第15話:恋と死と裁きの国
裁判所の大扉が開くと、朝の冷気と共にざわめきが流れ込んだ。
広間の両脇には観衆が押し寄せ、ひな壇のように並んだ席から無数の視線が降り注ぐ。視線は好奇と軽蔑と、そして甘い残酷さに濡れていた。
「恋の罪だってよ」
「侯爵様をたぶらかしたご令嬢だ」
囁き声が、針のようにシゼットの耳に刺さる。
中央に引き立てられた彼女は、鎖の音を響かせながら被告席に座らされた。
長椅子に腰かけた判事たちは黒い法服に身を包み、表情は石のように硬い。壁際には巨大な時計があり、その針は音もなく進んでいる。時間さえも、この場では冷ややかな傍観者だった。
◇◆
「これより、侯爵家教育係シゼット・クロワに対する公判を開始する」
裁判長の低い声が広間に響くと、群衆がざわめきを増す。
その空気は、真実を求めるというより、見世物を前にした娯楽の昂ぶりだった。
検察官が立ち上がる。
「被告は身分を偽り、侯爵家の純血を汚そうとした」
言葉は冷たく、唇の端に勝ち誇る色が宿っていた。
「さらに、妊娠という事実を利用し、当主を脅迫した可能性が高い」
観衆から小さな笑いと嘲りが洩れる。
◇◆
シゼットは俯いたまま視線を動かした。
最前列、被告席の右手。
そこにジュリオがいた。青い外套の下、紅い瞳は暗く沈み、石像のように動かない。
(見てくれている)
一瞬そう思うが、彼の口は固く閉ざされたままだ。
弁護人は立ち上がったが、言葉は形式的で、魂の欠片もない。
「本件は……感情的な誤解によるもので……」
その声は裁判長に制され、すぐに途切れた。
◇◆
沈黙を破ったのは、群衆の中から響いたひときわ高い声だった。
「異議あり!」
振り返ると、長身の男が群衆を押し分けて進み出る。黒衣の神官──セルジュ・カノン。
彼は許可も得ずに壇上へ歩み寄り、その紅灰色の瞳を判事たちに向けた。
「このご令嬢は罪人ではない」
低く、しかし刃のように鋭い声。
「彼女は侯爵に愛された。それは契約でも策略でもなく、ただの真実だ」
群衆がざわめき、誰かが「黙れ、若僧め!」と叫んだ。
セルジュは一歩も退かず、続ける。
「恋は罪ではない。それを罪とするなら、この国は愛する権利を殺す国だ」
◇◆
その言葉は、刃物のように広間の空気を裂いた。
だが裁判長の表情は微動だにせず、むしろ冷たさを増した。
「神官カノン、その発言は許可されていない。速やかに退廷せよ」
「拒否する」
セルジュの声は熱を帯び、観衆の一部が息を呑む。
「私は証人としてここに立つ。彼女は──」
「退廷せよ!」
裁判長の木槌が重く打ち鳴らされ、衛兵が動いた。
セルジュは振り返らず、最後までシゼットだけを見ていた。
「君は……君は、本当に愛された女だ」
その声は観衆の罵声にかき消されながらも、確かに彼女の胸に届いた。
◇◆
扉が閉まり、セルジュの姿が消える。
広間には再び冷たい秩序が戻り、検察官が淡々と最終陳述を読み上げた。
その声は、彼女の運命を石で覆うように硬質だった。
「──よって、被告シゼット・クロワを死刑とする」
木槌が再び鳴った瞬間、群衆は歓声を上げた。
まるで勝利を祝うような拍手と笑い。
その音の中で、シゼットは静かに目を閉じた。
◇◆
まぶたの裏に浮かぶのは、あの夜の暖炉の赤い炎。
ジュリオの指先が触れた時の、あの息の震え。
愛は確かにそこにあった──それだけが、彼女を支えていた。
やがて衛兵の手が肩を掴み、椅子から立たせる。
外はまだ昼前で、冷たい光が扉の隙間から差し込んでいた。
その光は、彼女にとって処刑台への道の始まりだった。




