善と悪
小麦がラテルネ墓地に来る日の朝、フィサリスは人の姿をしたヘルハウンドに手紙を渡した。
「今日、この前あなたを盗みに来たアイツが来るから。1週間いるんだって」
「・・・何をしに?」
フィサリスの手元にある手紙を見たまま聞く。
決して受け取ろうとはしない。
「さあ?あなたの為にピアノでも弾きに来るんじゃない?」
「冗談はよしてくれ」
拗ねたようにそっぽを向くと、フィサリスが手紙を渡した。
「その手紙に書いてあるわよ。どうして来るのか、何をしに来るのか。読んでおけばいいわ」
ヘルハウンドは黙って手紙を開いた。
読み切ってから、「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「魔王軍が崩壊したか。いい気味だ。1週間くらいなら姿を見ずに済むかもな。この墓地に足を踏み入れることは癪だが・・・」
そう言って手紙を放り捨てるように置く。
その後、しばらく拗ねていると、妖精達が騒ぎ出した。
「来たか」
ヘルハウンドが立ち上がる。
丁度小麦が鬼灯に息を吹きかけた頃か、自分への用だと感知した。
「わざわざ鬼灯で私を呼び出すとは」
威嚇しながら黒い大きな犬の姿になるが、すぐに足を止めた。
妖精がこの墓地に踏み込んだ小麦の過去を霧の中に映し出す。
魔王軍崩壊時、きしめんが船に乗せられ、たった1人、部下に命を救われたこと。
1人で生き延びたことへの葛藤。
ディンブラに拾われたが、それでも周囲に嫌われ続けた今までを、必死に笑顔と目の前の事に集中することで乗り越えたこれまでの時間。
妖精が見せた映像を見終え、人の姿に戻った。
少ししてから、ピアノが鳴り響く。
「月光・・・。お前はまだ、暗い夜の中にいるんだな」
ヘルハウンドがゆっくりと歩き出し、小麦の元へと向かった。
ラプソディー・イン・ブルーを弾き終える。
「楽しいなぁ。こんなにも楽しい演奏ができて嬉しいよ!」
満足そうにするヘルハウンドに対して、小麦は元気が無かった。
「正直、会いに来てくれるとは思ってなかったよ・・・」
小麦の隣でしばらく黙る。
「小麦は、魔王軍が崩壊してから色々とあったようだな。大事なモノも沢山失ったんだろ?」
「何て事ないさ。俺にとって大事なモノは、世間にとって煩わしかったってだけだ。魔王様も、仲間も・・・俺自身も」
小麦が目線を落とす。
「裏切った葵は、俺達にとって最悪の仲間だった。でも、世間の中には英雄と称す奴らもいる。・・・俺も、魔王軍内では英雄だった」
ヘルハウンドは何も言えなかった。
そのまま小麦が続ける。
「英雄も悪党も紙一重だ。見方を変えればどっちにでもなれる」
少しの間黙り、ピアノの鍵盤を見つめた後、ヘルハウンドが口を開いた。
「私は、小麦の事を一方向からしか見れていなかったようだ。悪い奴だとばかり思い込んでいた」
小麦が寂しそうに笑ってヘルハウンドを見る。
「間違っちゃないよ。実際に悪い奴だったんだ。所属組織から評価されたって、世間からはいいとは言われてないし。だいたい、あれだけ多くの人を殺したり、家族や土地を奪っている奴が善人なわけがない。あの頃は必死にそういった部分を見ないようにとばかりしていたけどな」
「ましてや、正義のヒーローなんて・・・」と最後に小さく呟いた。
ヘルハウンドが小麦を不思議そうに見ている。
「何でもない・・・。忘れてくれ」
すぐにそう言って自分の言葉を打ち消した。
「どんな悪人も、悪い事をしようと思ってしているわけじゃない」
ヘルハウンドから出て来た意外な言葉に小麦がびっくりしたように振り向く。
「きっと、心の底にあるのは己の正義なんだ。ただ、他の人と正義の定理が違っているだけで、人は悪と決めつける。勧善懲悪なんて物語上だけだ。だけど・・・」
ヘルハウンドの声が小さくなる。
そして、申し訳なさそうに謝った。
「私も、小麦の正義を見ようとしなかった。すまなかったな・・・」
「ヘルハウンド・・・」
2人の元にフィサリスがやって来た。
「何だかんだ、仲良くしてるじゃん!ヘルハウンド!」
ヘルハウンドは照れて口を紡いだ。
「フィサリス!聞いてたのか?」
「そりゃ、ヘルハウンドが会わないつもりなら、私が小麦の世話しなきゃいけないでしょ?だけど、ヘルハウンドが出てったからちょっと様子見てたの!」
恥ずかしそうに目を閉じる。
「ヘルハウンドと仲良くなれてよかった!小麦、改めまして!ラテルネ墓地6代目看守、フィサリス・アルケケンジ・バラエティよ!」
伸ばした手を小麦が立ち上がって握る。
「エディブルから来た小麦だ!よろしく!」
ヘルハウンドも手を差し出した。
「墓地の番犬、ヘルハウンドだ!ラテルネ墓地の手伝いを頼む!」
「勿論!」
ヘルハウンドとも熱く握手を交わした。




