第21話
大学での騒動から数日が経ち、街もようやく少しだけ落ち着きを取り戻し始めた頃だった。
「……てな感じで。俺は途中で気絶してたから、多分、後のことは店長が全部やってくれたってことかな」
藤麻はそう締めくくると、小さく肩をすくめた。
菊都の家のリビングには、藤麻たちが集まり、ゾンビ騒動の最中に起きた出来事を一通り共有していた。
「やっぱり、思い出せんな。本当にそんなことがあったのか?」
ソファに深く腰掛けた菊都が、眉をひそめる。
記憶の空白に手を突っ込もうとして、何も掴めずにいるような表情だった。
「あの騒動の中で一度“亡くなった”人間は、記憶を失ってるみたいだから仕方ないわ」
冬花はパソコンの画面から目を離さず、淡々と答える。キーボードを叩く音だけが、やけに規則正しく部屋に響いていた。
「にしても、大変なことになっちゃったね。もうマスコミが、あちこちで動いてるよ」
咲良がカーテンをほんの少しだけ開けて外を覗いた瞬間、無数のシャッター音が重なって響いた。
反射的に、すぐカーテンを閉める。
「あの騒動に巻き込まれた学生に、めちゃくちゃインタビューしてるみたい。学園祭にいた私にも何度もしつこくて、正直うんざり」
鈴音が露骨に顔をしかめた。
「仕方ねぇだろ」
菊都はため息交じりに言う。
「あそこにいたゾンビだの、宝物の小道具だのは、スキルの影響で出てきた幻じゃなくて……本物の死体だったんだし」
その言葉が落ちた瞬間、リビングの空気がわずかに重くなる。
「あの死体って、関川が殺した人間ってことですよね?」
彰人が慎重に言葉を選びながら尋ねた。
「関川が運営してた軍需施設の関係者の死体が複数見つかったらしい。そう考えるのが妥当だろ」
短い沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、藤麻だった。
「それよりも一つ、気になってることがあるんですけど」
全員の視線が、自然と藤麻に集まる。
「関川が言っていた、アセビのスキルの話です。
人を傷つけることができない、って」
「そこ、私も引っかかってた」
咲良が頷く。
「だって、龍也は実際にゾンビ化してたし、どう考えても、結果だけ見れば傷ついてるよね」
「俺達は、その辺の記憶が抜けてるからな」
菊都が低い声で言った。
「何がどうなってゾンビ化したのか、アセビが直接何をしたのか……そこが分からねぇ以上、断定はできねぇ」
「それはそうなんですけど」
藤麻は一拍置いてから続けた。
「探偵さんや、彰人さん、鈴音さんは一度死んでるわけじゃないですか。この時点で、結果だけ見ればアセビは人を傷つけてる」
彰人と鈴音が、わずかに身じろぎする。
「でも、亡くなった人が元に戻ったのは、バグを使ったからですよね」
「……そうだな」
「そのバグって、アセビのスキルの範疇じゃなくて、完全にイレギュラーじゃないですか」
藤麻は、そこではっきりと言い切った。
「つまり、バグがなかったら……アセビは“人を傷つけていた”ことになります」
室内が、静まり返る。
「ってことは」
藤麻は視線を上げ、全員を見回した。
「アセビのスキルそのものに、“人を直接傷つけない”何かが組み込まれてるんじゃないかって、思ったんですけど……違いますかね」
「なるほどな」
菊都は腕を組み、ゆっくりと頷いた。
「つまり、藤麻が言いたいのは、アセビのスキルには制限、もしくは安全装置みたいなものがあるってことか」
「じゃないかと、思ってます」
「いや」
菊都は小さく笑った。
「かなり良い推理だと思うぞ。それが合ってれば……次にアセビと対峙した時は安心して“戦いに挑める”ってわけだ」
「……できたぁ!」
唐突に、冬花が声を上げた。
「な、何ができたんですか?」
「藤麻くんが関川から受け取ったUSB、そのデータ解析よ。見て、これ」
冬花がパソコンの画面をこちらに向ける。
そこには、素人目にはまったく理解できない複雑なプログラムが並んでいた。
「これは……何です?」
藤麻が首を傾げる。
「人工衛星のシステムデータよ」
「人工衛星?」
「ええ。ワープ装置の材料に、座標指定できる何かが必要って言ったの、覚えてる?」
「……ありましたね」
「この人工衛星のシステムデータを元に、ウイルスを作る」
「まさか……」
「ええ。人工衛星をハッキングするわ」
一瞬、部屋の空気が固まる。
「宇宙にある人工衛星なんて、どうやってハッキングするの?パソコンだけでできるものなの?」
咲良が率直に疑問を口にした。
「無理よ」
冬花は即答する。
「宇宙にある人工衛星なんてハッキングできないわ。私、そこまで人間離れしてないもの」
「警察をハッキングできてる時点で、人間離れしてると思うけど」
藤麻がぽつりと呟く。
「……それで、どうするんですか?」
彰人が話を戻した。
「まだ打ち上がってない人工衛星のプログラムに、ウイルスを仕込めばいいの」
「どういうことだ?」
「関川が言ってた宇宙航空研究開発機関を調べてた時にね」
冬花は画面を切り替えながら続ける。
「新しい人工衛星を開発してるって情報を掴んだの。人工衛星“かわせみⅡ”っていうやつ」
「人工衛星……かわせみⅡ……」
咲良が小さく呟いた。
「その開発拠点が、茨城県つくば市にある宇宙航空研究開発機関なの」
「茨城県つくば市って……!」
藤麻が思わず声を上げる。
「ん?どうしたの?」
菊都が聞いた。
「俺と咲良の地元ですね」
「……というか」
咲良が少し気まずそうに視線を逸らす。
「私の母が、その宇宙航空研究開発機関で働いてます」
「マジか……」
菊都が低く唸った。
「母に何か聞いてみます?」
「いいえ、まだよ」
冬花は首を振る。
「いずれ頼ることになるかもしれないけど、今はマスコミが落ち着くのを待ちましょう。動きにくすぎるわ。それに、ウイルスを完成させてからの方がいい」
「というか……」
彰人が苦笑した。
「ますます、意味が分からなくなってきましたね」
「同感だ」
菊都も腕を組む。
「関川の目的が見えない。あいつ、なんで俺たちに人工衛星のシステムデータなんて渡してきた?まるで、ワープ装置を作れって言われてるみたいだ」
「……気味が悪いですね」
藤麻がぽつりと呟く。
「…………ずっと黙って聞いてたけどさ」
鈴音が口を開いた。
「ハッキングって、犯罪だよね?」
「あ……」
彰人が言葉に詰まる。
「ダメだよ、冬花ちゃん!そんなことしてたの?今すぐ足を洗おう?」
「鈴音は正義感が人一倍強いんだ。聞かせるべきじゃなかったな」
彰人が苦笑いする。
「というかさ」
鈴音は真剣な表情で続けた。
「関川は何か目的があって、ワープ装置を作らせようとしてるんでしょ?犯罪に手を染めるくらいなら、作るのやめるべきじゃないの?みんな、何のためにワープ装置を作ろうとしてるの?」
「友達の伊勢を探すため」
藤麻は即答した。
「子供の頃からの夢だった、どこでもドアを作るため」
冬花が続ける。
「冬花の手伝い。それと、異世界に戻って仲間に会いたい」
菊都が言う。
「面白そうだから。あと、この人たちと一緒にいるの、楽しいし……」
彰人が軽い調子で答えた。
「巻き込まれただけです」
咲良が静かに言った。
「……藤麻くん、冬花さん、菊都さん、咲良ちゃんはまだ譲歩して良しとしよう」
鈴音はそう言うと、彰人の顔を掴む。
「だが、テメェはダメだ。お兄ちゃん」
「痛い痛い痛い!」
アイアンクローを決められ、彰人が叫ぶ。
「なんでよ!ダメなの!?子供の頃から芸能活動ばっかで、こんな軽口叩き合える友達、初めてできたんだよ!」
その叫びに、鈴音はゆっくりと手を緩めた。
「……お兄ちゃんって、そんな拗らせてたの?」
「まぁ、僕は鈴音さえいれば何でもいいけどね」
彰人は照れたように笑う。
「それにさ。藤麻くんの気持ち、すごく分かるんだ」
「……俺の?」
「鈴音が異世界に行って行方不明になった時の不安は、言葉にできないほどだった。大事な人が突然いなくなるのは、本当に怖い。だから、僕は似たような境遇の藤麻くんの手伝いもしたいんだ」
「……分かった」
鈴音は小さく頷いた。
「今回は目を瞑る。ただし、誰かに被害を出さないこと。それが条件」
「これからは、こういう話、鈴音のいないところでしようか」
彰人が小声で囁いた。
その時、外から慌ただしい人の声が聞こえてきた。
「ちょっと、通してください! 邪魔っす!」
突然の怒鳴り声に、リビングにいた何人かが顔を上げる。騒がしい気配は玄関の方からで、どうやら外が一層混乱しているらしい。藤麻たちが様子を確かめようと玄関へ向かうと、家の前には相変わらず記者たちが群がり、通路を塞ぐように詰めかけていた。
その人垣を強引にかき分け、息を切らせながら中に飛び込んできたのは、沙羅だった。
「沙羅! どうしたの?」
咲良が思わず声を上げる。
沙羅は玄関先で一度大きく息を吐き、背後をちらりと振り返る。ドアの向こうからは、まだシャッター音や怒号が微かに聞こえてきた。
「ああ、いらっしゃい。こちらへどうぞ」
菊都は状況を察したように落ち着いた様子で声をかけ、沙羅を促す。沙羅は頷くと、靴を脱ぎ捨てるようにしてリビングへ向かった。
ソファに腰を下ろすなり、沙羅は露骨に顔をしかめる。
「なんなんすか、あれ。あれが噂のマスゴミってやつですか? いや、マスゴミより酷いっすね。もうカスゴミですよ、あれ」
ぶつぶつと文句を垂れながら、沙羅は肩を回す。どうやら相当神経をすり減らしてきたらしい。
「で、沙羅は何の用でここに?」
咲良が改めて尋ねると、沙羅が答えるより先に菊都が口を開いた。
「ああ、沙羅さんはうちの探偵事務所に依頼しに来たんだ」
「依頼?」
意外そうな声が重なる。
「ええ。あの学園祭での騒動があって数日してから、冬花のスマホ越しに連絡が来てな」
菊都はそう言って、軽く顎を引いた。
「何の依頼なんです?」
藤麻が問いかける。
沙羅は一瞬、周囲を見渡した後、少し言いづらそうに口を開いた。
「菊都さんって、異世界帰りなスキル持ちっていう、摩訶不思議的存在じゃないですか?」
「ま……まか……? まぁ、そうだな」
言葉を選びきれず、菊都は曖昧に頷く。
「そんな菊都さんに、どうしても頼みたいことがあって……」
沙羅は背筋を伸ばし、居住まいを正した。
「それは?」
問い返されると、沙羅は一拍置き、はっきりとした声で言った。
「菊都さん。うちの地元を、救ってください!」
「はぁ?」
この時の藤麻たちは、沙羅が持ち込んだこの事案が、後に自分たちの常識が一切通じない相手との対峙になることを、まだ知らなかった。




