第九話「とんでもない泣き虫妹ムーブ」
――(オープニングBGM)
クルーザのデッキ上に立つ二人の男性。
左腕にトライバルタトゥーの入った金髪と、コーンロウを後ろで束ねたハーフ顔。
二人が同時に口を開く。
「「はいさーい! ぐすーよー、ちゅーうがなびら〜!」」」
「『メンソーレタムズ』の金髪のほう『海皇』やさー!」
「『メンソーレタムズ』のイケメンのほう『虹色』やいびーん!」
ほとんど前置きもなく海皇がテンポよく本題を切り出す。
「はい、ニーロくん! 今日は何するどー!?」
虹色が応じる。
「今日は、これ!」
――(ドドン! パッパラパー!)
手に持った紙チケットをカメラに映す虹色。
「シャングリラ沖縄! 『V.I.P.ロイヤルインビテーション』チケットをゲットしたさー!!」
――(ワァー! パチパチパチ!)
「おぉぉぉ! これが例のアレですねー!? 定休日にやってるっていう、VIP限定のアレですねー!? ついに、うちんらも『あっち側』に選ばれたんですかァー!?」
分かりやすく説明する海皇とは対象的に、冷静にうなずく虹色。
「ゲットしましたさー! ……とあるルートからよー(小声)……」
(※転売ヤーからチケットを買うのは止めましょう)のテロップ。
「まぁ、入手先はともかく、シャングリラ沖縄に行くってことでさー。今日は第一弾として、ナンパ企画からやっていきたいと思いますよー!」
海皇がガッツポーズをしながら指で「行為」を意味する形を作って見せるが、そこにはモザイクがかかっている。
「それじゃ、行きましょうさー!」と虹色。
「「ビーチナンパ企画!一日でおまんちょ何人乗れるかな~!!」」
「メンソーレタムズ」を名乗るナンパ男二人組は、舐め回すような視線を俺に向け、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「てかおねーちゃんもそーとーさー、綺麗だけどさー、キミもバチクソ可愛いねー!」
「え、もしかしてアイドルの卵とか? ベリショでこんな可愛いって相当やばくね?」
やめろ見るな。
「本土の人だよね? てかぜったい大阪とか東京からじゃないねー? 当たりっしょー?」
「SNSなに使ってるー? だいたいのSNSやってるから教えてよー? カギ垢でフォローするから絶対大丈夫さー!」
キモいキモい。
やめろ……。
やめてくれ……。
俺は胸の前で手を重ね、ただ困惑することしか出来なかった。
「ええと……」
これまで何度もナンパの「出し」に使われたことはあった。ユウリの。
しかし、まさか俺が「ターゲット」になるとは思いもしなかった。
見ず知らずの男から声をかけられることが、これほど怖いとは……。
女装しているとはいえ、今、俺は女だ(謎理論)
水着を着た少女。
どう見ても成人には見えない。
そんな未成年を、大人二人がかりでナンパ?
ヴェ……
背筋がゾッとして、不安が襲ってくる。
――恐怖、緊張、不快、不審、嫌悪、困惑。
「あの……そ……えと……」
しかし、言葉が出てこない。
すべてのネガティブな感情が一気に高まり、どう反応していいのか分からない。これが、「その気もないのにナンパされる」ということか。
恐怖で身体がこわばる。
胸の奥がざわつき、吐き気をもよおしてくる。
ふいに金髪が沖のほうを指さして「てかあれ見える?」と尋ねてくると、俺は思わず「え、どれ?」と答えてしまった。
「あの沖のほうにある白い船、見えるかなー? あれ、俺らのクルーザーなんだけど、乗ってみない? おねーちゃんと一緒にさ?」
「てか二人でいれば安心でしょー? 大丈夫さー、ぜったい沖のほうには行かんさー? ね、ちょっと遊んでみよーよー?」
「えぇ……」
嫌だ。
もう嫌だ。
俺は両手を胸の前でギュッと握る。
誰か。
なんとかしてくれ。
助けて。
――カッ!!!!!!!!
落雷。
視界が瞬間的に真っ白になり、少し遅れて声が反応する。
「ヒッ!!」
雲一つない空から突如落ちてきた雷が、クルーザーへ吸い込まれていった。
俺も、メンソレータムズの二人も、驚きのあまり言葉を失う。
次に、3、4秒の静寂。
――ドガガガガァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!!!
雷鳴。
「キャァァァァッ!!!!」
「うおぉぁぁぁっ!?」
「どわぁぁぁぁっ!!」
爆発するような轟音が鳴り響き、俺たちだけでなくビーチに居た全員が硬直する。
「か、雷? 船に……落ちたんじゃ?……」
俺が先ほど見た光景を口に出すやいなや、すぐにクルーザーから火の手が上がりはじめるのが見えた。
「え!? え、燃えよーん!? わんねーらの船や、燃えちょーるば!?」
「うそやみ!? まじか!? あれよ、機材とかチケットとか、みーんな船ん中やいびーど! あいっ、あいっ、どうするばー!?」
「とりあえず、いちゅんどー!?」
「行ち行ちすんどー!!」
二人は俺を残し船着き場のほうに猛ダッシュで向かっていく。すぐに二台の水上バイクが猛スピードで走り出す。
遠くのほうで炎上する船をぼんやり眺めていると、背後から安心感のある声が聞こえた。
「ジェットもダイビングも、バナナボートもパラセーリングも、ぜーんぶ中止だってさー。なんだよもー……こんな天気いいのにぃ~~~~」
「……うッ……」
ユウリの顔を見ると、俺の心に不思議な感情が込み上げてくる。
俺はそれを必死にこらえた。
「えっ、なにその顔? どした? なになに!? なんかあった!? 怖かった!?」
「な゙……な゙ん゙でも゙……な゙ぃ゙……ゔっ……」
視線をそらし、目に力を入れる。
唇を噛み、嗚咽を押し殺す。
ユウリが顔を寄せて、静かに語りかけてくる。
「……こらこら、無理すんなタキ。なんかしらんけど、もう大丈夫。大丈夫だからな?」
優しい抱擁。
喉元で押さえつけていたものが、一気に決壊する。
「ゔっ……ッ……ゔっ……。ゔぇぇぇぇ~~~~……ゔぇぇぇぇ~~~~!!!! ユ゙ヴリ~~~~!!!! お゙姉ぢゃぁ~~~~ん!!!! ごわ゙がっ゙だ~~~~!!!! ゔぇぇぇぇ~~~~……ゔぇぇぇぇ~~~~!!!!」
とんでもない泣き虫妹ムーブ。
なんつー声を出しとるんじゃ。神谷タキ、十六歳、男子高校生よ。
昨日までの威勢はどこ行った? バカ強ェ決意で「俺は男のまま家族旅行をやり遂げる」とか言ってなかったか、おお?
まぁでも……。
今回は不可抗力の点を考慮しないとな。
初の女性用水着着用による脳汁ドクンドクン、ナンパによる恐怖と緊張、突然の落雷による心臓バクバク。
これが全部合わさって少々感情が不安定になった。倍ファイ倍倍ファイ倍倍倍ファイっていうくらいか?
――てかそもそも、女装をした男が泣いてはいけないって法律ある?
ないよね?
つまり、実質的にはノーカウント。ダメージ相殺。
ライフポイントは変化なし。
ふー。
「はいはい……よしよし……大丈夫大丈夫……」
「うっ……ッ……ううっ……ゔぇっ……ッ……」
ほら、ノーダメでしょ?
◇◆◇◆◇◆◇
ユウリは一言も発することなく、肩を寄せながらゆっくりと歩いてくれた。
ヴィラに着く直前でようやく落ち着きを取り戻した俺は、やつに「さっきの事」を父と母には黙っていてほしいと頼んだ。
「ナンパされたこと? それともギャン泣きのほう?」
「ど……どっちも……」
ユウリはただうなずき、ウッドデッキ側からではなく玄関側に向かった。
網膜のスキャンをさっと済ませ中に入ると、やつリビングに向かって大きな声で叫ぶ。
「パパ、ママー! ただいまー! タキがすぐそこでアホみたいにコケたー! 砂だらけだからシャワー浴びさせるー!」
「はーいおかえりー! タキは怪我ないー?」
ユウリが適当に返事をしている間に、俺はバスルームへ向かった。
「下着と着替え、ここに置いとくからね? あたしも上でさっとシャワー浴びるけど、あんたはゆっくりお湯に浸かんなよ! ぜったいね! いい?」
「お、うん……わかった……。ありがと……おね……ちゃん……」
最近俺が「女」のとき、ユウリは当たり前のように風呂に侵入してくる。てっきり今日もそうするのかと思ったが、なぜか今日は一人で入るよう言われた。
俺はたっぷりとお湯を張ったバスタブの中で膝を抱え、さっきの出来事をもう一度思い出そうとする。
耳奥に残る低い声。
全身を舐め回すような視線。
行為を連想させるような誘い文句。
あいつらが俺に向けた「すべて」
胃の奥がキュッとなり、思わず口を抑える。
「ゔッ……ぎも゙ぢわ゙り……」
――ジャァァァァ……
シャワーの水を頭からかぶり、俺はバスタブに沈み込んだ。
バスルームを出ると、すぐ側のラックに下着と着替えが用意されていた。
「はぁ……勝手にスーツケース開けんなよ……まぁ、いいけど……」
先日教わったとおり、髪をタオルドライし、やさしく叩くように身体を拭き、下着をつけ終えると、見計らったかのようにノックの音が聞こえた。
「な、なんだよ!? まだ着替え中だけど?」
「はいはい、先にスキンケアするよー? お邪魔しまーす」
顔をプレ保湿、化粧水、フェイスパック。その間に身体に美容液とボディオイル。パックを取って美容液、乳液。
自宅であれば朝晩一回づつのこのルーティンも、沖縄にいる間は何度も繰り返さなければならない。
面倒だ。
俺は正直にそれを伝えることにした。
「あのさぁ……晩飯食ったら、また後でシャワー浴びんだよな?」
「そりゃそうでしょ?」
「だったら、一番最後でよくね?……」
「はぁ~~~~……」ユウリのクソデカため息。
俺の髪をドライヤーで乾かしながら、ユウリはしみじみと言った。
「みなさんそう仰って、結局、後々になって後悔なさるんですよねぇ~~~~。でも、お気持ちは分かりますよ~~~~、『女』って大変ですよもんねぇ~~~~!!!!」
◇◆◇◆◇◆◇
――ホテル「コンロン」本館
エレベーターがレストランのある19階に到着すると、マスターコンシェルジュの近栄さんがスタッフ数名と共に、俺達を出迎えてくれた。
「お待ちしておりました、神谷さま。ではお席にご案内――」
さすが近栄さん。
彼はすぐ違和感に気づいた。
そう、俺だ。
「――そちらのお嬢様は……」
どうも、さっきぶりです。
空港で出迎えをしてからヴィラに案内するまで、俺はたしかに「息子」だった。
しかし今はどうだ?
胸から肩にかけて大きく開いたオフショルダーデザインのひざ下丈ワンピースドレス(さらっとした白のシアー素材に繊細な百合の花柄デザインが上品でGOOD)
ちょっと背伸びしたスクエアトゥの低いヒール付きサンダル(ビーチのときより多少歩ける)
メイクはポイントを押さえつつ、ラグジュアリー感を抑えた韓国アイドル系ナチュラルメイク(ヘアはくるりんぱアレンジにしました)
主張しすぎない、こぶりなゴールドアクセ(本物じゃないよ)
「あの……近栄さん……」
俺はこころの中で彼に訴えかける。
俺のこと分かります?
分かりませんよね……?
あなたが最後に見た「神谷タキ」は、もうすっかり変わってしまいました。
ややこしくてすみません……。
俺はこの姿をどう説明すべきか、とっさに脳をフル回転させる。
「ええと、実は……」
しかし心配は無用だった。
「そちらのそちらのお嬢様は――タキ様でございますね。とてもお似合いでございます」
彼は顔色一つ変えず、微笑みを浮かべた。
ユウリは「ほら言ったでしょ?」と言い、父と母は少し得意げな顔をしている。
「では、お席にご案内いたします」
俺たちは近栄さんとホール責任者の女性に案内され、半個室のテーブルが並ぶ海側のボックス席に向かった。
すでに日は落ち、窓から見える海は真っ暗だ。ライトアップされた浜辺に、ちらほらと人が歩いているのが見える。
ホールスタッフに椅子を引かれ、着席しようとしたその時、隣の個室から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――でさぁ! なんか俺、腕四本あるムキムキ色黒モンスターになっててさ! 肩にユウリさん乗せてるわけ! もうパワー感がパワーで、どういう状況だよってゆーwww」
「わかるwww わいも紐バニー着て宙に浮いてて、しかもチョー豊胸で、イミフすぎてうけたwww」
――「あれ……?」
俺は動きを止め、声の持ち主をパーティション横からのぞき見る。
「あ」
見覚えのある二人の横顔。
パリッとした白い半袖シャツを着こなす原田マルケスが尋ねる。
「てか俺とヤオが一緒の夢見るとか、ほんとすごくね? これユウリさんとタキも見てたらヤバいぜ!?」
宓瑶は落ち着いた青色のチャイナ風ドレスを着ていた。
「それだと……わい痴女で死ぬぅー! あれ見られるなら、まだ全裸のほうがマシかもwww」
どれほど他愛のない話でも、こいつらが話せばなんでも上品に聞こえる。「上級市民」とはこういうことを言うんだな。
俺は妙に納得したあと、もう一度だけ二人の顔を確認し、家族に了承を得る。
「ごめん……なんかちょっと友だちが居るみたいで……挨拶だけしてきていい?」
「あぁ、原田さんと、宓さんか?」
父はそのことを知っていたかのように、二人の名前を挙げた。
「え、父さん知ってたの?」
「知ってたというか……彼らのご両親は行くって聞いていたからなぁ」
「えぇ、なんだよそれ……わたし、なんも聞いてないんだけど!?」
「急に着いてきたんじゃないのか?」
「とりま行ってくる」
俺は立ち上がり、隣のボックスにそっと歩み寄ると、こないだ以上にメスっぽい感じで二人に声をかけた。
さて、俺が誰だかわかるかなぁ~????
「あの……すみません……」(恥じらいメス声)
こちらを向くマルケスとヤオ。
ひと呼吸だけ間をおいて、マルケスが口を開く。
「ほらな~、やっぱりタキいたじゃ~~~~ん!!!!」
ヤオが続ける。
「それな!!!! ぜったいタキくん居るって、さっき話してたんだよ~~~~!!!!」
「……え? え?…… どういうこと!? てか……どういうこと????」
俺は二人の顔を見つめながら状況を理解しようと頭を働かせる。だが、それよりも先に別の感情が押し寄せてくる。
「てか……ひひっ。なんか……ははははっ! あはははは! なんだよお前ら~!! はははは! なんだよも~!」
俺たちは笑いあった。
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