第七話「この海に足りなかったのは……白い水着を着た俺だ」
朝、俺は目を覚ました。
ボクサーパンツの中で感じる突っ張り。
十六歳の男子高校生にとって、毎朝の「ソレ」はごく自然な生理現象であり、心身の健全さを示す若さのバロメーターともいえるアレだ。
俺は寝転んだままスウェットパンツのウエストゴムを引っ張り、そっと中を確認する。
ったく……バッキバキじゃねーか。
「よぉ、元気か?」
――五日
たった五日会えなかっただけで、こんな気持になるなんて……。
俺は「大人になること」を分かったつもりで、半端な気持ちで女装に手を出してしまった。その結果が、姉バレ、家族バレ、親友バレ、外出デビューだ。
浅はかだった。
無くなってから気づくんだ。人は。
俺にとって、まだまだお前は必要だ。
「また……よろしくな……」
身体を起こしベッドの横に目をやると、蓋の閉じられていないスーツケースが見える。
家族旅行の荷物。
メンズの下着、メンズのパンツ、メンズのTシャツ、メンズのシャツ、メンズの水着、メンズの化粧水、メンズの日焼け止め、メンズのリップクリーム、メンズの歯ブラシ、メンズのひげそり一式、メンズのスマホケース、メンズのモバイルバッテリー、メンズメンズメンズメンズ……。
オールメンズパッケージ。
後悔など微塵もない。
俺は一週間の家族旅行をやり遂げる(バカ強ェ決意)
俺はちゃんとした一人の男として、統合型アドベンチャーリゾートパーク「シャングリラ沖縄」へ行く!!
自動ドアが開くと、斜め前から太陽が降り注いできた。
「おお」
冷たい空気と入れ替わるように、南国特有の湿った空気が肺に入り込んでくる。
スーツケースに腰掛けタクシー乗り場に並ぶ人々、案内板を掲げた旅行会社の添乗員、娘夫婦を迎えに来たっぽい両親、ド派手なアメリカンマッスルカー。
沖縄国際空港は人と車で混雑していた。
「あっちぃ! てか、全然暑いじゃん!」
さっきラウンジでもらった琉球シャツをパタパタさせながら、俺は男っぽく言った。
脇から汗が染み出してくるが、今日は汗取りパッドなど付いていない。
だが、それでいい。
それでいいんだよ、俺。
ふと、妙な感覚がこみ上げてくる。
むずむずした感じ。
身体の中を微弱な静電気でなでられるような、脳が本能的に何かを求めるような感覚。
これは……?
(ワンピースのほうが楽だったな)
……。
は?
いやいや!!
まてまて!! なに考えてんだ俺!?
もうそういうのはいいんだよ!!
家族旅行を女装で!? ……できらぁ!! じゃねーよ!!
「女装旅行」とかいう漢の中の漢を体現できるのは、内なる心を認め「覚悟」を決めた者だけ。俺みたいな半端ものが、思いつきでするようなことではない!
俺はキャップを被り直し、空を見上げた。
「……まぁでも、ぜんぜん暑くねーな。これは避暑地だわ」
ユウリが俺の横に並ぶ。
ふわり――
やつはシフォン生地のマキシワンピースを見せつけるように揺らし、ふふんと鼻をならす。
「まー……たしかに然涼しいね。気温30、湿度が65だってさ。てか、ワンピースだってモノによっちゃフツーに暑いから?裏地ひっつくよ?」
「へ、へぇ……」
こ、こいつ……俺の……心を?!
そんな能力まで!?
スマートサングラスの向こうで、魔王の瞳が七色に輝いたような気がした。
ポーターの男性と話しながら先を歩いていた両親が、黒い車の前で立ち止まりこちらに手をふる。
「ユウリー、タキー! これだこれ」
父が指し示したそれは、国内メーカーの最高峰ブランドが販売している高級ミニバンだった。
ラグジュアリーな内装、高い走行性能と究極の静粛性。このクルマはすべてのパッセンジャーを「主役」にする――(※コマーシャルより)
横に立つ二人の男性が俺たち一人一人にしっかり目を合わせ、深々とお辞儀を行った。
グレースーツの男性が胸に手を当てうなずく。
「私、シャングリラ沖縄直営併設ホテル『カラカル』のマスターコンシェルジュ、近栄でございます。こちらは送迎を担当いたします運転手の山田でございます」
濃いグリーンの制服を着た男性も、同様にうなずいた。
ふかふかのシートに身を沈め「人をダメにするw」などとはしゃいでいると、いつの間にか車は発進しており、気付けば国防軍敷地内にあるデカい赤十字マークの横を通り過ぎるところだった。
そこで俺は荷物が積み込まれていないことに気づく。
「え……あれ? てか荷物積んでたっけ? 置きっぱ……てことはない!? え!?」
助手席の近栄さんは、ピタピタのスーツを大きくひねりながら答える。
「お荷物は後方のお車にて大切に搬送いたしております。どうぞご安心くださいませ、タキ様」
「後ろ?」
振り返ると、同じ色をした同じ車が、ぴったりと後ろを走っていた。父が小さく「ったく……」とつぶやいたのを俺は聞き逃さなかった。
総額5000万円の車列は高速を1時間ほど走り、そこから下道へ。森と海岸線を越え、さらに1時間半ほど経ったところで近栄さんが振り返る。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。ただいまシャングリラ沖縄へ到着でございます」
道を塞ぐように現れる切り立った崖。
それをくり抜き設けられた巨大ゲートの上には「SHANGRI-LA OKINAWA」の文字。
道路脇に並んでいたスーツ姿の数名が、車に向かって一斉に頭を下げる。
父はあきれたようにつぶやいた。
「近栄さん……『ああいうの』は困ります……この車ですら目立ちすぎだってのに……」
「誠に申し訳ございません、神谷様。――しかしながら、私どもホテルスタッフにも大切にしている誇りと信条がございます。恐れ入りますが、その点をご理解いただければ幸いでございます」
彼は丁寧に、それでいて毅然とした態度で言葉を返した。
すかさず母が続ける。
「まぁいいじゃないあなた。せっかく皆さん出迎えてくれたんだから、その分しっかり感謝を伝えましょう?」
「まぁ、うん……わかったよ。ありがとう、近栄さん」
「恐れ入ります」
またこれか。
思い返せば……家族旅行をすると昔からこういったことがたまにあった。
ホテルに泊まると、すぐに部屋がアップグレードされたり。エコノミーは必ずファーストに変更されたり。テーマパークのアトラクションは、いつでも待つことなく乗れたり。ちょいちょい、よくわからんパーティに連れて行かれたり。
……そういえばヤオとマルケスに初めて会ったのも、どっかで開かれたつまんねーパーティーだったな。
両親が二人とも投資関係の仕事してるとはいえ、家はフツーの一軒家だし、車もフツーの国産車が二台。
なぜこんな待遇を受けるのか。
それって親が未来人なのと関係してんのか?
「あ……」俺は声を漏らす。
「……なに?」とユウリ。
「な、なんでもない……」
未来人?
……の投資家?
うわぁ……これ「スポーツ年鑑」より悪質だ。
ちょっとタイムポリスメン!! こここ、この人です!! インよりのアウトサイダー取引です!?
償いとしてタイムポリスで働きますので……俺たちを歴史から消さないで。
車はパークへのアプローチエリアを通り過ぎ、ホテルのエントランス前に停まった。
音もなくスライドドアが開き、誇らしげな表情をした近栄さんが手を差し出す。
「大変お待たせいたしました。ホテル『カラカル』へ到着でございます」
山の稜線に沿って水平多段式に突き出る白い有機的な建造物。
それはまるで、海に向かって伸びる白いサンゴ。あるいは、木々のすき間を漂う霧。
大戦後のどさくさで乱開発されてしまった「やんばるの森」を丸ごと買い取り、約300年後に人と自然が完全に調和した理想都市を完成させる。
その第一段階として作られたのが、この「シャングリラ沖縄」だ。
◇◆◇◆◇◆◇
「こちらが神谷様ご宿泊のヴィラになります」
いや、さっきのホテルじゃないんかい!!
戸建てのヴィラを目の前にして、俺は思わず母のモノマネをしそうになった。
ホテル本館では上がらなかったテンションが、ようやく上がりだすユウリ。
「え、めっちゃいい!! 海!! 海すぐそこじゃん!?」
ヴィラはホテル敷地内の一番端、西に突き出た岬の先端あたりに集まっており、庭に配置された木々の壁でうまく隔離されていた。
太陽はまだ真上を過ぎたばかりだが、俺でも日没が待ち遠しくなるような桟橋付きのビーチがすぐ目の前にある。
まるで無人島に来たような解放感と非現実感。
「すげー! すぐそこから船乗ってダイビング行けんの!? すげー!」
すごい!
すごい。
だが、何かが足りない。
何かが足りない気がするのだ。
理性では「チョーすごい」だと理解しているのに、本能が脳汁を噴き出し全身グチャグチャトロトロにするほどの興奮はない。
なぜ? ……どうして?
部屋の説明をひと通り終えた近栄さんが退室すると、俺たちは荷解きを含めた自由時間を作ることにした。
両腕は部屋はどれでもいいと言ったため、俺とユウリは好みの部屋を選ぶことができた。
「俺こっち側だから、間違えんなよ? 入るときノックしろよ? あと、共用部分を散らかすなよ?」
「へーへー。あんま音だすなよ?」
「は? 何がだよ!? 死ね!」
五つある部屋の中から、好みの場所を選んだはずが隣同士とは。
チッ……。
旅行先でも隣にユウリがいるのは納得いかなかったが、今さら場所を変えるのもなんかムカつく。ということで、俺はそのまま部屋を使うことにした。
大きなガラス窓のある14畳ほどの個室。ダブルサイズのベッドに大きなクローゼット。二人がけのソファにローテーブル。シャワールームにトイレ、洗面台もある。
もちろん自宅の自室よりでかいのは言うまでもない。
俺はベッドに腰かけスーツケースを横に置く。
とりあえず全部出して、適当にクローゼットに掛けておくか。
「洗濯無料ならこんな持って来なくてもよかったな」
ケースのロックを解除し、蓋を開ける。
カチャリ……ジジジジ……。
「ん?」
不思議な違和感。
ふんわりと漂ってくる「女子」の香り。
トップノートには初々しさを感じさせる未成熟な柑橘類の香り。ミドルノートは清純・神秘性を秘めたフローラル。そして、ラストノートは世界樹のようなウッディな香り。
なんだ? これ……ユウリの柔軟剤か?
蓋を開ける。
「え? ん? ……んん?」
スーツケースに詰め込まれていたのは、見覚えのある「お洋服」たちだった。
ジャコスモールでユウリとヤオに見繕ってもらった「これだけあれば夏は優勝コーデセット(インナー&トップス&ボトムス郡)」
「でも結局ワンピしか勝たん!」とヤオが選んでくれた、お出かけ優勝ワンピース数着。
優勝コスメ、優勝サンダルに優勝ミュールに優勝スニーカー。
「この辺あんま着ないからあんたにあげる」とユウリが押し付けてきたちょっと大人系の諸々。
そして、女性用の下着。
「え? まてまて……ん?…… 」
俺はスーツケースを閉じ、もう一度ロックし直し、ぐるっと周りを一周した後、全プロセスを初めからやり直す。
カチャリ……ジジジジ……。
「んー……」
うん、俺のだな。
ケース自体は。
瞳孔が開き、心拍数は一気に上昇。全身の毛穴が開き、額から汗が吹き出す(五日ぶり二度目)
朝、出発寸前までスーツケースの蓋は開いていた。
バカ強ェ決意のもと詰めた、オールメンズパッケージ。
どこ行った?
ロストバゲージ?
中身だけ?
ははッ!
荷物を軽く漁ると、オレンジ色とピンク色のリボンに包まれた白い包装紙が出てきた。
表面に貼られたメッセージシールには「タキちゃん! いっぱい海楽しもうね! ねぇねからの誕プレだよ♪」の文字。
「……あのアホ……」
俺は心臓を止め、気配を消し、できるだけゆっくりと静かに包装紙を開ける。
そして、白いクロシェレースのモノキが現れる。
そうだ。
テレビ見ながら確かに言った――「これ、形かわいいな」って。
言ったわー。
言ったは言った。
だから誕プレか、たしかに誕生日もうすぐだもんな。
――で、俺に死ねと!?
旅行先で死ねと!?!?
モノキニを両手で持ち、興味本位で身体に当てようとした時、ドアをノックする音がした。
「ン゙ッ!? なななな!? なんン゙ンンンッッッッ!?」
冥界の門を叩く音。
心臓は悪魔の手に握られた。
俺は確定した未来から目を背けようと、海のほうに視線を映す。
海……きれい……。
そこで突然俺は気づいた。
足りなかったものは何か。
この海に足りなかったのは……白い水着を着た俺だ。
失われた地平線が輝き出す――
お読みいただきありがとうございました! この章は七話から十一話にかけて続きます! ぜひ水着着用のうえ、続きをお読みください!(臨場感アップ)
ついでに評価やブックマーク、感想やリアクションもよろしくお願いします♪