第17話
「このゲームを終わらせる方法って……何すか? それは」
沙羅の問いかけに、空気がわずかに張り詰めた。
「アセビのスキルについて、今まで聞いた話を整理して推測したんだけど……」
冬花が静かに口を開く。
「おそらく、アセビのスキルは“現存するゲームの世界を、現実に転用する能力”。ただの推測に過ぎないけれどね」
「……ゲームを、現実に?」
沙羅が思わず聞き返す。
「もし、そうだとして。見えない壁は何になるんですか? 結界術じゃないんですか?」
咲良の問いに、冬花は小さく肩をすくめた。
「それについては、藤麻くんが調べているみたいだから、連絡が来るまで断定はできないわ。でもね、おそらくスキルの“影響範囲”が決まっているんじゃないかしら」
冬花は、窓の外、見えないはずの壁の向こうを見据えるようにして続ける。
「結界というより、ゲームのマップ外に出られない仕様みたいなものよ。まぁ、ここまでの話は全部、アセビが異世界帰りのスキル持ちで私の推測が当たっていた場合の仮定だけど」
「……それ以外の可能性って何ですか?」
咲良が尋ねた。
「例えば、アセビ自身が異世界から来た存在。いわゆる異世界人って線もあるわ。ギフトで得たスキルじゃなくて、純粋な魔法を使っている可能性も否定できないし、他にも可能性は無数にあるわ」
冬花は一度言葉を切り、少しだけ声を強める。
「何にせよ、私の話は全部推測。でも、この推測が当たっていた場合、参考にされているゲームが分かれば……この世界から抜け出す方法も見えてくるはずよ」
「……えっと。参考にされてるゲームって、召喚RPGですよね?」
「そう。そして、抜け出す方法も、そこにある」
冬花の目が、わずかに細くなった。
「アセビの作ったこの“ゲーム”、かなり精度が高いわ。召喚RPGをほぼ完全に模してる。バグすらも使えるくらいにね」
「……何が言いたいんすか?」
沙羅が核心を促すように尋ねる。
「このゲームには、銀でアンデットを倒せる以外にも、バグが適用されている可能性があるってことよ」
一瞬、沈黙が落ちた。
「つまり……召喚RPG内のバグを、このスキルで作られた“現実のゲーム”で引き起こして、強制終了させるってことですか?」
「ええ、その通り」
冬花は静かにうなずいた。
「見えない壁とゾンビが同じスキル由来かは分からないし、そもそも“バグがスキルの影響下にあるか”も不明。だから、確実に終わるとは言えないわ」
そう前置きしてから、冬花は続ける。
「それでも、試す価値はある。何もしないよりはね」
「……とりあえず、試すだけ試してみるっす」
沙羅はそう答えた。
「咲良ちゃん。召喚RPGのバグ、いくつか見つけてたわよね? 何か使えそうなのは?」
「え、銀のバグ以外は、ほとんど修正しちゃったからな……」
咲良は顎に指を当て、必死に記憶を探る。
「……でも、藤麻なら何か思いつくかも」
「藤麻くんが?」
「バグを見つけたの、ほとんど藤麻なんですよ」
「なるほど……じゃあ、その藤麻って奴に聞くしかないっすね」
「うん」
咲良はスマホを取り出し、藤麻の名前をタップする。呼び出し音が虚しく響くが、反応はなかった。
「……出ない」
短くそう呟き、咲良はスマホを握りしめたまま画面を見つめた。
「今は、結界術を使ってる相手を探すことに奔走しているのかもしれないわね」
冬花が静かに言う。
「じゃあ、私たちで考えるしかないっすね」
沙羅は腕を組み、視線を巡らせた。
「それこそ、その召喚RPGの開発に関わった人たちなら、何か分かることもあるんじゃないっすか?」
その一言をきっかけに、咲良は講義室にいるゲーム開発サークルのメンバーたちを集め、これまでの事情を簡潔に説明した。
「事情は分かったけど……召喚RPGの“バグ”なんて、私たちはあんまり知らないかな……」
そう言ったのは、眼鏡をかけた女の子だった。困ったように頬をかきながら続ける。
「基本的に私たち、プログラムじゃなくてキャラの造形とか、世界観設定の担当だったし……」
「だったら、龍也は?」
別のサークルメンバーである金髪に染めた女の子が思い出したように言う。
「龍也なら、少し分かるかもよ。バグ修正してた子と、結構仲良かったし」
「龍也が……?」
咲良は眉をひそめる。
「でも、今どこにいるかも分からないし。それに、もう……やられてる可能性も……」
言い切る前に、別のサークルメンバーの声が割って入った。
「え?龍也なら、今、大学構内で車を爆走させてるじゃん?」
「……へ?」
咲良は思わず、間の抜けた声を出して聞き返してしまった。
「ほら、あの車。龍也のでしょ?」
サークルメンバーの一人が、窓の外を指差す。
構内を走り回る一台の車。次々とゾンビを跳ね飛ばしている。
「……何してんの。あいつ」
車体はすでに満身創痍だった。
ボンネットは歪み、側面は大きく凹み、至るところに黒ずんだ血と肉片が張り付いている。何度も何かにぶつかり、轢き潰してきたことは一目で分かった。
そして、甲高い異音とともに、車が大きく揺れた。
次の瞬間、完全に停止する。
「……止まった」
構内に、嫌な静寂が落ちた。
その静けさを破るように、周囲の建物の影や曲がり角から、ぞろぞろとゾンビが姿を現す。
音に引き寄せられた数は、もはや数え切れない。
止まった車を中心に、包囲網が完成しつつあった。
「あれ……やばくないっすか」
沙羅が低く言う。
「助けに行くわよ」
冬花の言葉に三人は同時に動き、講義室を飛び出した。
咲良たちが龍也の元に着く、少し前のことだった。
龍也はハンドルを握ったまま、息を呑んだ。
エンジンが、うんともすんとも言わない。
さっきまで唸りを上げていたはずの機械は、まるで命を使い切ったかのように沈黙していた。
「……冗談だろ」
龍也はキーを回すが反応はない。
もう一度、力任せに回すが、返ってきたのはカチ、と乾いた音だけだった。
視線を上げると、フロントガラスの向こうに影が揺れていた。一体や二体ではない。建物の影、曲がり角、瓦礫の隙間。音に釣られたゾンビたちが、じわじわと包囲を狭めてくる。
「……っ」
さっきまで叫び、笑っていた龍也の喉は、今はひくりとも動かない。もう、強がる余裕はなかった。
龍也は一瞬、バックミラーを見る。
車の後方、遠くの建物。そこには、菊都たちが向かったはずの方向があった。
「……いいよな」
誰に向けたわけでもなく、龍也は呟く。
「ちゃんと……引きつけたろ」
ゾンビの唸り声が、すぐそこまで迫っていた。
龍也は深く息を吸い、シートベルトに手をかける。ドアを開けた瞬間、腐臭が鼻を突いた。
龍也は車外に飛び出し、迫り来るゾンビに素手で立ち向かう。拳を振るい、突き飛ばし、必死に距離を取ろうとするが、数が違いすぎた。
腕を掴まれ、引き倒される。そして、歯が肩に食い込んだ。
「……あ」
声にならない音が漏れ、
龍也の姿は、ゆっくりと群れの中に沈んでいった。
その光景を、助けに行くのが間に合わず少し離れた場所から見ている者たちがいた。咲良、冬花、沙羅の三人である。
「……咲良」
冬花が、心配そうに低い声で咲良の名を呼ぶ。
「……大丈夫です、冬花さん。まだ……大丈夫です。泣くのは……この騒動が終わってからにします」
そう口にする咲良の腕は、怒りか、それとも悲しみのせいか、かすかに震えていた。
「ええ……そうね」
冬花がそう言い終えた、その瞬間だった。
死体を無理やり繋ぎ合わせたような化け物、龍也が引き付けていたキメラアンデットが、すぐ近くに立っていたのだ。
咲良たちの姿を認めるや否や、化け物は全速力で襲いかかってくる。
沙羅は反射的に、指にはめていた銀の指輪を投げ放った。
キメラアンデットの姿は、今度は銀と一緒に霧散するように消失した。
「銀も……消えた?」
「そうみたいっす……でも、とりあえず戻るっす。ここじゃ、ゾンビが多すぎる」
「ええ、そうしましょう」
冬花はそう言うと、ゾンビと化した龍也をしばらく見つめていた咲良の背中をそっと押し、講義室へと戻った。
「……こんな時に冷静な話をしてしまって申し訳ないんすけど、なんで銀は消えたんすか?」
講義室に戻るなり、沙羅が問いかけた。
「いや、いいよ。誰かを悼むのは後。沙羅の問いの答えだけど……耐久値だと思う」
咲良が答える。
「耐久値?」
「召喚RPGのゲーム内の装備品には耐久値があるの。消耗しすぎると、消失する仕様」
「……ってことは……ゾンビに対抗しうる手段を失ったってことっすね。ていうか、最初に言ってほしかったっす」
「……それは本当にそう。ごめん。この状況で、かなり動揺してた」
咲良は小さく頭を下げた。
「……このゲームから解放されるための“宝”を、使うわけにはいかないものね」
冬花が言う。
「保険として、残しておきたいっす」
沙羅が答えた。
「私の推測が間違っている可能性もあるわ。良い判断だと思う」
冬花はそう付け加えた。
「でも、この後どうするっすか?バグを見つけなきゃいけないっすけど……何か思いついたもの、あります?」
「んー……」
三人が悩み込んだ、その時。
咲良のスマホが鳴った。画面には、藤麻の名前が表示されている。
「もしもし。藤麻!?」
『もしもし。悪いな。私は藤麻じゃない。お前の大好きな店長だ』
「あっ、店長。藤麻と一緒に行動してたんですか? 藤麻は?」
『色々あって、今は寝てる。藤麻から事情は聞いたぞ。異世界のことから、スキルの話までな』
「そうですか……。じゃあ、店長が藤麻の代わりですか?」
『そうだ。代わりに伝えようと思ってな。勝手に藤麻のスマホを借りた。私のスマホ、持ってくるのを忘れてしまって』
「なるほど。それで……結界を使ってる奴は、いたんですか?」
『いや、いなかった。代わりに、別の“やつ”はいたが……』
「別のやつ?」
『まあ、その話は後だ。今は、やるべきことがあるのだろう。そっちにいる敵のスキルはな、自分が構築した世界を舞台に、他者を強制参加させる“ゲームマスター”になる能力らしい』
「ゲームマスター……」
『ああ。その世界のルールに反しない限り、ほぼ全能だそうだ』
「そんなのに……どうしろと?」
『ただし、そのスキルは世界観の構築が非常に面倒くさいらしい。細かい設定が大量に必要でな。だから、そっちのスキル持ちは既存のゲーム世界を丸ごとコピーしているとのことだ』
「……だから、バグを使え、ってことですか」
『物分かりがいいな。そう言うことだ。ゲームを終わらせたいなら、バグを突け』
「でも、どうやってどんなバグを起こせばいいのか分からなくて……」
『……店長。今の状況は?』
電話の向こうから聞こえた声は藤麻の声だった。
『おお、起きたか。藤麻』
電話口から聞こえてきた真央の声に、張り詰めていた空気がわずかに動いた。
「藤麻! 藤麻に聞きたいことがあるの」
咲良は間髪入れずに声を上げる。
「咲良ちゃん、落ち着いて。まずは状況を整理して説明しましょう」
冬花が、静かに割って入った。
『お? その声は……冬ちゃんか?』
真央が少し驚いたように言う。
「ええ、ご無沙汰してるわ。真央ちゃん」
冬花は淡々と応じた。
「……知り合いなんですか?」
咲良は、意外そうに冬花の横顔を見る。
「ええ。昔、お世話になった方よ」
それ以上は語らず、冬花は言葉を切った。
『世間話は後だ。誰でもいい。今、この場で何が起きているのか説明してくれ』
藤麻が言った。
咲良は深く息を吸い、これまでに起きたことを順を追って語り始めた。菊都の状況、バグについて、銀の装備、そして、龍也のことを。




