第22話
十二月の初め。吐く息が白く染まり、空気が肌を刺すように冷たい。
藤麻たちは、都会の喧騒から切り離されたような場所に立っていた。
駅と呼んでいいのかも怪しい、無人駅の小さなホーム。改札はなく、木製のベンチが二つ並んでいるだけだ。周囲を見渡せば、舗装の甘い道路と枯れた田んぼが広がり、遠くには低い山影が連なっている。風に揺れる電線の唸るような音だけが、やけに大きく耳に残った。
「……想像の五倍は田舎だったな。つか、寒い」
藤麻はマフラーに顔を埋めたまま、ぽつりと呟く。
「だから言ったじゃないっすか。超がつくほどのど田舎だって」
先頭を歩く沙羅は振り返りもせずに答えた。
ブーツで砂利を踏みしめる音が、乾いた空気の中にやけに響く。
「想像はしてたけどさ……」
龍也は周囲をきょろきょろと見回し、言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「本当に何もねーな」
「褒めてます?それ」
「いや、事実確認」
「事実っすけど!」
沙羅は即座に言い返した。
少し後ろでは、彰人がスマホを取り出して電波状況を確認し、数秒で諦めたようにポケットへしまう。
「圏外か。まぁ、ネットから切り離された空間ってのも、悪くないね」
さらにその後ろでは、菊都と真央が何やら楽しそうに話をしている。
「車を借りれる場所が近くにあるんで、とりあえず、そこまで、少し歩きましょう」
では、なぜ藤麻たちは、こんな“ど田舎”に来ているのか。
それは、今から五日前のことだった。
***
5日前、菊都の家にて。
「菊都さん。うちの地元を、救ってください!」
突然そう切り出した沙羅の言葉に、菊都は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
「……地元?」
思わず聞き返す。
沙羅は大きく頷くと、少しだけ居心地が悪そうに視線を泳がせた。
「はい。そうっす。うちの地元、超がつくほどのど田舎なんすけど……そこで、昔からずっと頭を悩ませてる問題があるんすよ」
その声は、先ほどまでの軽口とは違い、わずかに硬さを帯びていた。
「白唸りっていう、化け物の話っす」
「白唸り?」
菊都が眉をひそめる。
「聞いたことねぇな」
「もっと世の中に浸透してる名前で言うと……くねくねっていう化け物っす」
その単語が出た瞬間、リビングの空気が、ほんのわずかに張り詰めた。
「くねくねって……都市伝説の?」
藤麻が確認するように口を開く。
「なんか、名前は聞いたことあるけど、詳しくは知らないな」
咲良は首を傾げ、藤麻の方を見る。
「Hey、藤麻。くねくねについて教えて」
「Siriか、俺は」
藤麻は苦笑しながらも、少し考えるように視線を落とした。
自然と集まる皆の視線を感じ取り、静かに口を開く。
「……くねくねってのは、ネットで有名になった都市伝説の怪異だ」
そう前置きしてから、淡々と語り始める。
「舞台はだいたい夏の田舎。田んぼとか、川沿いとか、遠くがよく見える場所に現れるって言われてる。白い布みたいな、細長い人影みたいなものが……遠くで、くねくねと揺れてる」
「近づくと、どうなるんですか?」
彰人が、興味と不安の入り混じった声で尋ねた。
「基本、近づいちゃダメなんだけど……」
藤麻は小さく首を振る。
「遠くから見てる分には問題ない。でも、正体を“理解”したり、顔をはっきり認識したりすると……」
一瞬、言葉を切る。
「見た人間は、発狂するか、廃人になるって言われてる」
部屋が、しんと静まり返った。
「発狂……?」
鈴音が、小さく呟く。
「昔は“見たら死ぬ”とか“呪われる”って言われてたけど、今は精神に異常をきたすって話が多いらしい。正体は人間だとも言われてるし、そうじゃないとも言われてる」
「曖昧すぎない?」
咲良が率直に言った。
「都市伝説だからな。はっきりした設定はない」
藤麻は肩をすくめる。
「そのくねくねが、沙羅さんの地元に?」
菊都が視線を向ける。
「ええ。最初は害なんてなかったんす。白いもやみたいなものを見た、って目撃情報があるだけで。でも、それを見た人たちが……次々と怪我をしたり、亡くなったりしてるんす」
沙羅は一度息を飲み、続けた。
「うちの家族はまだ大丈夫なんすけど、ご近所さんだった人が、白唸りを見てからずっと何かに怯えてたり、急に笑い出したりするようになって……」
「……冬花、どう思う?」
菊都が問いかける。
「くねくねの都市伝説自体は、私も聞いたことあるわ。風に揺れる案山子だとか、熱中症で見た幻覚だとか、そういう説明が多い」
冬花は腕を組み、少し考えるように視線を落とす。
「正直、私もそうだと思ってた。そんなもの、存在しないって」
「思ってた?」
「ええ。でも、今ならあり得ると思う」
冬花は顔を上げる。
「その“くねくね”が、異世界帰りのスキル持ちの仕業だって可能性。考えられなくはないでしょう?」
「……なるほどな」
菊都は短く頷いた。
「よし。じゃあ、異世界専門の探偵として、その依頼引き受けよう」
「あ……あの……依頼料って、いくらくらいになるんすか?」
おずおずと沙羅が尋ねる。
「別にいいわよ」
冬花が即答した。
「沙羅ちゃん、学園祭の時に私たちのこと助けてくれてたし。それでチャラってことで」
「……だとさ」
菊都が苦笑する。
「とりあえず、行く予定を決めようか」
「え! 私も行きたい!」
真っ先に声を上げたのは鈴音だった。
「何でだ?」
菊都が聞く。
「だってさ、学園祭の騒動でマスコミがうるさいし。ほとぼりが冷めるまで逃げるには、ちょうどいいじゃない?」
「今は仕事も活動休止中だしな。旅行するなら、確かに悪くないタイミングだ」
彰人も同意する。
「旅行って言えるほど、何かある場所じゃないっすよ。うちの地元」
沙羅が苦笑する。
「……でもいいなぁ。私もマスコミの質問責め、正直きついし」
咲良がぽつりと言った。
「まぁ、鈴音さんはスキル持ちだからいいけど、他は危険かもしれないな……」
「スキル持ちだから安全、ってわけでもないでしょ? 実際、アセビ相手にスキル持ちが全滅してたんだし。人手は多い方がいいと思うけど」
鈴音の言葉に、菊都は小さくため息をついた。
「……それもそうか。分かった。来たい人は来ていい。彰人さんは、どうせ来るんだろうが」
「もちろん。鈴音が行くなら、行かない理由がない」
「藤麻は? どうする?」
「……咲良は来る?」
「そもそも、どんな所なの?」
「マジで何もないっすよ。温泉があるくらいで」
「温泉……それはちょっと興味あるけど。でも、私行っていいの? 探偵事務所で働いてるわけじゃないし、バイトも……」
そう言いかけた時、部屋の扉が勢いよく開いた。
「話は聞かせてもらったよ!」
現れたのは、塚田真央だった。
「え? 店長?」
「あ、どーもでーす」
その後ろから、ひょっこり斉藤龍也が顔を出す。
「龍也は何してんの?」
藤麻が呆れたように聞く。
「あ? こいつは、さっきここに来る途中で拉致った」
真央は平然と答えた。
「拉致られましたー」
「まぁ、いいじゃないか」
真央は豪快に笑う。
「マスコミがうるさくて、店も長期休暇取るつもりだったんだ。プチ旅行として、ちょうどいい。なぁ、咲良?」
「店長がそう言うなら……」
「咲良が行くなら、俺も行く」
藤麻が即答した。
「で、真央ちゃん。持って来てくれた?」
冬花が尋ねる。
「もちろんだよ。はい、これ。頼まれてた機材」
紙袋を手渡す。
「何ですか、それ?」
「ワープ装置の機材。まだ足りないのがあったからね。それと、真央ちゃんが来てくれるなら、ちょうどいいや」
「ちょうどいい?」
「私は今回、白唸りの件については同行しないつもりだったから。車の運転できる人、いないでしょ?」
「おう、任せろ。……ところで、白唸りって何だ?」
その後、藤麻たちは改めて真央たちに事情を説明した。
「めっちゃ面白そうじゃん。俺も行きたい」
龍也が目を輝かせる。
「じゃあ、お前も来い」
真央が即決した。
「てことは……」
沙羅が指を折りながら数える。
「俺と、鈴音ちゃんと、彰人さんと、藤麻さんと咲良ちゃんと、真央さんと龍也くん……?」
「めっちゃ大人数っすね。でも、うちの家族も賑やかになるって喜ぶと思います」
「叔父さん、お土産よろしくね」
冬花が軽く言った。
こうして、沙羅の依頼、そして半ば強引な“旅行”は決まり、藤麻たちは今に至る。
***
「着きましたー! ここが、うちの実家っす!」
しばらく車に揺られたあと、レンタカーを降りた沙羅がそう言って振り返った。
運転席に座っていた真央がエンジンを切ると、辺りは一気に静けさに包まれる。
「ここって……?」
藤麻は、沙羅が示した先へと視線を向けた。
そこにあったのは、想像していた“田舎の一軒家”とは、まるで違う建物だった。
古い木造の温泉旅館。二階建ての建物は、長年の風雪に耐えてきたことを感じさせる佇まいで、黒ずんだ瓦屋根は角が丸くなっている。軒先には白地に墨字で屋号が書かれた暖簾が掛かり、風が吹くたび、布がかすかに揺れて乾いた音を立てた。
玄関へと続く石畳には、ところどころ苔が生え、決して新しくはないが、不思議と手入れの行き届いた印象を受ける。
建物の奥からは、硫黄と湿った木の匂いが混じった、温泉特有の香りがほんのりと漂ってきた。
「……旅館?」
咲良が、思わず声を漏らす。
「しかも、ちゃんとしたやつだな」
龍也が感心したように言った。
玄関脇には年季の入った木製の看板が立て掛けられており、文字はかすれているものの、この宿が長い年月をこの土地で過ごしてきたことだけは、はっきりと伝わってくる。
背後には低い山々が連なり、旅館を囲むように静かに佇んでいた。
周囲に他の建物はほとんどなく、聞こえてくるのは風が木々を揺らす音と、どこかで湯が流れる微かな音だけだ。
「……思ってた実家と違う」
藤麻が率直に呟く。
「でしょ?」
沙羅は、どこか誇らしげに笑った。
「代々、温泉宿やってる家なんすよ。田舎ですけど、これだけはちょっと自慢っす」
中へ入ると、スタッフと思われる人物がすぐに出迎えてくれた。
「沙羅様。お待ちしておりました。沙羅様のご友人の皆様も、お待ちしておりました。事情は伺っております。お荷物、お預かりしますね」
「ちょっと、様はやめてくださいっす」
沙羅が慌てて言う。
「もしかして、沙羅ちゃんって結構お金持ちなの?」
龍也が興味津々といった様子で聞いた。
「うちじゃなくて、うちの親が、っす」
「えー、じゃあこれ、沙羅ちゃんとくっつけば逆玉の輿、狙えるんじゃ?」
「そんな考えの人とは、くっつかないんじゃない?」
藤麻が即座に切り捨てる。
「最低だね」
鈴音が冷たく言った。
「いやいや、冗談ですよ? 俺は冬花さん一筋だからね」
「はいはい、部屋行こっか」
「行きましょう」
「ねぇ、冗談だからね? 本当に、本当に」
そんなやり取りをしながら、一行はスタッフに案内され、客室へと向かった。
客室は男女で分けられ、荷物の整理が終わったらロビーで合流する、ということになった。
「じゃ、後でロビー集合っすね。迷子にならないでくださいよー」
沙羅がそう言って手を振り、女性陣を連れて廊下の奥へ消えていく。
「……あの感じで実家が旅館って、だいぶ勝ち組だよな」
龍也がぽつりと呟いた。
「まだ、逆玉の輿狙ってんのか?」
藤麻は呆れつつ、部屋に入る。
「狙ってねーよ!」
男部屋は畳敷きの和室で、障子越しに差し込む冬の夕暮れの光が、部屋全体を柔らかく染めていた。古い建物特有の木の匂いと、どこかから漂ってくる温泉の香りが混じり、妙に落ち着く空間だ。
「修学旅行思い出すな」
彰人が荷物を置きながら言う。
「夜中に枕投げとかすんなよ」
菊都が釘を刺す。
「しませんよ! ……多分」
そんな他愛のない会話を交わしながら、それぞれ荷物を解き、上着を脱ぎ、身支度を整える。
やがて時間を見計らい、一行はロビーへと向かった。
ロビーは、客室以上に“昔ながら”の空気を色濃く残していた。太い梁が露出した高い天井、年季の入った木製の調度品。壁際には古い写真や表彰状が飾られている。
囲炉裏のそばには浴衣姿の女性陣が集まっており、その中央に腰掛けていたのは、沙羅とどこか面影の似た中年の男性だった。落ち着いた佇まいで、年齢以上に老けて見えるのは、長年この土地で暮らしてきたせいだろうか。
「お、来たみたいだね」
男性は立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。
「沙羅の父の悟です。遠いところを、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
菊都が一歩前に出る。
「探偵の菊都です」
「話は娘から聞いています」
そう言って、悟は、一度視線を伏せた。
「……白唸りの件、ですよね」
その言葉に、場の空気が自然と引き締まる。
「被害は、もう十年以上前から出ています」
淡々とした口調だったが、その声音には、隠しきれない疲労が滲んでいた。
「最初は、“白いものを見た”という話だけでした。田んぼの向こうに人影のようなものが立っていた、とか。夜道で、何かが揺れていた、とか」
「それが、次第に……」
沙羅が言葉を継ぐ。
悟は静かに頷いた。
「ええ。見たと言っていた人間が、次第におかしくなっていった」
「具体的には?」
菊都が静かに尋ねる。
「意味もなく怯える。誰もいない場所を指差して叫ぶ。突然笑い出す……そして」
一拍、間を置く。
「自ら命を絶った者もいます」
ロビーに、重たい沈黙が落ちた。
「事故として処理された者も多い。山での転落、川での溺死……ですが、共通しているのは、皆“その前に白唸りを見た”と言っていたことです」
「生き残った人は?」
藤麻が尋ねる。
「……廃人同然です」
悟は苦しそうに眉を寄せた。
「言葉を失い、目に光がなくなり、何を聞いても反応しない。今も、村の外の施設で暮らしている人もいます」
「……それは都市伝説の範囲、完全に超えてるね」
彰人が低く言った。
「はい」
悟は、はっきりと頷いた。
「だから、私はあれを“噂”や“迷信”だとは思っていません」
囲炉裏の炭が、ぱちりと音を立てる。
「白唸りは、今もいます。この村のどこかに」
その言葉を合図にしたかのように、外で風が強く吹き、障子がかすかに鳴った。
藤麻は、なぜか胸の奥がざわつくのを感じていた。




