるだろ?」
唐木田がゆっくり近づいてきた、その瞬間
ガンッ!!
唐木田の頭に鉄パイプが命中し、見事に吹っ飛んで気絶した。
飛んできた方向を見ると、そこには菊都が立っていた。
「お?クリーンヒットか?」
「探偵さん!」
「よし、咲良って子は確保したんだな?」
「は、はい。私です」
「えっと……あなたは仲間?」
鈴音が菊都を見る。
「はい、そうです。俺の仲間です。それよりこの人数に銃向けられたら探偵さんでも詰みじゃないですか?」
藤麻が言うと、菊都は肩をすくめた。
「そんなことはねぇ。三人とも俺の後ろに」
ゆらりと前へ歩き出し、銃口を向ける警備員たちへと一歩ずつ踏み込む。
「全員撃てぇッ!!」
引き金が一斉に引かれた。
しかし、何人かの銃はカチカチと空撃ちするだけで弾が出ず、弾が発射された数名の銃弾もすべてあらぬ方向へ飛んでいった。
「なっ……!?」
動揺で体勢を崩した警備員たちを、菊都は一人ずつ、手際よく薙ぎ倒していく。
「ふぅ……片付いたか」
「探偵さん! 今の銃の不発、スキルの効果ですよね!? でも、なんで? 探偵さん、銃向けられたの初めてじゃないでしょ? なんでスキル使えたんですか?」
「ん?あー、発動条件を満たしてるからな」
菊都はそう言ってはぐらかした。
「スキルって……あなたもしかして異世界帰り?」
鈴音が目を丸くした瞬間、施設内に警報が鳴り響いた。
アナウンスが侵入者の警告を叫んでいる。
「詳しい話は後だ。とにかく逃げるぞ!」
三人は菊都に続き、急いで施設を脱出した。
外で待っていた冬花が鈴音を見て驚愕した声を上げる。
「え!?鈴様!?」
「冬花!説明はあと!今は逃げる!」
全員が車に乗り込み、冬花の荒々しい運転で山を越え、菊都の家へ向かって走り去った。
藤麻達がいなくなったその軍需施設内は、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
冷たい蛍光灯の下、唐木田を含む数名の警備員が床に膝をつき、額が床に触れるほど深々と頭を下げている。汗がぽたりと床に落ち、誰もが呼吸すらはばかられるような緊張に支配されていた。
彼らが頭を垂れる先に座っているのは、関川桔梗。
椅子に優雅に腰掛け、足を組み、土下座する男たちを見下ろすその姿は、ただそこにいるだけで場の空気を支配する圧を放っていた。
「申し訳ございません! 桔梗様! 侵入者を逃す挙句、捕まえていた研究材料まで逃しました!」
唐木田が震える声で叫ぶ。声が廊下に反響しても、桔梗の表情は微動だにしない。
「別に構わないよ。」
桔梗は静かに答えた。その声音が逆に恐怖を引き立てる。
「元々、この施設は捨てるつもりだったんだ。やはり、半グレやヤクザに警備や人攫いを任せるのは良くなかったか。ここに関しては僕のミスだ」
「い、いえ! 滅相もございません! 私達のミスで……!」
「まぁ、いいよ。」
桔梗の瞳が細められる。底知れない何かを隠しているような、冷たい光だった。
「おかげで、面白いものが見れそうなんだ」
その一言に、唐木田達はようやく息をついたように安堵の色を浮かべる。
だが、それはほんの数秒のことだった。
「……では、この後は?」
唐木田が恐る恐る尋ねる。
桔梗はゆっくりと立ち上がった。
「さっき言っただろう?この施設は捨てるつもりだと」
淡々とした声は変わらない。
ただ、その次の言葉だけが異様に重く響いた。
「それは、建物だけの話じゃない。君たちのこともだ」
気づいたときには遅かった。
桔梗の手が唐木田の首を掴み、そのまま軽々と持ち上げた。
「ひ、っ……が……!」
わずか数秒。抵抗する間もなく、唐木田の身体は力なく垂れ下がった。
そしてそのまま床に落とされると、桔梗は一切の慈悲なく他の警備員たちへも歩み寄る。
逃げようと背を向けた者。
許しを求めて泣きついた者。
武器を構えた者。
その誰一人として生きて施設を出ることはなかった。
数日後。
調査に訪れた加藤という警察によれば、施設内には一人の生存者もおらず、死体すら一つも残されていなかったという。
まるで誰も最初から存在しなかったかのように、
跡形もなく、完全に“消えていた”。




