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第15話

「冬花!冬花!どうした!?」

 

突然その場に崩れ落ちた冬花に、菊都が慌てて駆け寄った。肩を抱き起こそうとするが、冬花は目を閉じたまま反応がない。


「冬花さん!?」

咲良も思わず声を上げ、龍也や彰人も一斉に集まってくる。さっきまで作戦の話をしていたはずの場所が、一気に騒然とした。


「呼吸は……あるな」

菊都が胸元に手を当て、ほっと息を吐く。


そのとき、部屋の隅から遠慮がちに先ほどまで鈴音に慰められていた伊三部が近づいてきた。


「あ、あの……私、看護師をしているので……少し、見てもいいですか?」


「お願いします」

鈴音がすぐに場所を空け、伊三部は膝をついて冬花の状態を確認し始めた。瞼を開き、脈を取り、呼吸のリズムを慎重に確かめる。


数秒の沈黙の後、伊三部は小さく息を吐いて顔を上げた。


「大丈夫です。命に別状はありません」

その言葉に、周囲の空気がわずかに緩む。


「ただ……ひどい寝不足ですね。極度の疲労もあります。このまま無理をさせるのは危険です」


「……寝不足か」

菊都がほっと安堵のため息をついた。


「ええ。おそらく、かなり無理をされていたんでしょう」


冬花は相変わらず眠ったままだが、苦しそうな様子はない。ただ、張り詰めていた糸が切れたかのように、深く静かな呼吸を繰り返していた。


「……どうしますか?冬花さんを担いで放送室まで行くのは、さすがに無理だと思います」

彰人が沈んだ声で切り出した。


「俺がここに残って、冬花を守る」

菊都は迷いなく言った。


「それは反対」

即座に、鈴音が首を振る。


「何でだ?」

菊都は睨むように鈴音を見る。


「菊都さんが冬花さんのことで頭いっぱいになってるのは分かるよ。でもさ、この中であのゾンビたちに有利に対抗できるのは、スキル持ちの私たちだけでしょ?」


「……それはそうだが」


「それに、ゾンビを操ってる相手もスキル持ち。だったら、前に出るべきなのは私たちだよ」


菊都は唇を噛みしめた。


「だが、冬花はどうする? ここに置いていけってことか?」


「いや、誰か一人がここに残って見張りをすればいい」

今度は彰人が口を開いた。


「一人でいいのか? スキル持ち以外、全員残ってもいいと思うが」

菊都が問い返す。


「それはダメだ」


彰人は即答した。


「何でですか?」

龍也が思わず声を上げる。


彰人は一瞬だけ視線を伏せ、それから淡々と続けた。


「言い方は悪くなるけど、君たちのスキルが使えないあのキメラの化け物がいる以上、放送室まで辿り着ける確率を上げた方がいい。簡単に言えば、いつ、誰が死んでもいいように、向かう人数を増やしたい」


部屋の空気が一気に重くなる。


「……犠牲や囮役が欲しいってことですか?」

龍也が声を低くして聞いた。


「ああ、そうだ」


「……意外と彰人さんって、怖い人なんですね」


「そこもかっこいいよね」

咲良が何の迷いもなく言う。


「咲良は顔しか見てないだろ」

龍也が呆れたように言った瞬間、ゴンッと軽い音がして、咲良の拳が龍也の頭に落ちた。


「……じゃあ、誰が残る?」

菊都が話を戻す。


「はいはい! 俺、残りたい!」

龍也が勢いよく手を挙げる。


「却下だ」

菊都は即答した。


「えー! 何でですか!?」


「お前は、寝てる冬花に何かしそうだからな」


「そんな俺、信用ないですか!?」


「初対面だしな」

菊都は平然と続ける。

「それと同じ理由で、伊三部さん。あなたもダメだ。信用しきれない。だから……」


視線が彰人と咲良に向く。


「彰人くんか、咲良ちゃんのどちらかに頼みたい」


「じゃあ、咲良ちゃん。お願いしてもいいかな?」

彰人は一歩近づき、柔らかく微笑みながら言った。


「え、あ、はい! 彰人様が言うなら! 何でもします!」

咲良は顔を赤くし、慌てて頷く。


「……彰人は、それでいいのか?」

菊都が確認する。


「もとより、鈴音が行くなら僕も行くつもりだった。問題ないよ」


「決まりだな」

菊都は小さく息を吐いた。


「このメンバーで放送室へ向かう。で、次に問題になるのは」


視線が自然と、あの化け物がいた方向へ向く。


「あのキメラを、どうするかだな」


「……囮しかないか」

低く呟いた彰人に、菊都は短く頷いた。


「だな」


「さて……誰が囮をやるか」


「やるなら、あの化け物を引きつけて時間を稼げる忍耐力のある人がいいな」

彰人が冷静に条件を並べる。


「それに、この先スキル持ちと対峙する可能性を考えると、スキルを持っていない人間の方がいい」


「ってことは……」

龍也が自分の胸を指さした。

「俺か、彰人さんか、伊三部さんの誰か、ですね」


「伊三部さんはやめた方がいい」

彰人は即座に否定した。


「何故です?」


彰人は一瞬だけ視線を伏せ、声を落とす。

「……伊三部さんの息子さんは、ゾンビに殺されたんだ。そんな状況下であの化け物と向き合わせるのは酷だろ」


「……なるほど」

龍也は小さく息を吐いた。


「じゃあ、龍也でいいんじゃない?」

あっさりと咲良が言った。


「理由、聞いてもいいかな?咲良さんやい」

龍也は半ば冗談めかして聞き返す。


「私的に、彰人様の方が生き残ってほしいから」


「友達に情とかないわけ!?」


「じゃあ、じゃんけんで決めようか」

彰人が軽く手を上げた。


その提案に従い、彰人と龍也が向かい合う。

結果はあっさりと決まり、負けたのは龍也だった。


「結局俺かよ!」


「今までありがとうね、龍也。本当にいい奴だったよ」

咲良がしみじみと言う。


「何で死ぬ前提なんだよ!?生きる方に賭けてくれよ!」


そのやり取りを見ていた菊都が、ぽつりと漏らす。

「……君らすげぇよな」


「何がです?」

龍也が首を傾げる。


「こんな状況だぜ。大学にいた友達がもう死んでるかもしれねぇ。それなのに、よくそんな冗談が言いあえるよな。肝座りすぎじゃない?」


一瞬の沈黙のあと、龍也は肩をすくめて答えた。


「……そんなこと分かった上で、ですよ。確かに友達は亡くなってるかもしれない。でも、それって自分が生き残らないと確かめようがないじゃないですか」


少しだけ、龍也の声音が真面目になる。


「生き残るには、余裕が必要なんですよ。冗談を言うのは余裕があるかどうかの確認みたいなもんです」


「君ら今まで戦場とかにいたの?」


「まぁ、ゲーム開発サークルの中も派閥とか色々あって、結構バチバチしてたんで。あそこはある意味、戦場でしたね」

龍也は苦笑する。


「へぇ」


「こういう冗談の言い合いも、そこで身についたんです。お互い、余裕を保つために」


「……すげぇな。知らねぇ世界だ」


「それにこの状況が現実離れしすぎてて、まだちゃんと受け止めきれてないのかもしれないですね」


「それもあるな」


菊都は一つ息を吐いてから、龍也を見た。


「……よし。龍也くん、遺言はそれくらいか?行ってこい」


「待って!今の、遺言扱いですか!?もう少し待ってくださいよ!もっとかっこいいこと言いたい!」

龍也が慌てて声を上げる。


菊都は口元を緩めて言った。

「冗談だ。君の遺言なんて聞きたくない。できれば、生きて帰ってこい。俺たちがこの騒動を止めるまで、時間を稼いでくれ」


「任せてください。俺なりに作戦もありますんで。……じゃあ、行きましょう」



四号館一階入り口付近。


血と肉を無理やり繋ぎ合わせたような死体キメラが、鈍い音を立てて徘徊している。その周囲には、引き寄せられるようにゾンビの群れがうごめいていた。


龍也は物陰から一歩、踏み出す。


「おい!化け物!」


声を張り上げた瞬間、複数の顔が一斉にこちらを向いた。

腫れ上がった唇が歪み、違う口々から「いたい」「たすけて」「ころして」という声が溢れ出す。


「うわ、やっぱ直視するとキモいな……!」


龍也は近くに落ちていた金属パイプを蹴り飛ばした。

 床に当たった乾いた音が、キメラとゾンビたちの注意を完全に引きつける。


「ほらほら!こっちだ!ゾンビーフ!」


次の瞬間、キメラが地面を蹴った。不自然な速さ。それに反応するように、ゾンビの群れも一斉に動き出す。


「っ、速っ……!」


龍也は全力で走り出した。

背後から聞こえる湿った足音と、骨の擦れるような異音が、どんどん距離を詰めてくる。


「今だ!行ってください!!」


その叫びを合図に、物陰に身を潜めていた鈴音、菊都、彰人、伊三部の四人が一斉に動いた。


四人はそのまま、三号館、放送室へと続く通路へ姿を消した。


放送室へ続く道を歩いている途中、菊都がふいに口を開いた。

「で、何が目的なんだ?」


「……それは、僕も気になってたな」

彰人も同意する。


「ん? 二人とも何の話してるの?」

鈴音が不思議そうに首を傾げた。


「伊三部さん。君の目的は何だ?」

菊都が改めて問いかける。


「目的って、何の話ですか?」

伊三部はきょとんとした様子で聞き返した。


「はぁ……もうとっくにバレてんだよ。君は、あの放送の放送主、アセビだろ?」


「本当に、何を言ってるのか分からないんですが……」


「そんなわけないよ。この人がアセビって人なわけないじゃん。この人、さっきあの化け物に襲われてたんだよ?」

鈴音が反論する。


「アンデットを操作できるなら、襲われてる“ふり”なんていくらでもできる」


「それに伊三部さんは、僕たちが異世界だとかスキルだとか話していても、それが何なのか一切聞いてこなかった。普通なら、疑問に思うだろう?」


「本当に分からなかったので、触れなかっただけですよ」

伊三部は淡々と答えた。


「それこそ普通の反応じゃない?」

鈴音が食い下がる。


「それに、その“伊三部”って名前もだ。ローマ字表記にして、並び替えてみろ」


「えっと……いさべ……あ……せ……び……」

鈴音がスマホのメモに文字を打ち込み、目を見開く。


「アナグラムだったのか。そこまでは流石に気づかなかったな」

彰人が感心したように言う。


「ふふ……バレてたのね」

伊三部は小さく笑った。

「そうよ。私がアセビ。でも不思議ね。どうして泳がせてたの?」


「泳がせてたわけじゃない。もし君がスキル持ちなら、戦闘能力のない奴らが真っ先に死ぬ。だから、戦えない人間を先に遠ざけたかっただけだ」


「なるほど。でも、それなら複数の人間で作ったアンデットキメラのところに戦闘能力のない奴を残したのは、間違いだったんじゃないかしら?あの子はかなり強いわよ」


「そこはギャンブルだな。彼が時間を稼いでいる間に君を倒してしまえばこの騒動も止まると思ったからさ」


「かなりイカれた賭けね。そういうの、嫌いじゃないわ」


「俺は運がいいんだぜ」

菊都はドヤ顔で言った。


「そう。それで質問は……目的、だったわね?」


「ああ。目的は何だ? こんなことをする意味が分からない」


「私も分からないわ。指示されてやってるだけだから」


「指示?誰にされてる?」


「言うわけないじゃない」


「だったら、拷問でも何でもして聞くだけだな」


「……あなたみたいなジジイに何ができるの?」


アセビが一歩踏み出した、その瞬間。


「来るぞ!」


菊都の声とほぼ同時に、彰人が前に出た。

無駄のない構え。間合いを詰める速度も速い。


だが、アセビは正面から来た彰人を“無視”した。


視線だけを鈴音に向け、身体を半回転させる。


「……っ!?」


鈴音が反応した時には、もう遅かった。

腕を掴まれ、引き寄せられ、肘が腹部に突き刺さる。


「かっ……!」


鈴音の体がくの字に折れ、そのまま床へ投げ捨てられる。


「鈴音!」


彰人が叫び、即座にアセビの方に距離を詰める。

回し蹴り。鋭く、確実に当てにいく一撃。


だが、アセビは踏み込まない。


一歩、斜めにずらすだけ。


蹴り足の軌道を見切り、足首を軽く払う。


「……っ!」


体勢を崩した彰人の顎に、拳が突き上げられた。


ゴン、と鈍い音。


彰人の体が後方に倒れ、動かなくなる。


アセビが菊都の方を見る。

アセビは口元に、ほんのわずかな笑みを浮かべた。


「後は、このジジイだけ?優しくしてあげる。老人は労われってよく言われて育ったから」


「そりゃあ、どうも」


次の瞬間、アセビが踏み込んだ。


(速い。だが、さっきよりも“直線的”だ)


菊都は脳内で攻撃を分析しながら身体を捻り、紙一重で拳を避ける。菊都の頬を風が掠めた。


「へぇ……」


アセビ感心したような声を出した。

だが、アセビは間髪入れずに二撃目を入れる。肘、膝、拳、途切れずに入れてきた。


菊都は攻撃しない。いや、できない。

避ける。下がる。転がる。とにかく当たらないことだけを考えていた。


その時、アセビの拳が菊都の肩を掠め、衝撃が走る。菊都の肋骨に鈍痛。


「ぐっ……!」


それでも、菊都は倒れない。


「しぶといわね」


アセビが距離を詰め直す。

アセビが足技を使ってくると思った瞬間、菊都は床を蹴って後方へ転がった。


直後、そこにアセビの足技が叩きつけられる。


アセビは一度、動きを止めた。

じっと菊都を観察する。


「技術は大したことない。なのに……妙に当たらない」


菊都は息を荒げながら、笑った。


「……運だけは、いいんでな」


「なるほど」

アセビは、面白そうに目を細める。


二人が短く息を整えた、その直後、再び、菊都は逃げるしかない戦いに引き戻された。



一方その頃、龍也は大学構内を、車で爆走していた。


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