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第5話

「じゃあ、しばらくその探偵事務所でアルバイトをするの?」


「うん。だから今日も、ご飯とかは先に食べてていいよ」


「いや、今日は私もサークルの飲み会があるからいいんだけどさ」


軽く肩をすくめながら咲良が言う。

公園のトイレで死体が発見された事件から数日。外の空気も、街のざわめきもすっかり日常に戻りつつあるころ、藤麻は“最近起きたこと”をようやく咲良に話したところだった。


「ねぇ、でもさ。異世界とか、そういうのはよくわかんないけど……あんまり危険なことに首を突っ込まないでよ」

咲良は心配そうに言った。


「うん。分かってるよ」


その後、二人は大学へ向かい、講義を受け終えると、藤麻はそのまま菊都の家へと向かった。


リビングの扉を開けた瞬間、ため息が聞こえた。


「……はぁ」


冬花がソファの背にもたれて項垂れている。あからさまにテンションが低い。


「どうしたんですか? あれ?」

藤麻はソファで寝ていた菊都に聞く。


「あー、なんか、推しのアイドルが行方不明になったらしいぜ」


「推しのアイドルって……」


「ほら、この前、俳優と熱愛の噂が出てた奴だよ。えっと……」


「井上鈴音でしたっけ?」


「そうそう」


(推しだったのか。今思えば、確かに入社試験の時に見せてきた画像……あれ、井上鈴音との匂わせ画像を撮ってたのか)


「で、今日調べる行方不明者は? もしかして、その井上なんとかってやつか?」

菊都が聞いた。


「いや……調べたい気持ちは非常にあるのだけれど……今日調べるのはこっち」


冬花は小さく息を吐き、葛藤を押し隠すようにタブレットを差し出した。


映っているのは、拳銃を片手に何かから必死に逃げる男。


「何ですか、これ……?」


「この前、あなた達が死体を見つけた公園近くの監視カメラ映像よ。その事件が気になって、少し調べたの」


「あれ? 冬花さん。その事件の話をした時、こう言ってましたよね?“私には何もわからないけど、異世界から戻ってきた人の可能性はあるわ。けど死人に口なし。それを聞く手段がないから調べる必要もない”って」


「ええ。でも、叔父さんがとある仮説を話してくれてね」


「仮説?」


「この前の公園の事件が、異世界帰りのスキル持ちが起こした可能性」


「ああ、なるほど」


冬花は続きを説明した。

「そう。それで、この映像はその公園の事件の被害者について調べてたら出てきた動画よ」


「公園での事件の被害者について?」


「ええ。被害者は矢口俊太・二十三歳、会社員。だけど裏で色々やってた。未成年関連の犯罪とか、反社会勢力との繋がりも。で、その反社会勢力に関わる人物を追っていたら、この監視カメラ映像を見つけた」


「あれ? そんな情報、ニュースで出てましたっけ?」


「……最近の警察ってセキュリティ甘いわよね」


「ハッキングしたのか、こいつ……」


「で、この映像なんだけど。この路地裏に逃げ込んだところまでは映ってる。でも、その後の姿がどこにもない。この路地裏は行き止まりのはずなのに、出てくる映像もないのよ」


「……ちなみに、この監視カメラの映像は?」


「……最近の監視カメラのセキュリティって甘いわよね」


「はちゃめちゃに犯罪者じゃん」


「まぁ、いいんじゃねぇの?」


「よくはないだろ」


「藤麻は“法律違反は悪”だと思ってるのか?」


「は?悪いことだろ?」


「本当にそうか?」


菊都が淡々と言った。


「未成年だとか、障がいのあるものとか、責任能力がないと判断された奴は減刑されるだろ?」


「……まぁ、ありますけど。刑法三九条ですね」


「その法律、理にかなってるか?」


「それなりには……」


「じゃあ、大事な人をそいつに殺されても、“責任能力が無いから無罪”で納得できるか?」


「………」


「少なくとも俺は無理だね。殴り殺したくなる。……でも法律はそれを悪と呼ぶ。つまり、法律は善悪の判断ができるツールじゃないってこった」


「……言いたいことはわかりますけど……今回のハッキングとは関係ないですよね?」


「お、バレた?」


「はぁ……まぁ、誰かに迷惑かけてるわけでもないからいいですけど」


「そうだそうだ。バレなきゃ犯罪じゃないって有名な言葉もあるしな」


「で、その監視カメラの男が今回調べる人?」


「ええ。田口颯太・二十五歳。この前の公園の被害者と同じ犯罪組織と関わりがあった人物よ」


「で、その映像の通り、何かから逃げて路地裏に入って以来、行方不明になった……ってこと?」


「ええ。だから今からその路地裏を調査しに行く」


そして、藤麻、菊都、冬花の三人は、監視カメラ映像に映っていた路地裏へ向かった。


夕日が差し込む細い道の奥は、確かに袋小路になっている。周囲にドアもなく、建物の壁は古くて雨水の跡が黒く残っていた。


「……ここが、映像にあった路地裏ですよね。行き止まりだし、抜け道とか、入れるドアとかないですよね。上に登った、とかはどうですかね?」


藤麻は壁の凹凸を触りながら言った。


「登ったとしても、その建物から出る時に監視カメラに映るはずよ。建物内に潜んでる可能性はあるけど……あり得るかしら?」


「極めて可能性は低いだろうな。そもそも映像の夜は土砂降りだった。あんな滑りやすい状況で登るのは難しい。ましてや誰かに追われて焦ってる状態でな」


冬花の問いに菊都が答えた。


「確かに……拳銃持ってるのに撃ちもせずに逃げるなんて、かなり焦ってますよね」


「弾切れとか、銃が撃てない状況。もしくは“撃っても意味がない相手”だったか、だな」


「撃っても意味がない状況?そんな人間います?」


「普通はいない。だが、異世界帰りのスキル持ちなら可能になる場合がある」


「なるほど……」


「じゃあ、この男を追ってた人物は異世界帰りの可能性があるってことですね」


「ほう。異世界帰りか。実に面白い仮説だ」


背後から声がして振り返ると、いつの間にか知らない男が立っていた。


「あ?誰だ?」

と菊都が前に出る。


男は軽く笑いながら言う。


「僕はしがない研究者さ。この辺の公園のトイレで死体が見つかったろう? あれを調べている」


「なんで研究者が……」


「ただの知的好奇心さ」

男はふっと笑った。


「そうか。俺たちも調べてるんですよ」


「ほう!そうか。それなら、この不可解な難事件を追う“同士”として情報交換をしないかい?目撃情報がゼロでね」


「……それは良いですね。とはいえ、こっちは有益な情報ってほどのものは掴めてないんですけど」


「何でもいい。例えば目撃情報は?怪しい男を見たとか」


「いや、今から調べるつもりで……すみません」


「いやいい。ところで、君たちはこの前の公園での事件の手口をどう考えてる?」


「いや、特に分かってないですね」


「仮説でいい。さっき言ってた異世界の話は、どうなんだ?」


「いや、それはこいつの書いてる小説の話ですよ。全く関係ありません」


菊都が無理やりニコニコ笑顔を作り、藤麻の肩を組んで藤麻を指さした。


「……そうか」


男は一瞬だけ、じっと藤麻を見た。


「すみませんね。あまり協力できなくて。……あ、そちらには仮説が?」


「ああ。成人男性をあんな狭い空間に“閉じ込めた”手口。それはトンネル効果だ」


「トンネル効果?」


藤麻が首を傾げる。


「本来越えられないエネルギーの壁を粒子がすり抜ける現象よ。確率で壁の向こうに“出ちゃう”の。ただし粒子レベルの話だけどね」


冬花が補足する。


「それを人間が疑似的に起こせるとしたらどうだ?そんな技術があるとしたら?」


「あるのか?」


「安心したまえ。仮説の域を出ない。ただの可能性の話だ」


「面白い仮説ですね。……いや、本当に何も知らなくてすみません」


「いやいい。僕が知っていることを教えてやろう」


「知っていること?」


「…………ラプラスの悪魔は知ってるかい?」


「もしこの世界のすべての情報を完全に知っていたら、未来も過去も全部予測できるってやつ?」


「いや、古典物理の比喩じゃない。“ラプラスの悪魔”という犯罪組織の名だ。主に人攫いをしている」


「人攫い?何のために?」


「さぁな。ただ最近、この周辺で行方不明が多発している。僕は今回の事件とも関係があると見ている。僕から提供できる情報は以上だ。では」


男は去っていった。


「「……ほっ」」


菊都と冬花が同時に息を吐く。


「どうしたんですか?二人とも。あと、小説なんて書いてないんですけど?」


「あ?お前気づいてなかったのか?」


菊都が呆れたように言う。


「何を?」


「目撃情報ゼロって言ってたくせに、なんで“怪しい男を探してる”なんて言い出した?……あいつが犯人か、事件に関わってるか、のどっちかだろ」


「あ、そうか……すげぇ。本当に探偵みたいだ」


「本当に探偵なんだが?」


「てか、さっきの人誰だったんだ?」


「彼は有名な物理学者よ。関川桔梗。若くして宇宙関連の論文を出して、今はどこかの大学で教授をしてる」


「そんな人が、公園のトイレの死体や路地裏の消失事件に関わっているんですかね?」


「わからん。そもそも二つの事件が無関係な可能性もある」


「でも、少なくともその事件の被害者と関わりのある“ラプラスの悪魔”って犯罪組織を調べれば何かは掴めるわね」


「どうやって調べるんですか?」


「どんな手を使ってでも、私が調べるわ」


「あんまり犯罪は良くないと思いますよ」

また、ハッキングするつもりなのかと思い藤麻は注意するように言った。


「大丈夫。許してる藤麻くんも共犯だから」


「まじかよ……」


その日の夜。

藤麻たちが路地裏の調査を終えた数時間後、咲良は大学サークルの飲み会に参加していた。


居酒屋の個室には明るい笑い声が満ちていて、テーブルいっぱいに料理が並んでいる。

勉強もバイトも忘れられる、久々に気が楽になる時間だった。


「咲良ちゃんって、映画好きなの?」


ふいに隣から声がして、咲良は顔を向けた。

そこに座っていたのは、サークルに新しく入ったという青年。

柔らかい雰囲気で、落ち着いた声。顔も、咲良の“どタイプ”だった。


「え、あ……はい。好きです」


「へぇ、なんか意外ですね。もっとアクティブな趣味持ってそうなのに」


「そうですか?」


他愛もない会話なのに、妙に楽しかった。

グラスが進むにつれて、頬が熱くなる。笑い声が近くなっていく。


気づけば、視界がぼんやりと滲み始めていた。


(……あれ? なんか、すごい眠い……)


周りの声が遠のき、まぶたが重くなる。

返事をしようとしても舌がうまく回らなかった。


「大丈夫?ちょっと飲みすぎたのかな」


隣の青年が心配そうに覗き込む。

その顔がにじんで、二重にも三重にも見えた。


(ちがう……こんなに飲んでない……)


喉の奥で、その言葉がふわりと溶ける。

テーブルに突っ伏した瞬間、意識は深い闇へ沈んでいった。


数時間後、咲良は車が走るときの低い振動が背中に伝わり、咲良はゆっくりと目を開けた。


(……どこ……?)


まず最初に感じたのは、冷たいシートの感触。

次に、両手首と足首に食い込む硬い感触。縛られていた。口元にはタオルが強く巻かれていて声が出ない。パニックが喉から込み上げるのを、必死に飲み込んだ。


(落ち着いて……落ち着け……)


体勢を少し動かすと、ポケットの中で何かが固く当たった。


(スマホ……ある……!)


手が自由ではない。

だが、縛られた腕を無理やりねじり、指先だけでポケットを探る。

やっとの思いでスマホを取り出すと、画面は見られないが、手の感触だけで操作を進める。


動画撮影。

送信相手はいつも一番上に出てくる藤麻。


(お願い……気づいて……)


震える指で送信ボタンを押す。

さらに助けてと一言おくる。


車はどこへ向かっているのか分からない。

窓は真っ黒で夜景さえ映らない。


(藤麻……早く……)


咲良の視界は涙でにじみ、車は闇の向こうへと走り続けていた。

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