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第14話

「ほぇー、じゃあ、そこの菊都ってお兄さんが異世界に行ってたんすね」


龍也の小声は、思った以上に廊下に響いた気がして、咲良は思わず肩をすくめた。咲良、菊都、冬花、龍也の四人は、足音を殺しながら廊下を進んでいた。床には割れたガラスが散乱し、学園祭で使われていた机や椅子が無秩序に倒れている。誰かが慌てて逃げた痕跡が、生々しく残っていた。ガラスを踏まないよう慎重に足を運び、息を潜める。遠くからは湿った足音と、喉の奥を擦るような不気味な呻き声が断続的に聞こえてきた。


「そうだな」

菊都は周囲を警戒しながら、短く答える。


「異世界ってどんな感じなんすか? アニメとかでしか見たことないですけど、やっぱあれですか? なんか、無双とかしちゃうんですか?」


緊張した空気の中でも、龍也は妙に好奇心を抑えきれない様子だった。


「してたな」


「へぇ、いいなぁ。それで美女に囲まれてハーレムとかですか?」


「……ハーレムは……なかったな」


言葉の間に、わずかな沈黙が落ちた。


「あ、そうなんすか。なんか、それは悪かったです」


「仕方ないだろ」

菊都は小さく肩をすくめる。

「俺と出会う女性、だいたい俺のこと殺そうとしてくるんだもん。ハーレムとか作り上げられるわけねぇよ。俺だってハーレムしたかった」


「一体、どんな異世界生活を送ってきたんですか……」


「……もうすぐ出口だ」

菊都が小さく呟く。


四号館の出入口が見えた、その瞬間だった。


ぬるり、と視界の端が歪んだ。


「……え?」


次の瞬間、目の前に“それ”がいた。


全身が血で濡れ、皮膚はただれ、腫れ上がった肉の塊。その胴体には、本来あるはずのない“顔”がいくつも貼り付くように生えていた。歪んだ口、潰れた目、半分だけ残った鼻それぞれが別々に動き、別々の感情を浮かべている。


「たすけて……」

「いたい……いたい……」

「やめて……お願い……」


複数の口が、重なり合いながら悲鳴を上げる。

それは悲惨な叫びであるはずなのに、咲良の背筋には凍りつくような嫌悪感が走った。


「……っ、なんだよ……あれ……」

龍也が声を震わせる。


菊都が舌打ちをした。

「キメラ系か。死体を無理やり繋ぎ合わせやがったな……」


その言葉が終わるより早く、化け物がこちらに向かって一歩踏み出した。ずるり、と肉が擦れる音が廊下に響く。


「やばい!来るぞ!走れ!」


四人は反射的に踵を返した。

だが、逃げ出した先で、咲良は最悪の光景を目にする。


廊下の曲がり角、その先を無数のゾンビが埋め尽くしていた。


濁った目が、一斉にこちらを向く。

次の瞬間、喉を裂くような唸り声が重なった。


「……最悪……!」


前には人の尊厳を踏みにじったような化け物、後ろを振り返れば、数で押し潰すことだけを目的にしたようなゾンビの大群。逃げ場は、ほとんど塞がれていた。


「叔父さん! 何とかできる!?」


冬花の叫びに、菊都は舌打ちしながら前に出ようとする。しかし、さすがにこの状況では即座に動けない。


「ちょっとだけ待っててくれ!」


そう言いながら体勢を整えようとした、その瞬間だった。


「こっち!」


ゾンビの群れのさらに向こうから、はっきりとした声が響いた。


視線を向けると、そこには鈴音と彰人、そして見知らぬ女性の姿があった。鈴音は一切の迷いもなく、迫ってくるゾンビの喉元や首筋へと踏み込み、急所だけを正確に貫いていく。悲鳴を上げる間もなく倒れていくゾンビたちの間に、逃走用の“道”が作られていった。


「今だ!」


その声に促され、咲良たちは鈴音が切り開いた隙間へと一気に走り出す。背後では、あの異形の化け物の叫び声と、ゾンビの唸り声が重なっていた。


しばらく鈴音について行って逃げていると「会議室」と書かれたプレートのある部屋が見えてきた。普段なら気にも留めない、ありふれた部屋だ。


全員がなだれ込むように室内へ滑り込み、最後に冬花が振り返って扉を閉めた。

すぐさま菊都が鍵をかける。金属音がやけに大きく響き、その直後、扉の向こうから鈍い衝撃音が伝わってきた。


ドン、ドン。


扉が内側にわずかに揺れる。

咲良は思わず息を呑み、無意識に後ずさった。


「急げ、塞ぐぞ」


龍也が机を押し、冬花が椅子を引き寄せる。

会議用の長机やパイプ椅子を扉の前に積み上げ、即席のバリケードを作っていく。何度か重い音が続いたが、やがて扉の揺れは弱まり、外の気配も少しずつ遠ざかっていった。


「……とりあえず、一息つこう」


そう言いながら、菊都は近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。そして、向かいに立つ鈴音と彰人へ視線を向ける。


「で……君たちはどういう状況なんだ?」


そう問われ、彰人が一歩前に出て口を開いた。

大学構内に突然ゾンビが現れたこと。外に出ようとしたものの、見えない壁に阻まれて脱出できなかったこと。出入口を探して彷徨う途中で、肉が無理やり繋ぎ合わされたような化け物と遭遇したことなどを淡々と、だが重たい内容を一つずつ説明していく。


「あ!それと、ゾンビの中にあいつがいたの!」

途中で、鈴音が思い出したように声を上げた。


「あいつ?」

菊都が眉をひそめる。


「あいつだよ!あいつ!唐木田淳って奴!」


「いや、誰だよ」


「えー、覚えてないの?咲良ちゃんは分かるでしょ?唐木田淳!」


突然話を振られ、咲良は一瞬考え込んだ後、困惑したように首を傾げた。


「……?」


「みんな覚えてないの?関川が運営してた軍需施設にいた警備員だよ!」


「んな奴いたのか。俺はあの施設にいた奴の名前なんて知らないぜ」

菊都は肩をすくめる。


「あー、確かにそんな人がいた気がしなくないような……」

咲良が曖昧に頷いた。


「とにかく!そいつがゾンビになっていたの!」

鈴音は強く言い切った。


「そういえば、私も言うか迷っていたのだけれど、ゾンビの中に、田口颯太らしき人物がいたわ。この前、拳銃を持って何かから逃げていて、路地裏で行方不明になった男よ」


「ちょっと待ってくれ。その話が本当なら、この大学に出てきた大量のゾンビ達は……最近行方不明になった奴らってことか?」


「そうなるわね」


「ちょっと待ってくれよ!」

突然、龍也が大声を上げた。


「うぉ!?びっくりした!?どしたの?」

思わず菊都が身を引く。


「どうしたの?龍也」

咲良も戸惑いながら問いかけた。


「お前ら!有名人の鈴様と彰人さんがいるのに、なんでそんな平然としてるんですか!?どういう関係なんです?てか、サインもらってもいいですか?」


「言ってる場合か」

咲良が即座にツッコミを入れた。


「まぁ、でも、そうだな。簡単に自己紹介だけしておくか。俺も知らない人がいるし」


菊都はそう言いながら、鈴音と彰人のそばに控えていた見知らぬ女性へと視線を向けた。突然の惨状と緊張のせいか、彼女はどこか落ち着きを失い、両手を強く握りしめている。


「じゃあ、この人から紹介していくね」


鈴音に促され、女性は一度小さく息を吸い込んでから口を開いた。


「私は伊三部と申します。この学園祭には、息子と一緒に見学に来ていたんですけど……」


そこまで言ったところで、言葉が詰まる。

次の瞬間、堪えていたものが決壊したように、伊三部は顔を覆って泣き出してしまった。


「……まさか……こんなことになるなんて……。息子が……目の前で、ゾンビに……」


嗚咽混じりの声に、室内の空気が一層重くなる。

鈴音は何も言わず、伊三部のそばへ歩み寄ると、部屋の端へと静かに誘導し、その背中を優しくさすっていた。


その様子を横目で確認しつつ、彰人は咲良たちへ視線を戻す。鈴音から「続けて」という合図を受け取り、口を開いた。


「伊三部さんは、さっき遭遇したあの悍ましい化け物に襲われていたところを、鈴音が助けたんだ。それで、今は一緒に行動している」


一通り説明を終えると、彰人は今度は龍也へと向き直った。


「で、そこの君は?」


「えっと……その……斉藤龍也です。藤麻と、咲良の友達です」


「そうか。よろしく。龍也くん」


「ええ、どうも……」


一礼した後、龍也は少し考え込むように首を傾げる。


「えっと、それで……咲良たちは、どういう関係なんです?」


「藤麻が異世界関連で出会った人たちだよ」


咲良がそう答えると、軽く肩をすくめて付け加えた。


「話を聞く限りだと、鈴音さんも異世界に行ってたらしいよ」


「え!? マジですか?」


龍也が思わず声を上げる。


「マジだよ」


あっさり返す咲良に対し、龍也は鈴音の方を見て、妙に真剣な顔で頷いた。


「鈴様がそう言うなら本当なんでしょうね」


「信じるの早くない?」


「で、さっきの話に戻すが、最近行方不明になった人達が、この大学にゾンビとして現れたってことで合ってるか?」


椅子に深く腰掛けたまま、菊都が低い声で問いかけた。場の空気は、先ほどまでの雑談めいた雰囲気とは違い、重く張りつめている。


「ええ、おそらく」


彰人は短く頷く。


「唐木田淳って奴は、関川が運営してた軍需施設の警備員だったんだろ? その施設の従業員は、今のところ全員が行方不明……。そう考えるとだ」


菊都は顎に手を当て、思考を整理するように視線を落とした。


「このゾンビ騒ぎ、関川が裏にいると疑わざるを得ないよな」


「そうですね。ただ……」


彰人は一瞬言葉を選ぶように間を置いてから続けた。


「結局のところ、この騒動を起こした張本人を止めない限り、状況は何も変わりません」


「ああ、その通りだ」


菊都が静かに肯定する。


「で、その張本人がいそうな場所は……」


「放送室、ですよね」


彰人が先に答えた。


「ああ。話が早くて助かる」


菊都は小さく笑った。


「僕たちも、あの放送を聞いていました。手掛かりがあるかもしれないと思って放送室に向かっていたんですが……」


彰人の視線が、自然と廊下の奥を思い出すように泳ぐ。


「途中で、あの化け物と遭遇してしまって。そこで足止めを食らい、ここに留まっていたんです」


「あの化け物……」


咲良が息を呑む。


「鈴音の話だと、死体を繋ぎ合わせて作られたキメラアンデットだって言ってましたけど……」


「いや、それ自体は分かってる」


菊都は首を振った。


「問題はそこじゃねぇ。あいつに対して、俺のスキル《ビギナーズラック》が一切発動しなかった」


その言葉に、鈴音が静かに頷く。


「私も同じ。私のスキルが使用しできなかった」


「ってことは……」


言葉を続けかけて、二人は同時に息を吐いた。


「「はぁ……」」


「あの……」


場の空気を壊さないように、咲良が恐る恐る声を上げる。


「異世界に行った組は、もう分かってるみたいですけど……説明してもらえますか?」


「簡単に言うとだな」


菊都が視線を上げる。


「あの人間キメラの中に、“対抗特性”を持った奴が混じってる可能性が高い」


「対抗特性?」


咲良が首を傾げる。


「異世界じゃ、ステータスに“特性”って項目があってな。その人間の性質みたいなもんが記されてる。それによって、得意な魔法やスキルが決まる」


「召喚RPGにもありましたね、その設定」


咲良の言葉に、菊都は小さく頷く。


「で、その特性の中に“対抗”ってのがある。種類は二つ。スキル対抗と、マジック対抗だ」


「スキル対抗は、ありとあらゆるスキルを無効化する。マジック対抗は、魔法をすべて無効化する。この二つはどちらか一つしか持てないがな」


「それ……強すぎません?」


思わず龍也が口を挟む。


「ちゃんとデメリットはあるよ」


鈴音が補足する。


「スキル対抗を持ってる人は、自分もスキルを使えない。マジック対抗なら、魔法が一切使えなくなる」


「手に入れようとしたスキルや魔法も、対抗特性で弾かれるらしいよ」


「問題はだ」


菊都が言葉を引き取る。


「スキル対抗特性は、ギフトで得たスキルすら無効化してくるってことだ。これじゃあ、俺達のスキルが使えない。異世界でも、対抗特性を持つ人間はごく少数だった。俺が出会ったのも一度だけだが……正直、かなり厄介だったな」


遠い記憶を思い出すように、菊都は目を細めた。


「あいつが敵じゃなかったのは、今でも運が良かったと思ってる」


「えっと、だったら、どうしますか?」

不安を隠しきれない声で、龍也が口を開いた。


「あの化け物に見つからないように、隠れて行くのはどうですか?」

咲良が周囲の様子を思い浮かべながら提案する。


「無理ね」

即座に、鈴音が首を振った。


「あのキメラアンデットは気配察知が異様だった。たぶん、繋ぎ合わされたことで人間だった頃の能力が相乗的に底上げされてる。聴覚も視覚も、普通の人間とは比べ物にならない」


淡々とした口調とは裏腹に、その言葉は重く場に落ちた。


「しかも、三号館へ行くには、あいつが巡回しているルートを通らないといけない。隠れても、まず確実に見つかるわ」


「まじか……」

龍也は思わず肩を落とした。


重苦しい沈黙が部屋を支配する。


「さぁて、どうしよっか」

軽く言った菊都の言葉が、逆に状況の深刻さを際立たせる。


「どうしよっかって……」

龍也が呆然と呟く。


「こういう時の作戦立案は、いつもはブレインである冬花がやってくれてたからな」

菊都はそう言って、冬花に視線を向けた。


「冬花さん、何か案はありますか?」

咲良も促すように声をかける。


「え……あ……ええと……」

冬花は一瞬、言葉を探すように視線を彷徨わせた。


その様子に、菊都が違和感を覚える。


「冬花? どうした?」


問いかけた、その瞬間だった。


冬花の体がふらりと傾き、そのまま力なく床へ崩れ落ちた。

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