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第6話

咲良が攫われる数十分前。


「……そういえば、探偵さんも冬花さんも、何で異世界について研究してるんですか?」


藤麻は、菊都が奢ってくれたラーメンの湯気に顔を少ししかめながら、箸を止めてふと浮かんだ疑問を口にした。


「いえ、元々異世界は関係なかったわ」


冬花は水をひと口飲み、まるで当たり前のことを説明するみたいに淡々と答える。


「ああ、そうだな。冬花が“とある研究”をしてるところに、俺が異世界から帰ってきて……そんな感じだったよな?」


菊都は背もたれに寄りかかり、ラーメンを啜りながら軽く笑う。


「とある研究?」


「ええ。研究というか、開発よ」


「何の?」


「どこでもドアよ」


「……まじかよ」


思わず藤麻は箸を落としそうになる。冗談かと思ったが、冬花の表情はいたって真剣だった。


「とある漫画の影響でね。どこでもドアを作ろうとしてたんだけど、行き詰まっちゃって。その辺りで異世界帰りを自称する叔父さんと出会ったの」


「ん?叔父さんと会った? え!?冬花さん、子供の頃から研究とかしてたんですか!?」


「ええ、そうよ」


あっさりと肯定され、藤麻は言葉を失った。


「まぁ、冬花は天才だからな」


菊都は誇らしげで、どこか“自分の手柄だ”と言わんばかりの顔をしていた。


「てか、その時の冬花さんは探偵さんの異世界帰りの話を真に受けたんですか? 俺でもまだ半信半疑なのに」


「いえ、真に受けてるわけじゃないわ。あくまで“可能性の一つ”として考えてるだけ。でも、叔父さんのスキルが本物っぽいことや、あなたの友達の伊勢くんが消えた映像に関しては……異世界に行った以外の説明がつかなかった。だから、少しだけ信憑性は増してきてるわ」


「じゃあ、探偵さんは何で異世界について調べてるの? 戻りたいとか?」


「いや、基本的には冬花の手伝いをしたいだけだな。異世界で一緒に冒険した仲間にも会いたいって気持ちもあるが……。でも冬花が笑ってくれるなら、それでいい」


「それ、叔父さん、ずっと言ってる」


冬花が呆れ半分、照れ半分で言い返す。


「そりゃあ、そうだろ。冬花は俺が本当の娘のように育ててきたんだ。笑っててほしいに決まってる」


「親がいなくなって、色々あってお金もなくなった私を引き取った時も……“子どもには笑っててほしい。お金は俺が稼ぐから任せろ。冬花は好きなことやれ”って言ってくれたもんね」


「探偵さん、カッケェ……」


藤麻が素直に言うと、菊都は胸を張った。


「だろ?」


「そして、その足で競馬に向かったのも覚えてるわ」


「やっぱりクズのエピソードじゃねぇか!」


「それで大勝ちしたのも覚えてるわ」


「忘れてた!ビギナーズラックがあるんだった!」


藤麻が突っ込んだ時、藤麻のスマホが、短く震えた。


(……誰からだ?)


送信者は咲良。

画面には “動画ファイル” と、“gfas” という意味不明な文字列だけ。

動画を再生すると、真っ暗で無音に近い映像が数秒続くだけだった。


「どうした?」


背後から覗いた菊都が問い、藤麻は不安混じりに状況を説明した。


「……何なんですかねコレ?イタズラか、酔ってるとか……?」


「いや、違うな。その咲良って子からのSOSだ」


菊都の声は急に鋭くなった。


「SOS?これのどこが?飲み会行くって言ってたし、酔ってるだけじゃ……」


「酔ってたらこんな文章は打てん」


菊都が淡々と言い放つ。


「この “gfas” ってやつですか?それこそ酔ってるでしょ」


「違う。フリック入力を“画面を見ずに”やった文字だ。本当は“ひらがな”で入力してるつもりだったが、英語入力になってたんだろう。試しにやってみろ。gfas を、ひらがなフリックで」


言われて藤麻はスマホを取り返し、メモを開いて入力してみた。


「えーっと…………た……す……け……め……?」


「“助けて”のことだろうな。おそらく、その咲良って子は画面をまともに見られる状態じゃないんだ。たとえば、縛られているとか」


「攫われたってことか……!?誰に!?」


「人攫いであることを考えると俺たちが追ってる“ラプラスの悪魔”の可能性は高いだろうな」


藤麻の顔から血の気が引いた。


「じゃ、じゃあ急いで助けにいくしか……!でもどこに……」


「考えてみろ。咲良は“動画”を送ってきた。暗闇の映像なんて、送る意味はない。重要なのは“音”だ」


冬花がすでにノートPCを開き、動画を解析ツールに放り込んでいた。


「……聞こえる音はいくつかある。これは、車の中ね。走行中。あと、重要なのは“踏切”の音」


藤麻はすぐに咲良の飲み会会場を冬花に伝えた。

冬花はその場でスマホ地図を開き、指先でスクロールしながら呟く。


「会場から車で移動できる範囲で、踏切は三つ……」


「冬花、それがわかれば十分だ。おそらく、ここだ」


菊都が地図の一点を指さす。


「その根拠は……?」


胸を張って言い放った。


「勘!」


「いや、勘って……」


「いえ、叔父さんの勘は百発百中よ」


「冬花さんまで!?なんでだよ!」


「決まってるだろ?“俺は攫われた子を探すのは初めて”なんでね。俺のスキルが使える」


「……ビギナーズラックか!」


冬花がタイミングよく画面を切り替えた。


「はい、踏切付近の監視カメラ。時間帯を絞ったら……黒い車は一台だけ」


そのまま冬花は別の監視カメラを次々にハッキングしていく。藤麻には理解できない速度で画面が切り替わり、数字やコードが走る。


しばらくして、冬花が手を止めた。


「ここら辺から先は、監視カメラが存在しない。山の方ね。車はこっちに向かってる」


藤麻は唇を噛んだ。


「じゃ、じゃあそこからは自分たちで?」


「いや、普通に警察よ」


冬花はすぐに通報し、ハッキングの件は誤魔化しつつ説明したが、電話を切ると、冷めた表情で言った。


「“子供のイタズラに付き合ってられない”って。前にもその山付近で似た通報があったみたいで、何も見つからなかったらしいわ」


「じゃ、咲良は……どこに……」


「……その山の中、地図アプリでみたら軍需施設があるみたい」


「そんなところに咲良が?」


「分からないわ。でも、周囲で人が常に出入りしてそうな建物はそこしかなかったの」


「軍需施設か…………」


「とにかく、そこに向かってみるわよ」


冬花の運転で、車は山の奥へと滑り込むように進んでいった。

外灯のない山道を、ヘッドライトだけが細く照らす。車内には緊張で言葉が生まれず、エンジン音だけが一定のリズムで響いた。


数十分後。


研究施設の近くに到着した冬花が車を停め、三人は静かに外へ降りた。

冷たい夜気が肌を刺し、山の匂いが濃い。三人は身を低くしながら茂みに潜り、研究施設の入り口をうかがう。


そこには、無機質なコンクリートの壁と重そうなゲート。そして、入り口には警備員が二人、交互に視線を巡らせている。

軍施設特有の張り詰めた空気が漂い、近づくだけで呼吸が浅くなる。


「見張り、二人……」


藤麻が思わず息を飲んだ時、施設のゲートが開き、ライトを照らして一台の車がゆっくりと外へ出てきた。


その車を見た瞬間、藤麻の背筋が跳ねる。


「あの車!?」


間違いない、咲良を攫ったあの車だ。

車体についた泥の模様まで、記憶に刻まれたものと一致していた。


「やっぱり、ここにいるのかしら?」


冬花の声が低くなる。


「ああ、だろうな」


菊都も眉をひそめ、拳を固めた。


「どうやって入る?」


「そりゃあ、人攫ってる施設が『どうぞご自由に』なんて言うわけねぇからな。侵入するしかないだろ?」


「分かったわ」


冬花は落ち着いた指先でノートパソコンを開き、猛スピードでキーを叩き始めた。暗闇の中、画面の光が冬花の横顔を青く照らす。

何をしているのか素人の藤麻には分からないが、不思議と安心感だけは覚える。


やがて冬花は二人に小型のイヤホンのような機器を差し出した。


「何ですかこれ?」


「通信機よ。これで繋がったら、施設内部の監視カメラを私がハッキングする。中の状況は私が逐一案内するわ」


「分かった。冬花も気をつけろよ」


菊都と藤麻は息を整え、通信機を耳へ装着した。

胸がざわつき続ける中、二人は茂みを抜け、施設の入り口付近へゆっくりと近づいていく。


人工灯が強く照らすゲート前に、見張りの男が二人。その警戒は厳しく、目の鋭さは野生動物のようだ。


通信機から、冬花の冷静な声が響く。


「まずは入り口の見張りね。施設内のシステムには私が侵入するから、通信機で状況を逐一伝えるわ。でも、人間まではハッキングできない。だからあの見張りだけは、あなた達で対処してちょうだい。ただの警備員よ。武装もしてないし、危害を加える必要もない。気絶させるだけでいいわ」


入り口の方を見ると二人の警備員は、施設入口前で談笑でもしていたのか、気の抜けた立ち姿だった。

それを見ながら、菊都はポケットを探り、指先で小さな硬い感触を確かめる。


「……行くぞ」


小声でそう言うと、ビー玉を数個つまみ出し、反対側の茂みへと軽く放った。


乾いた“コロコロ”という転がる音が夜の静けさに広がる。

二人の警備員は顔を見合わせ、警戒心よりも「なんだ?」という好奇心の方が勝ったらしく、音のした方へと歩き出した。


背中を完全に向けた、一瞬の隙。

菊都は猫のような静かな足音で背後に回り込む。


最初の一人の肩を、拳の底で強く叩きつけるように打つ。

「ぐっ……!」と短い声を漏らし、その警備員が膝をついた瞬間、菊都はもう一人に腕を回し込み、喉元を前腕で固く締め上げた。


「っ……あ……!」


苦しむ声がくぐもっていく。

うずくまっていた最初の警備員が顔を上げたが、菊都は一瞬でそちらへ手を伸ばし、同じように力を加えて意識を奪った。

殺さない、だが確実に動けなくする力加減。その手際は異様なほど慣れている。


「……よし、行けるぞ」


藤麻が頷き、二人で施設入口の影へ駆け寄る。


ちょうどそのときだった。

建物の自動ドアが“ピッ”と音を立てて開き、別の警備員が三人ほど、雑談しながら外へ出てきた。


「っ!」


藤麻はとっさに近くの茂みに身を滑り込ませる。

しかし菊都は隠れるタイミングを逃した。完全に視界に入ってしまっている。


「お、おい!誰だ!」


警備員が声を上げる。

菊都は一瞬だけ藤麻の隠れた方を見た。

その目は「行け」と強く訴えている。


「わりぃな!説明はあとでしてやるよ!」


菊都は走り出した。

「待て!」

複数の足音が追いかけていく。闇の中にその音が遠ざかる。


そして、残されたのは、誰にも気づかれなかった藤麻だけ。


喉がひりつくような緊張の中、藤麻は息を殺して建物の内部を見据えた。


(……咲良、ここにいんのか?)


彼は静かに、誰にも気づかれないまま、軍需施設の中へと足を踏み入れた。


そこへ、通信機から冬花の声が短く響いた。


『叔父さんが時間を稼いでるみたいだから、今のうちに探しに行くよ』


「分かった」


だが、数歩進んだところで


ザーッ……。


通信機からノイズが走り、完全に途切れた。


「……妨害電波か?」


藤麻は通信機を外し、ポケットに押し込む。


一人で進むしかない。

緊張で喉が乾く。息を抑えながら、薄暗い廊下をさらに奥へ進んでいった。


角を曲がった刹那、巡回中の警備員の影が見えた。


(やべっ!)


近くの扉に手をかけ、勢いのまま中へ滑り込む。ドアの隙間から警備員の足音が通り過ぎるのを聞き、藤麻はようやく小さく息を吐いた。


部屋の中を見渡すと、そこは誰かの私室のようだった。整理された机の上に資料が散らばっている。その中の一枚に


《異世界》


という文字が視界に飛び込んでくる。


「……なんで、こんなとこに」


気になって資料に手を伸ばしかける。

だが今は優先すべきことがある。


(咲良を……見つけないと)


藤麻はスマホを取り出し、資料を一枚ずつ素早く撮影した。何かの手がかりになるかもしれない。


撮影を終えると、部屋を静かに後にし、再び咲良を探し始めた。


藤麻がその部屋から静かに扉を閉めて出ていったあと。

ついさっきまで誰もいないと思われていたその薄暗い私室の影から、一人の男がゆっくりと姿を現した。


彼は驚いた様子も焦った様子もなく、まるで獲物が自ら檻に入っていくのを眺めるような、穏やかで不気味な微笑を浮かべていた。


「……ほう。実に面白い」


その男は藤麻が去った方を眺めながらそう一言、低くつぶやいた。


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