第20話 全てを知ってる呑んだくれ
菊都たちがゾンビ騒動に巻き込まれている最中。
藤麻は、菊都に頼まれ、結界術を使っている人間がいないかを調べようとしていた。
「……で、何の話だったんだ?」
電話を終えた藤麻に、散らかった部屋でゲームをしていた真央が声をかける。
「いえ、ちょっと……」
言葉を濁した、その直後。
藤麻のスマホが小さく震えた。
画面には、菊都から送られてきた結界術のルールが表示されている。
結界術の基本的なルールは三つ。
結界は万能ではなく、必ず一つの目的しか持てない。
対象を閉じ込めるための結界、外部からの干渉を防ぐ防御結界など、一つの結界に複数の効果を持たせることはできない。
複数の効果を得たい場合は、結界を重ねて展開する必要がある。
ただし、結界を一枚重ねるごとに、必要な術者の数は指数関数的に増加する。
そして、最も重要なのが視認条件だ。
結界を張る範囲の六割以上が術者の視界に入っていなければならない。
この条件を満たさない場合、結界は発動しない、もしくは不完全なものとなる。
(重要なのは……視認条件か。大学全体に結界が張られているとしたら、大学の六割以上を見渡せる場所で術を使っている人間がいるってことになる。そんな場所……どこだ?)
藤麻がルールを見ながら思考を巡らせていると、真央が興味深そうにスマホを覗き込んできた。
「何だそれ? ゲームの話か?」
「え、ええ……まあ、そんな感じです」
一瞬ためらいながら、藤麻は続ける。
「店長だったら、俺の通ってる大学を六割以上見渡せる場所って、どこだと思います?」
「……なんだそりゃ?」
「いえ、ちょっと知り合いに頼まれたことがあって……」
「ふーん……六割以上、か」
真央は少し考え込み、やがて顎に手を当てた。
「大学のちょっと離れたところににアパートビルがあったよな?あそこの屋上からなら、結構見えるんじゃない?」
「……!」
藤麻はその言葉に目を見開いた。
「ありがとうございます。ちょっと行ってきます」
そう言うなり、藤麻は店を飛び出していく。
「あっ、ちょっ……待てって!ゲーム、やろうよぉ……」
真央の情けない声は、閉まった扉の向こうに置き去りにされた。
藤麻は走ってアパートビルに向かう途中、大学の周囲に違和感を覚えた。
パトカーが何台も並び、警察官たちが忙しなく行き来している。明らかに、ただ事ではない空気だった。
足を止め、大学の敷地内を見渡す。
だが、そこには“人の気配”がなかった。
学生も、教員も、誰一人として見当たらない。
まるで、最初から誰もいなかったかのように、静まり返っている。
(……いない?いや、そんなはず……)
胸の奥に嫌な感覚が広がる。
(急がないと)
藤麻は視線を振り切るように前を向き、大学の近くにあるアパートビルへと駆け出した。
息を切らしながら階段を駆け上がり、非常口の前に辿り着く。
ドアノブに手をかけ、一瞬だけ躊躇し勢いよく、扉を押し開けた。
「やぁ」
静かな声が、屋上に響いた。
藤麻が顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。
フェンス越しに、大学の方角を眺めながら、まるで景色を楽しむように。
「ここに、結界術者はいないよ」
男は振り返らないまま、淡々とそう告げる。
その声に、藤麻は背筋が冷たくなるのを感じた。
関川桔梗だった。
「結界術者がいない?」
藤麻の問いに、関川は視線を大学の方角から外さないまま、あっさりとうなずいた。
「ああ。結界術者がいるかもしれないと踏んで、君がここへ来ると思ったから待機していた。まさか本当に来るとはね」
関川は振り返らず、そのまま言葉を続けた。
「あの結界は、僕の仲間のスキルによるものだ」
「……どうして、そんなことを教えてくれるんです?」
藤麻の声は、思っていたよりも低く、硬かった。
関川はようやくこちらを見て、わずかに口角を上げる。
「ダンジョンの最下層まで辿り着いた勇者に、宝物が何もないのはおかしいだろう?」
そう言って、一拍置いてから名前を呼んだ。
「松本藤麻くん」
「……名前、言いましたっけ?」
関川は肩をすくめる。
「仲間に調べさせてもらった。松本藤麻。二十歳。大学生。家族構成は父、母、妹の四人。現在はアパートで一人暮らし。趣味はゲーム」
淡々とした口調のまま、さらに続ける。
「そして最近は、行方不明になったネッ友を探して奔走している」
藤麻は言葉を失った。
屋上のコンクリートが、やけに冷たく感じられる。
「……なんで、俺なんかのことを?」
「敵になるかもしれない人間を知っておくのは、大事なことだろう?」
軽く言い切るその声音には、迷いも躊躇もなかった。
「目的は何ですか?」
「どれのことだい?今、君の大学で起きている騒動か。それとも、僕が魔力を集めている理由か」
「……どっちもです」
「前者は、君たちを知るためだ」
関川は屋上の手すりに手を置き、大学の敷地を見下ろした。
「スキルを持つ人間が誰で、どんな能力を持っているのか。それを調べるために、この騒動を起こした」
「……」
「安心したまえ。僕の仲間のスキルで、人を傷つけることはできない」
一度視線を戻し、続ける。
「そして後者の魔力を集めている理由は、君たちと同じだ。召喚魔法を使うためさ」
「……何を、召喚するんです?」
「そこまで教える義理はないな」
「……ですよね。探偵さんから、人類の選別をすると聞きましたけど、それは?」
「待て」
関川は軽く手を上げ、会話を制した。
「君ばかり質問するのはフェアじゃない。今度は、僕の質問に答えてくれないか」
「……何を?」
「君のことだ」
藤麻は一瞬だけ視線を伏せ、すぐに戻す。
「俺なんかの何を知りたいんです?」
「君はなぜ、ネッ友を探している?」
関川は声の調子を変えず、淡々と続ける。
「たかがネッ友だろう。それなのに、一ヶ月半も探し回り、怪しい人間について行き、危険な目にまで遭っている。不思議でならない」
「別に……友達が大事だから、探してるだけです」
「僕にはそれ以外に目的があるように思ったんだがな」
関川は少しだけ首を傾げる。
「僕としたことが、見誤ったかな」
「そんなことは…………」
言葉が途切れたところで、関川は興味を失ったように手を振った。
「まぁいい」
そう言って、ポケットから何かを取り出し、軽く放る。藤麻は反射的に手を伸ばし、受け止めた。
「……USB?」
「宇宙航空研究開発機関にハッキングを仕掛けて来てた子に渡したまえ」
関川は背を向けながら言う。
「ハッキングの妨害をし続けて悪かった、とも伝えてくれ」
そのまま歩き出そうとした背中に、藤麻は声を上げた。
「待ってください!まだ聞きたいことが……!」
次の瞬間、関川はいつの間にか距離を詰めていた。藤麻の頭に、軽く手が置かれる。
ぽん、と子供をあやすような動作。
その直後、激しい衝撃が走った。
視界が一瞬、白く弾ける。
足元が崩れ、世界が大きく傾いだ。
藤麻は抗う間もなく、そのまま意識の底へと沈んでいった。
関川は藤麻が完全に気絶したのを確認すると、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先の屋上へと続く扉の前に、気配がある。
「…………誰だ?」
静かな問いかけとほぼ同時に、扉が開いた。
足音を立てて屋上に入ってきたのは、真央だった。
「久しぶりだな、桔梗」
そう呼びかけながら、真央は床に倒れた藤麻へ一瞥をくれる。
「そこで寝ている友達を回収しに来ただけだ」
「そうか」
関川は短く応じる。
「………犯罪者以外には手を出さないんじゃなかったか?」
「安心したまえ。傷つけるつもりはない」
関川はそう言ってから、藤麻を見下ろす。
「ところで、真央くん。僕としてはその子は素質があると思っているのだが……」
「ああ、私も同じ意見だ」
真央は即答した。
「だから、こいつと関わり続けている」
「この子は、どういう人間かを聞いてもいいかい?」
「一言で表すなら自分にまったく自信がないやつだな」
真央は少しだけ視線を遠くに向ける。
「私と関わり始めた頃、自分はいてもいなくても変わらない存在だとか、何とかほざいていたよ」
「ほう……それはどうしてだろうね」
関川は興味深そうに首を傾げる。
「調べた限り、いじめや虐待などがあったわけじゃないだろう?」
「ああ、いじめや虐待があったわけじゃない。だが、それがなかったとしても、この世に息苦しさを覚える人間だっているだろう」
「……それは……そうだな」
関川は一瞬だけ目を伏せた。
「これは僕の発言に反故があった。すまない」
「あと……」
真央は一歩、関川に近づく。
「一応、お前は私の友達に手を出したんだ。一発だけ、報いを受けてもらおうか」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」
関川は慌てて手を振る。
「そこにいる子は気絶させただけだし、大学内の騒動も終われば元に戻る……!だから、や……やめ……」
「問題無用!」
真央が言い切った瞬間だった。
まるで見えない誰かに殴り飛ばされたかのように、関川の身体が宙を舞い、屋上の床に叩きつけられる。
「…………いてて」
関川は頬を押さえながら、苦笑気味に立ち上がった。
「真央くん。少しくらい手加減したまえ。痛いぞ!」
「これでも、かなり手加減している」
「本当に、君のスキルは厄介なものだ」
「そういえば藤麻は、お前に何の用だったんだ?」
「今起こしている騒動の話だ」
関川はコートを整えながら答える。
「おそらく、異世界帰りの誰かが、スキルの影響下にある“見えない壁”を、結界術によるものだと疑ったのだろう」
「なるほど……」
真央は頷いた。
「じゃあ、あれか。あの騒動を終わらせる方法を、大学内にいる奴に伝えないとな。騒動を起こしてる奴のスキルは?」
「話す必要があるのか?」
関川は肩をすくめる。
「全てを知っているくせに」
「うるさいな。スキルを使うのは色々と面倒なんだよ」
「異世界では、もっと厳かな人物だったのに」
関川はにやりと笑う。
「今や酒に脳と肝臓をやられた、怠惰な呑んだくれか」
「……もう一発、喰らいたいか?」
「すまない!」
即座に謝罪してから、関川は踵を返す。
「とにかく、僕がここにいるのはまずい。あとは任せた」
そう言い残し、関川は屋上を後にした。
残された真央は、ひとつ小さくため息をつく。
それから藤麻のポケットからスマホを取り出し、登録されている咲良の名前を選んだ。通話ボタンを押し、耳に当てる。
『もしもし。悪いな。私は藤麻じゃない。お前の大好きな店長だ』




