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第13話

それは、本当に突然のことだった。


咲良は展示スペースの奥で、次の来場者対応の準備をしていた。パンフレットの残数を確認し、説明用の資料を並べ直し、呼び込みのタイミングを頭の中で整理する。学園祭のスタッフとして、ただ慌ただしくもいつも通りの時間が流れているはずだった。


突然、廊下の方からただならぬ足音が響いた。


複数人が走り込んでくる音。悲鳴に近い声。何かが倒れる鈍い音。


次の瞬間、展示スペースの扉が勢いよく開き、数人の学生と来場者が雪崩れ込むように入ってきた。


「ちょ、ちょっと!」


咲良が声を上げる間もなく、誰かが扉を乱暴に閉め、内側から鍵をかける。さらに机や棚を引きずり、即席のバリケードのようにして扉の前に押し付けた。


室内に、荒い息と混乱が充満する。


「あの……どうしたんですか?」


サークルメンバーの一人が、おそるおそる尋ねた。その声も震えている。


「お前ら! 外の状況、見てねぇのか!?」


怒鳴るような声が返ってくる。だが、その声色には明らかな恐怖が混じっていた。


咲良は言われるままに、窓の方へ視線を向けた。


そして、言葉を失った。


外は、地獄だった。


キャンパスを埋め尽くすように、人影が蠢いている。だが、その動きは明らかに普通ではない。ぎこちなく、しかし異様な執念を感じさせる動きで、学生や来場者に襲いかかっていた。


倒れた人。逃げ惑う人。悲鳴。血の色。


「……なに、これ……」


咲良の口から、かろうじて零れ落ちた言葉。


「さぁな!? 気づいた時にはこうなってたんだよ! 最初は学園祭のイベントかと思ったんだけどな!」


部屋に飛び込んできた男の一人が、半ば錯乱したように叫ぶ。


「ゾンビかなんかだろ!? どう見ても普通じゃねぇ!」


「早く逃げようよ……ここにいても危ないでしょ……」


別の学生が泣きそうな声で言う。


「無理だ!」


その言葉を遮るように、先ほどの男が首を振った。


「俺、一度外に出ようとしたんだ!でも、大学の外に出ようとした瞬間、何かにぶつかったんだよ!見えない壁みたいなやつに!」


「……は?」


「何それ……」


ざわめきが広がる。


「俺だって分かんねぇよ! でも、確実にあった!押しても叩いても、外に出られなかったんだ!」


その瞬間、咲良の胸に、言いようのない不安が広がった。逃げ場がない。その事実が、じわじわと実感として迫ってくる。


そんな中、ふと視界の端で、外を動く“異物”が目に入った。


三人組。冬花、菊都、龍也の三人である。


彼らは、あの異様な存在、ゾンビらしきものの大群の中を、まるで散歩でもするかのように歩いている。


「……え?」


思わず、咲良は目を疑った。


ゾンビたちは彼らに近づこうとしている。確かに、狙っているようにも見える。だが襲われない。


正確には、襲いかかる直前で、ゾンビたちが次々と何かに躓いて転んだり何かにぶつかったりと自滅していた。


「……なに、あれ……」


誰かが呟いた。


その瞬間、冬花がこちらを見た。

視線が合う。


咲良は反射的に、必死で身振り手振りをした。ここに来て、早く、と。


冬花は一瞬だけ状況を確認するように周囲を見回し、すぐに菊都と龍也に何かを伝える。三人は頷き合い、こちらへと向かってきた。


数分後。


展示スペースの扉が、内側から慎重に開かれ、冬花たち三人が中に入ってくる。


「冬花さん!これ、今どういう状況なんですか?」


咲良が思わず声を張り上げると、部屋の中にいた全員の視線が一斉に冬花たちへと集まった。

不安と恐怖、そして苛立ちが混じった視線だった。


「叔父さん?」


冬花は一度だけ咲良に目を向け、その後、隣に立つ菊都へと視線を移した。答える役目を、最初から彼に任せるつもりだったのだろう。


「これは死体を媒介にして作られるアンデットモンスターだな」


菊都は周囲の空気を気にする様子もなく、淡々と告げた。


「異世界でも一度、似たようなものを見たことがある」


その言葉が落ちた瞬間、室内のざわめきが一段階大きくなる。


「……何で、そんなのがここに?」


震えた声で咲良が尋ねる。


「さぁな。ネクロマンサーでもいるんじゃないか?」

菊都は肩をすくめた。


「アンデットを作り出して、操れるのは基本的にそいつらだけだ」


「叔父さん」


冬花が言葉を挟む。


「咲良ちゃんが聞きたいのは、どうしてそれがこの世界に現れたのか、だと思うのだけれど?」


「それは俺にも分からん」


菊都は答えた。


「異世界帰りのスキル持ちの仕業かもしれんし、誰かがワープ装置みたいなものを作って、異世界からネクロマンサーを呼び出した可能性もある。……要するに、原因は不明ってことだ」


「考え出したらキリがないってことね」


説明が進むほどに、室内の空気は重く沈んでいった。理解できない単語ばかりが飛び交い、不安だけが増幅していく。


「お前らの話してる“異世界”だの“ネクロマンサー”だのって、何なんだよ?」


今まで黙っていた龍也が口を開いた。


菊都と冬花は、簡単にではあるが異世界召喚のことやスキルなどのことをを説明した。状況も状況なのですんなりと信じてくれた。

しかし、その説明は、部屋の隅にいた学生や来場者の耳にも届いていたらしい。


「……だったらよ」


最初に声を荒げたのは、中年の男性だった。


「この状況を引き起こしたのは、あんたらが原因なんじゃないのか?」


「いや、それは関係ないでしょ」


別の学生がすぐに反論する。


「でもさ」


今度は女性の声だった。


「正直、この訳の分からない人たちを部屋に入れるの、私最初から反対だったんだけど」


「訳の分からないって……」


冬花が低く呟く。


「私、見てましたよ」


女性は一歩前に出て、菊都を指差した。


「あなた」


「俺?」


「外で、ゾンビに襲われてなかったわよね?」


「俺も見てたぞ」


別の男性も同調する。


「襲われそうになった瞬間、急に倒れてた」


疑念が、はっきりと形を持ち始めていた。


「あんたが、そのネクロマンサーってやつなんじゃないの?」


「いや、違っ……」


菊都が否定しようとした、その瞬間。


ピンポーン、という無機質な音が、部屋中に響き渡った。


学内放送だった。


その場にいた全員が、反射的に天井のスピーカーを見上げる。


放送が鳴り響いた瞬間、部屋の空気が一変した。


天井に設置されたスピーカーから流れる、妙に明るく芝居がかった女性の声。


『お集まりの皆皆様!初めまして!私はこの度、とあるゲームの審判、いわゆるゲームマスターを務めさせていただく者です。名をアセビと申します』


その名に聞き覚えがある者はいない。だが、その声には不思議な説得力と、底知れない不気味さがあった。


『え?とあるゲームが何かって?それは、命をかけたデスゲームですよ。お好きですか?デスゲーム』


軽薄な口調とは裏腹に、その内容はあまりにも現実離れしていた。しかし、窓の外で蠢く“それ”を見た後では、誰も笑えない。


「デスゲ……何それ……?」


震えた声が漏れる。

咲良も息を呑み、無意識に拳を握りしめていた。


『そんなの参加した覚えがない?誠に申し訳ございません。しかし、この大学内に存在する者は全て強制参加となります』


その言葉と同時に、先ほど聞いた「見えない壁」という話が脳裏をよぎる。


『ですので、外に出られないよう、皆様を閉じ込めさせて頂きました』


ざわり、と室内が騒めいた。


『では、僭越ながらこの私、アセビがゲームのルール説明を致します』


その声は、騒音を切り裂くように続いた。


『ルールは簡単。単なる宝探しゲームです』


簡単、という言葉が、ここまで信用できないものに聞こえるとは思わなかった。


『今から皆さんには、私がこの大学内に隠した宝を迫り来るアンデットモンスターから逃げ惑いながら探していただきます。それらを私の元に持ってきてください。その時点でゲームクリア。この悪夢から解放して差し上げましょう』


「何なんだこれ……」


「これがネクロマンサーってやつの仕業なのか?」


「とにかく、このゲームをクリアすれば帰れるんだろ? だったら、みんなで協力して……」


その言葉が最後まで言い切られることはなかった。


『……あ、言い忘れておりました』


再び放送が割り込む。


『隠したお宝は、全部で五つしかありません』


部屋が、静まり返った。


『つまりですね。悪夢から解放されるのは、それを見つけて私の元に持ってきた先着五名のみとなります』


誰かが、喉を鳴らした。


『ですので、見つけた方はお早めに』


その放送が終わった瞬間、部屋の中は一気にざわついた。悲鳴まじりの声、早口の独り言、不安を押し殺したような沈黙が入り混じり、空気が重くなる。


そんな中で、菊都が顎に手を当て、ぽつりと呟いた。


「そもそも、お宝って何なんだ? どんな見た目かも分からねぇぞ」


「確かにそうね」


「幸いなことにここは三階。ゾンビ達が大量にいるのは一階よ。まだ、ここに上がってきてる気配は少ない。今のうちに、落ち着いて話し合いましょう」


「そうだな」


菊都は肩をすくめて続けた。


「まずは俺たちの状況から整理しよう。俺たちは藤麻と、そこの嬢ちゃん、咲良の大学の学祭に来てた。模擬店を回って遊んでたら、突然ゾンビみたいなのが大量に出てきた。それだけだ」


「かなり雑だと思うけれどそんな感じね」


冬花はうなずくと、ふと咲良の方を見た。


「あ、それと一つ聞きたいんだけれど。さっき放送で言ってた“閉じ込めさせて頂いた”って話、どういうこと?」


咲良は見えない壁に阻まれて外に出られなかったこと。何度押しても、叩いても、確かに“何か”がそこにあったことを説明した。


その説明し終えた瞬間、菊都が小さく息を吐いた。


「そうか。じゃあ、一つだけ分かったことがあるな」


「分かったこと?」


冬花が問い返す。


「この騒動を起こしたのは、異世界から来たネクロマンサーじゃない」


「……その根拠は?」


「ネクロマンサーが覚えられる魔法やスキルに、結界術はない。使えるのは死霊関係のものだけだ」


「つまり、ゾンビを操る能力と、見えない壁を作る能力……二つを使ってることになるからネクロマンサーじゃないってことね」


冬花は指を折って整理する。


「じゃあ、その能力者が二人いる可能性は?」


「その可能性は考えなくていい」


菊都は即答した。


「というより、俺たちが考えても意味がない」


「どういうこと?」


「その結界は、おそらく俺たちを“閉じ込めるため”の結界だ」


菊都は淡々と続ける。


「閉じ込める目的の結界には、絶対に守らなきゃいけないルールがある。使用者本人は、結界の中にいちゃいけないってものだ」


「そのルール、破れないの?」


「破れない。そもそも、使用者が中にいるなら、スキル自体が発動しない」


「なるほど……」


冬花は少し考え込み、視線を上げた。


「じゃあ、二人いた場合はどうしようもないってこと?」


「いや、もし二人いたとしても大丈夫だ」


「何で?」


菊都はスマホを取り出し、画面を皆に見せた。


「電波は通じてる。携帯も使える。だったら、この学祭に来てないやつに、外から潰してもらえばいい」


そう言って、藤麻との通話画面を咲良達に見せてスピーカーに切り替えた。


『なんかゾンビが出てきたってメッセージが来て通話かかってきたけど、まじで何言ってるの? 学祭のイベントの話?』


「違うの。藤麻。聞いて。あのね……」


咲良は深呼吸を一つしてから、これまでに起きた出来事をできるだけ順序立てて話した。

ゾンビが地面から現れたこと、見えない壁で大学から出られないこと、そして「デスゲーム」を名乗る放送の存在。


『……なるほどな』


少し間を置いて、藤麻の声が低くなる。


『外の騒ぎはそれか。めっちゃパトカーやら何やら通ってたな。で、俺はその、いないかもしれない結界術の使用者を探さなきゃいけないってこと?』


「可能性として潰しておきたいんだ」


菊都が落ち着いた口調で割って入る。


「いなかったらいなかったでいい。結界術の特徴は後で送っとく。それを参考にして探してくれ。頼んだぞ、助手」


『了解』


一拍置いてから、藤麻は少しだけ冗談めいた声を出した。


『探偵さんも生きてくださいね。まだ、伊勢のこと見つけてないんですから。咲良も。冬花さんもね。……龍也は、まぁいいか』

藤麻はそう言い終えると同時に通話を切った。


「何で!? 俺だけ適当なん!?」


龍也が即座に突っ込んだ。

それに、咲良は思わず苦笑してしまう。


「ま……まぁ、とにかく」


菊都が話を戻すように咳払いをする。


「これで考えるべき可能性は一つだ。あのアセビって奴は、異世界帰りのスキル持ち。問題はそれが何なのか」


冬花が腕を組み、視線を伏せたまま問いかける。


「ちなみに、スキルを二つ持ちって可能性は?」


「ないんじゃないか?異世界に召喚された者は、ギフトとして強力なスキルを一つだけ得る。そして、それ以外は、こっちの世界に持ち帰れない。少なくとも、俺たちの仮説はそうだろ?」


「そうね」


冬花は小さく頷いてから、ふと思い出したように顔を上げる。


「叔父さん。アセビって人、異世界で聞いた覚えは?」


「ねぇな。聞いたことがあったとしても、覚えちゃいねぇ」


「……えっと、で、この後、どうするんすか?このデスゲームをクリアしないと、ここから出られないんですよね?」


室内のざわめきが少し落ち着いた頃、龍也が周囲を見渡しながら口を開いた。


「そうだな。ただ、このゲームに、わざわざ参加する必要あるか?」


菊都は壁際に背を預け、タバコに火をつける。

煙を吐き出しながら、どこか面倒くさそうに言った。


「え? あるでしょ!?参加しないって、それ死にたいってことですか!?」


「いや、自殺願望はねぇよ。ただな、これを放送してるってことはアセビって奴は、この大学の放送室みたいな場所にいた可能性が高い。もう移動してるかもしれねぇが、手がかりくらいは残ってるだろ」


「……わざわざ会いに行くんですか?」


「そいつを止めりゃ、このゾンビ騒ぎも止まる可能性が高い。敵が用意したゲームを、律儀にクリアする必要がどこにある?」


吐き捨てるように言い、菊都は肩をすくめる。


「そもそも、“宝”がどんな見た目かも分からねぇ。そんなもん探すより、元凶を叩いた方が早いだろ」


そのときだった。


「お宝って……これのことかなぁ」


場違いなほど幼い声が響く。

部屋の隅にいた小さな男の子が、ロッカーの扉を開けて立ち尽くしていた。


その中にあったものを見て、周囲の空気が一変する。


「……あ」


誰かが息を呑む音がした。


それを合図にしたかのように、咲良たち以外の人間が一斉にロッカーへ駆け寄る。

中には、いかにも“宝箱”と呼ぶに相応しい箱が置かれていた。


「これか?」


「中に入ってんじゃねぇの?」


「誰が持つ?」


期待と欲が入り混じった声が飛び交う。


箱は二人がかりで持ち上げられ、ロッカーから引きずり出された。


「……意外と重いな」


「金塊とかだったら笑うよな」


「さすがにそれはないだろ?」


冗談めかした空気のまま、箱の蓋が開けられた。


箱の中に入っていたのは、人の頭部だった。


「ヒィッ!」


箱を持っていた男が悲鳴を上げ、反射的に手を離す。頭部は床に転がり、鈍い音を立てた。


「キャア! なにこれ! やめてよ!」


悲鳴が重なり、人々は一斉に後ずさる。


「ちょっと! あんたが開けたんだから片付けなさいよ!」


「え!? 俺!?」


責め立てられ、男は顔を引きつらせながらも、渋々その頭部に近づく。

震える手を伸ばした、その瞬間


ガブリ、と。


「うわぁぁぁっ!!」


頭部が動き、男の手に噛みついた。


悲鳴が響く中、男の顔色がみるみる変わっていく。皮膚は青黒く変色し、腐臭が部屋に広がった。


そして次の瞬間。


男は、最も近くにいた人間へと襲いかかった。


「逃げろ!!」


連鎖するように、噛まれた人間が次々と変わっていく。部屋は一瞬で地獄と化した。


人々は悲鳴を上げながら、ドア前のバリケードを崩し、我先にと逃げ出していく。


「俺たちも行くぞ!」


菊都の声で我に返り、冬花、咲良、龍也の四人も部屋を飛び出した。


廊下を駆けながら、咲良が息を切らして叫ぶ。


「どこに向かうんですか!?」


「放送室だ! 場所、分かるか!」


「三号館の一階です!ここ、四号館とは真反対にあります!」


四人はそのまま、ゾンビの呻き声が響く学内を駆け出した。

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