父さん
父が眠った頃、幼い小麦は固く冷たい床の上で殴られて気絶していた。
だが、次第に寒さと痛さに目が覚めた。
這い上がって父のベッドに上る。
背を向ける父の腕に潜り込み、手を握って頬ずりをした。
すると、父と目が合った。
小麦は驚き、すぐに離れていつも寝ている床に下りた。
「すいません。二度としません・・・」
壁に向かって眠る小麦を父は見つめていた。
「あの時の事だけじゃない。お前が隠し持ってたあの人形の事も知ってたさ。だけど、あれだけはお前から取り上げられなかった」
それにも驚いて顔を上げる。
そんな小麦に頷いて返してあげた。
「知ってたの・・・?」
「知ってたよ。肌身離さず持って・・・。夜中にあの人形をこっそり見ている時のお前の顔は希望に満ちていた。俺に嘘をついてまで隠し持っていたあの人形を」
小麦は父を見ながら黙って涙をこぼしていた。
「あの頃、お前を一度でも抱きしめてやれたら、お前はこんなにも可哀想な思いをしなかったのかもしれない・・・。そんな簡単な事を俺はできなかった。だから一度だけ、撫でてやった。そしたらお前はその思いを引きずって、ずっと生きてきた」
小麦が泣きながら聞く。
「父さんは今、どこにいるの?お墓はある?会いに行っても・・・いいですか?」
「魔王軍が俺たちの街を襲撃した日を覚えているか?」
そう聞かれ、頷いた。
幼い日の小麦が住んでいたスラム街を襲撃された日。
その日はいつも以上に静かな夜だった。
しかし、外が騒ぎ始める。
さらには異常なほどの大きい音が鳴り響き、その音で小麦は目を覚ました。
突然、壁が壊される。
瓦礫の下敷きになってしまい、身動きが取れなくなった。
父はベッドから動いたと思うと、小麦を置いて出ていってしまった。
「待って!父さん!!待ってよ!!捨てないで!!」
そんな叫び声が聞こえていないかのように父は振り返る事なく消えた。
「父さーーーーん!!」
小麦は必死に手を伸ばして叫んだ。
「あの時お前を置いて行った後、すぐに街外れの河原で殺され、川に捨てられた。もう体も骨もバラバラになってどこかへ散ったよ。惨めな小心者らしい最後だったよ」
それから父は小麦を抱きしめた。
「お前は今まで本当によく頑張ったな。こんな俺に似ず、本当に誇らしいよ」
小麦も父を抱きしめ返す。
「父さん、捨てないでほしかった・・・。どれだけ殴られても・・・血が繋がらなくても・・・捨てないでほしかった・・・」
「悪かったな・・・」
小麦がさらに強く抱きしめた。
「いいか、お前の本当の親は生きている可能性がある。俺の事は忘れろ」
「そんなの出来ない!父さんはあなただけだ!!」
体を離して必死に訴える。
「そろそろ時間だ・・・。それじゃあな・・・」
「父さん!嫌だ!!俺を置いて行かないで!一緒にいたい!!」
父は必死に訴える小麦を制した。
「お前は本当の親に会うべきだ。それに、他にもやる事が沢山あるはずだ。俺の事は今日で忘れろ。お前の人生を歩むんだ。その為に俺は来た」
「あぁ・・・父さん・・・」
そして父は消えてしまった。
「父さん・・・」
小麦は俯いて涙をこぼした。
成人の年齢になった誕生日の深夜、まだ名前がうどんだった頃。
1人で魔王軍基地の屋上にいた。
タバコをつけて吸ってみる。
だが、すぐにむせた。
「ゲホッゲホッ!!・・・あー、タバコ無理だ」
タバコを床に擦り付け、火を消す。
お酒の入った小さな瓶の蓋を開けて口を付けた。
「ブッ!!・・・うぅぅ〜!酒も苦手!!こんな不味いもんの何がいいんだ?」
そう言ってお酒を置く。
「でも、お酒なら少しずつ慣れるか。タバコだって、その内何とかなるのかな?」
タバコの箱を手に持って嬉しそうに見た。
それはいつも日雇いの賃金で買わされていた安物のタバコ。
「父さんとお酒飲みたいな。その為に毎年買ったんだ。・・・褒めてくれるよな?」
ため息を吐いて手摺まで歩く。
「父さん、どこいるんだろ?早く見つけてくれないかな?」
小麦は嬉しそうに空を見上げていた。




