第五話「スポーティーなクロスバックブラを身に着けた、汗だくの少女」
薄暗く調光された照明の下で、ユウリは「ソレ」を差し出した。
5センチ角。
薄いビニール製の小袋。
中には細い輪っか状のものが真空密封されている。
「じゃ、とりま着けとこっか? 安全のためにね?」
ソレがなにかに気づき、声を漏らすヤオ。
「あッ!……////」
マルケルがごくりと喉をならす。
「え、え、これ……コン……。えぇ!? え、着けるんですか!? え、ここで!? 安全……ックすか!?」
気まずい沈黙――
それは、誰が見てもアレ用のソレのように見えた。
異常事態だ。
ユウリがイカれた。
いや、元々イカれてた。
つまりはいつも通りか。
いや意味わからん意味わからん! てかふつーに意味わからん! なにさせんだよお前は!?
「そ、そ……そういうのはちゃんとお互いの合意うえでする……ッ……////」
男っぽく意味不明なことを叫ぶ俺。
しかしこの時、俺の思考回路はいつもと違った。
「何も持ってないのに出したがるアホ」より「出す機会もないのに持ってるアホ」のほうが、よほどマシである。
バイバイ男脳。ようこそ女脳。
「はぁ?」小さくため息をつくユウリ。
「これだから青春キッズたちは……。ほら、よく見てみ? 触ってみ? ぜんぜん柔らかくないよ? ただの『お守り』だし?」
アレ用のソレにしか見えないそれを、ヤオはうつむきがちに持ち上げる。
彼女の顔は薄明かりでよく見えなかったが、きっと真っ赤に紅潮していたはずだ。
しっかりと小袋を握りしめ、その感触を確かめる。
「あ、重……」
にぎにぎ。
「これ……金属? なんか……暗記カードの輪っか……カードリングみたいなやつだ?」
安心と恥じらいを足して二で割ったような様子を見せるヤオ。
「えやだ……。わい、てっきり……えぇ~……やだ~……////」
髪をかき上げるマルケス。
「フゥ~~~~!! 焦った~~~~!! やべ~~~~!! 緊張した~~~~!!」
わかる。そりゃ焦るよな。
俺ら高校一年生……当然ソレを見たことはあるが、いざ着ける・着けさせるとなればド緊張必須だろう。
意味不明すぎるユウリの行動に、ふと俺は不吉なものを感じた。
てか「安全のためにね?」って言ったよな? つま今から危険なとこに行くってことか?
え? どこ行くの?
ユウリはヤオとマルケスの二人だけにリングを手渡し、それを指に通すように促す。
のけ者感を感じる俺。
「あんたはいらないでしょ『因果律ワクチン』接種済みだし」
不思議な顔をしながらも、指にリングを通したヤオとマルケス。
二人ともさすがにソレを「お守り」だとは思っていないようだが、どこか期待感を漂わせる表情をしている。
これって「吊橋効果」ってやつか?(しらんけど)
「じゃー、今からあたしが言うセリフの後に、『はい』って続けてね?」
ユウリが二人を見てニコッと笑う。
「なんすかソレw」へらへらと笑うマルケス。
「はい!」従順なヤオ。
俺は予想すらつかないまま、一連のやり取りを見守るしかなかった。ユウリはすぅと息を吸い込み、重く静かに口を開く。
――「フルアクセスを……許可しますか?」
二人の声が重なる。
――「「はい!」」
その場を黒い霧が包み込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇
宙に浮かぶ「灯火」
ずっと先まで続く暗闇。
鳴り続けていたゴウンゴウンという音は、いつの間にか気にならなくなった。
俺たちは誰もいない通路を進む。
「あちぃ……」
徐々に上がってくる湿度と気温。
俺はブラの胸元をぱたぱたと引っ張りつぶやいた。
「ブラ……まじ大変だな……」
谷間に刺さる視線。
天井に届くほどの位置からユウリの言葉が落ちてくる。
「ちな。でかくなるほど大変だぞ?」
俺は視線を下ろし自分の胸の膨らみ(C65)を確認した。
「まぁ……さっきよりぜんぜんマシになったけど。もはやふつーに痴女だろこれ……」
「てかさっきスポブラも買っとけって言ったあたしに感謝して?」
鏡面に磨かれた金属製タンクに、自分の姿が映る。
スポーティーなクロスバックブラを身に着けた、汗だくの少女。
ブラのアンダーゴム部分にはデカデカとしたブランドロゴが入っており、それが妙にビッチ感を醸し出している。
セットアップのローライズショーツは、T。
繰り返す。
T。
生地のほとんどの部分は汗染みで色濃くなっており、ひと目見て肌に張りついているのがわかる。
足元は引き続き厚底スニーカー。
以上。
誰だよこの痴女!!
は!? 俺だよ、俺!!
視線を戻し顔を上げると、マルケスの背中が見えた。
高さ4メートルほどの天井に届きそうな体躯。
背骨を突き破り、全身を覆う黒い外骨格のようなもの。元々の腕とは別に、肩甲骨と脇腹のあたりから伸びる四本の腕。赤黒く変色した筋肉の塊は異様に盛り上がっており、もうパワー感がパワー。
額から後ろに伸びる大きな二本の角。
マルケス(だったもの)は、肩ごしに俺のほうを見て言った。
「タキ様。杜はまだ初期段階とはいえ、やはりその格好では心もとない。もう一度強化魔法を試してみては……」
あいかわらず優しそうな目。
四つに増えてるけど。
「誰だよ……」俺は小さくため息をつき、後ろを振り返る。
ふわふわと宙に浮ぶヤオ(だったもの)と目が合う。
「お試しになりますか? それならまた裸になっていただかないといけませんと……」
陶器のような白い肌
彼女は巨胸を強調するように、「紐バニー」状の黒いボディースーツをまとっている。「絵」でしか見ないアレね。
耳は尖り、犬歯は伸び、額には小さな角が二本。背中から伸びる羽は、影絵のようにゆらゆらと形を変えていた。
「こっちも、誰だよ……」俺は再びため息をつき、マルケスの肩に乗るユウリに目をやった。
「ねぇ? あちぃんだけど……」
俺を一瞥するユウリ。
「無理なもんは無理。『因果律ワクチン』がそこまで強力だったとは思わなかったし。まさか、ほとんどの魔法が無効化されるなんてねぇ」
元魔王、ユウリ(自称)
見た目こそ大して変わっていないが、七色に輝く瞳はまるでゲーミング人間だ。
てかそのクソ暑そうな黒いマントとローブ着ながら、汗一つかかないのはなんで?
元魔王とかより、メイクが一切崩れないほうが信じらんが……。
ユウリが適当に言い放つ。
「とりま(たぶん)もうちょいだからがんばえー」
「はいダルいー……」
首筋から汗が滴り落ちる感覚。
それは鎖骨からデコルテをつたい、そのまま胸の谷間に流れ込んでいく。
「ほんとなんなんだよ……」
俺はまたブラをめくり下乳の汗をぬぐった。
◇◆◇◆◇◆◇
道中見かけた構内案内図によると、俺たちはもう発電所内に入っているようだった。
ずっと暗闇だった通路はある時から明るくなり、わずかに涼しい風も感じられるようになってきた。
それはつまり、まだ発電所は機能しているということだ。
俺は柔らかい薄氷でユウリが作った「氷冷式スケスケサイバージャージ」を着ていたが、それでも痴女に変わりはなかった。
「これ、なんでもっと早く作ってくれなかったなんだよぉ……」
「しゃーないじゃん? 思いつかなかったんだから」
道が二手に別れ、それぞれの案内板が照らし出される。
(左)バイナリー閉ループ部
(右)発電室/タービン室
その時、マルケスが「シッ!」と小さく声を上げた。
「え、なに?」反応する俺。
「……左から誰か来ます」
息を殺す一行。
遠くからすり足のような音が聞こえる。
ユウリが「完全不可知化」と唱え、俺たちはまたシルクのスリップドレスに包まれた。
しばらくすると、目の前を二人組が通り過ぎた。
白地に鮮やかなオレンジ色が配色された作業服。腕と胸元に「ジャコスエネルギー」のロゴ。首元には「発電部主任 安藤」と書かれた名札。
その顔にまったく生気はなく、口を開け放し、目は真っ白だ。
ふたりは両手で何かをすくうような仕草をしている。
何持ってんだ? 俺は目を細めそれてをじっくり見つめる。
指のすき間からポロとこぼれ落ちる粒。
彼らは「土」を運んでいた。
作業員たちはゆっくりとした歩みで、「発電室/タービン室」と書かれたほうに向かって進んで行った。
――足音が聞こえなくなる。
俺はささやき声でだれともなく尋ねた。
「土? 土、運んでたぞ? 仕事なのかあれ? 目もイッちゃってたし……インフラ系は大変だな……」
ユウリが静かに答える。
「あれは杜畜。杜の食物連鎖の最下層に位置する生物で、主に重労働の担い手よ。でも、まさかこんな早くに生まれるなんて……」
なんだその「社」畜みたいなやつ!?
そのまんまの意味なら、そのまんま「杜」の奴隷ってことじゃねーか……
マルケスは「ううむ……」と唸り、慎重に言葉をつむいだ。
「杜が生まれる初期段階で杜畜が徘徊するなど、聞いたことがありません。ならばここから先は、慎重にならざるを得ないでしょう……」
彼は膝を折り身体をかがめる。
「ユウリ様、どうか我が背後に……」
その場を動こうとしないユウリ。それどころかやつは腕を組み、弾けるように声を上げた。
「なーに気ぃつかってんのよアホ! こんなナリでも、あんたたちよりずっと強いんだよ!?」
マルケスの頭をポンポンと叩くユウリ。
「あんたはあたしを乗せてエラソーに歩いてればいいんだって!」
次にヤオを見て手をひらひらとする。
「あんたはあたしの周りをふわふわ浮いてればいい!」
そして最後に俺を見た。
「みんな……生きてるだけで優勝なんだから……」
◇◆◇◆◇◆◇
杜畜であるゾンビ作業員、「安藤主任」は進む。
大切そうに土を抱えながら。
はじめ二人だったゾンビ作業員は、通路が合流するたびに増えてゆき、最終的には十五人ほどの行列になっていた。
やがて俺たちはトンネルに出る。
トラック二台が通れそうなほどの横幅。マルケスが三人肩車できそうな高さ。
区画によって天井の照明は落ちているものの、薄暗いというほどでもない。
あちこちに張り巡らされた配管はこれまで以上に絡み合っており、見ているだけで嫌になりそうな複雑さだった。
マルケスはすっと背筋を伸ばし遠くを指差す。
「あの扉に向かっているようです」
視線の先にあるのは、トンネル全体を塞ぐクソデカ扉。その前では同じ服を着た人が集まり、無言のまま動き周っている。
彼らもまた、両手でなにかをすくうような仕草をしていた。
彼らは自我や意識を失い、命じられるまま「手で土を運ぶ仕事」をしているのだろうか? それは高校一年生の俺にとって、ここまでで一番身近に感じる恐怖だった。
クソデカ扉が近づいてくると、そこにある表示板が読めるようになった。
『発電室/タービン室 ※有資格者以外立ち入り不可!』
少し前を歩いていた安藤主任が脇に逸れ、小さな扉があるほうに向かっていく。俺はマルケスの腰を静かに叩き、そのことを伝えた。
「おい……安藤さんあっち行くぞ? もしかしてあの人……『有資格者』なんじゃね?」
安藤主任は立ち止まり、カメラに向かって胸を張るような仕草をする。
ピピッ!――カチャン!
電子音が鳴り通用口の扉が開いた。
完全に扉が開くのを待たず、安藤主任は中に進んでいく。
「おいユウリ! 追っかけないと!」俺は目の前にあるマルケスの尻を叩いた。
ん? こんなとこに尻?
あ、こいつ。
めっちゃデカくなってんだ(身長推定3.8メートル)……全っ然、通れねーじゃん!!!!
ユウリが叫ぶ――
「縮小化光線!」
ずっと宙に浮かんでいた灯火がチカチカっと点滅し、マルケスに向かってスポットライトのような光を放つ。
光に照らされ、まるでぬいぐるみのような大きさに縮んだ巨人。
マルケスを抱き上げ走り出すユウリ。
「中へ!」
お読みいただきありがとうございました! この章は次話で終了します。このまま読み進めてもらえるとうれしいです! 評価やブックマーク、感想やレビュー、リアクションもよろしくお願いします♪