初めての女装外出
俺は神谷タキ。
ネット注文した女装コスプレフルセット(下着、ウィッグ込)を姉に見つけられ、その場で女装させられた16歳の男子高校生だ!
未来人の両親、元・魔王の姉。
バリエ豊かな家族に囲まれ、自分自身も女性用衣類を着用(女装)すると男→女に変質してしまう「性転換体質」だったわけだが……。
今、深刻な問題を迎えている。
今日は友人たちとジャコスモーに出かけるというのに、身体が女のままなのだ。
まじでどーなんの?
――ジャコスモール新金剛店
総敷地面積約300万平方メートルを誇る、国内最大のショッピングモール。
「モール中央駅」を中心に同心三角形状に広がる敷地には、2500を超える店舗がひしめき合い、「この世のすべてが揃う」とまで言われるほどだ。
公園、住居、産婦人科、学校、職場、美術館、博物館、動物園、水族館、娯楽施設、病院、薬局、介護施設、葬儀場、火葬場、墓。
敷地を囲む三方の頂点には、まるで結界を貼るようにタワービルがそびえ立つ。
俺とユウリはタワービルにある地下駐車場から出て、中央駅に向かっていた。
メインストリートをまたぐ歩道橋の上で、ユウリが楽しそうに声を上げた。
「いや~、混んでんなぁ〜! この、見渡すかぎりの『モブ感』めっちゃブチ上がるよねぇ~?」
押し寄せてくる人波。
俺はユウリに後ろから抱えられ、流されるように人ゴミを進む。
待ち合わせは午前10時。
ふと手首を返し、見慣れない小さな文字盤をのぞく。
「えーと、9時……45分……か?」
待ち合わせまであと15分。立ち尽くすには長く、店で待つには短すぎる時間。
「――なぁ? あっち空いてそうだから移動しようぜ?」
ふり返るとユウリの不機嫌そうな顔。
「……コラ、アホ妹! あんた今、『とりま座ろう』って考えてたな!?」
「え……それが?」
彼女は声を荒げ、早口で説教を始める。
「待ち合わせ前に『 女子 』が何してるか、さっき説明したの聞いてなかった!? なんでそんな適当なのよ!? 『女』はね、どんなときでも常にベストを尽くす。それは相手への友情や愛情……あるいは罪と罰。ちな今日は友情のほう」
「お、おぅ……」
つまり、女というのは待ち合わせ直前まで「ベスト」を尽くしている、ということ。
(てか大丈夫、そこまでがんばらなくていい!)
(実際、外に出ただけで優勝だろ?)
(もうベスト尽くしてるっしょ?)
――という反論をする間もなく、ユウリがたたみかけてくる。
「あのね、タキ? 『青春時代』ってのは不可逆なの。しかも――男女平等。わかる?」
「いや、わからんが……」
ユウリは例え話をする。
「年増のおばさんが母校の学ラン着ても、絶対に現役男子高生には戻れない」
「だろうな」
「でも現役男子高校生がセーラー服で通学すれば、それはもう……女子高生! つまりそういうこと?」
「叙述トリックかよ……」
「はい、わかったわかった、とりあえず行くよ?」
ユウリは天井にある「女性型」をしたピクトグラムを指差す。
そう。
――女子トイレ!!!!
フェなんとかニズムとなんとかッキズム、多様性と単一性がぶつかり合う、古の人権ウォーズ最前線。
Chat PTG(通称チャッピグ)によれば、手術を受けて戸籍変更を済ませていても、トラブル防止のため「容姿」によって利用を控えるべきだという。
ただし、その容姿さえ「パス」していれば、戸籍や身体が男性体でも自己責任で利用可能。
とんでもない魔窟。
(なんだそりゃ?)
(AIも人間もバカ矛盾してんな?)
要するに――本音と建前ある私。なりたい在りたいけどだけど。
血塗られたピクトグラムの前に立ち、俺はもう一度ユウリに尋ねる。
できるだけ、メスっぽく。
「ほ、ほんとに……いいんだよな? もし捕まったらその場で裸になって死ぬからな……」
ユウリの優しい眼差しが逆に不安を煽る。
いや、大丈夫!
落ち着け、神谷タキ!
いざというときには「医学的根拠」がある!
俺のおちんちゃんは昨日から確実に存在しておらず、今も復活していない!
それどころか――女性的特徴を如実に示す生殖器は、しっかり中まで女仕様になっていた。
(あ?)
(なんだよ!?)
(そりゃそうだろ!?)
(風呂で確認したんだよ!! 色々確認しなきゃならんし、指くらい挿れるだろ!? てか自分の身体だし、問題ないはずじゃん!?)
そうやって気を紛らわせながら、俺は個室のドアを閉めた。
◇◆◇◆◇◆◇
事前に聞いた「礼儀作法」に従い、室内で用を済ませると、俺は隣の部屋へいざなわれた。
(……わ、なんだここ)
一面鏡張りの明るく広い空間。
パウダールームと呼ばれるそこで、「女」は強化魔法をかけ直す。
ユウリは手早く髪を整え軽くメイクを直すが、正直どこが変わったのかさっぱりわからない。
(前から思ってたけど……“メイク直し”って微妙すぎるよな?)
(ほぼ変化なくね?)
そう考えていると鏡の中のユウリと目が合った。
「分かる? これがベストを尽くすってこと。ほら、あんたも」
「ほーん……」
しぶしぶ鏡の前に座ると、自分の顔が映る。
こんなこと言っていいのかわからないが――俺は可愛い。
まじで!
一晩で肩まで伸びた髪はトロワツイストにまとめ、メイクはナチュラル韓国アイドル風で仕上げられている(らしい)
クロップド丈で素材感のあるパフ袖オフショルに、シンプルなフレアショーパン。
歩きやすく可愛い厚底スニーカー。大きめリュックであえて「イモ感」を演出
動きやすく、疲れにくく、試着も買い物も楽――ティーンのショッピングモールコーデ完成でーす♪
でわ行ってきます!!!!
と出かけたものの――今朝からずっと気になっていることがある。
現実的な女装カムアウト問題!
「てか……ほんとにみんなに会うんだよな?」
「なに? 自信なくなった? あんた今日もビジュいーよ?」
「いや、自信てか……やっぱ突然こんな格好したら、みんな引くんじゃないかって……」
なぜかメンタルチャートが急落。
今年最大の下落率。
(ちょっとまって?)
(え、なにこれなにこれ?)
(女子メンタル、不安定すぎん!?)
ただメイクが決まらないだけで、ただコーデが気になるだけで、家に帰りたくなってくる。
「はぁ……」とため息が漏れた。
ユウリが肩に手を置き、穏やかに語りかけてくれる。
「なーに考えてんのよアホ。今日び、この程度で誰もリムったりしないって――」
手の暖かさが伝わり、少しだけ気持ちが楽になった。
「ふたりとも、親友でしょ? 信じてあげな?」
姉の姉らしい一言に、俺は落ち着きを取り戻す。
◇◆◇◆◇◆◇
二人に向かって声をかける。
「よ゙、よ゙ぉ゙~……お゙待たせ~(精一杯ハスキー声)」
もはやラッパーのそれ。
「「……」」
(1、2、3、4、5、6、7……)
沈黙は10秒以上続いた。
小洒落た格好をしたマルケスが、俺を見て完全に固まっている。
原田マルケス(16)――
身長180センチメートルを越える恵体のこいつは、イケメン文武両道をテンプレ化したような人物だ。
唯一最大の欠点があるとすれば、憧れにも似た恋愛感情をユウリに対して持っているということ。
「え? タキ? は? え? いや、タキ? お前? は? いや……おか……え、どーなっ……えぇ……うそだろ……」
「まぁ、落ち着けって……っても無理だよな」
隣にいた宓瑶も同様に固まっている。
宓瑶(16)――
校内で「ミニマムかわいい系女子」のロールモデルと言えばヤオ、とされるほどの彼女だが、実は護身武術をたしなむ「強い女」でもある。
「えぇ~、やば! ほんとにタキくん? やばぁ~! うそでしょ~!? えぇ~、まじかぁ……バカかわいいっていうか……てか、写真撮ろーよ?」
「写真とかいいって! ……も、もういいだろお前らぁ……ッ////」
ヤオと並ぶと、彼女の背が高いことに気づいた。
(てか――こいつ、こんなに背高かったっけ?)
(あ、違う! そうじゃない)
(俺がめちゃ小さいんだ!)
おそらく今の俺は、身長150センチメートル程度のミニマム男子(女子)
究極の弱男スペックを実感していると、ヤオがユウリに尋ねた。
「あの……聞きたいんですけど?」
「どしたの? ヤオちゃん」
「タキくんって……女装? ……ですよね? てかなんで今日にかぎって女装?」
「ふふふ、それは――」
「ちょちょちょッ!?」
慌ててユウリの口を塞ごうと手を伸ばそうとする。
しかし手は届かず、逆にユウリに抱きつくような形に。
――ギュッ!
突然の甘々妹ムーブ。
ユウリが俺の頭をぽんぽんと叩く。
「今日こいつがこんな『甘々妹ムーブ』かましてるのは、あたしが無理やりロールプレイさせてるから」
(へ? ロール……プレイ?)
「あぁ~、やっぱそうなんですね~!」と納得するヤオ。
(納得するんだ、それで?)
(すげーな学歴の説得力?
(っぱ学歴は武器だな)
涼しい顔で続けるユウリは。
「ある研究論文を書くのに、どうしても必要だったの……」
「わぁ! ゆーりさん、またなんか発表するんですか!? すごい!」
「そうよ。……あたしの研究テーマって、“人間集団の行動を数学的に予測する手法”を確立しようってものなの。たとえば気体分子運動論って分かる? つまり――分子ひとつひとつの運動は気まぐれで予測できないけど、『気体』として捉えれば平均的な運動は数式で出せるでしょ? あたしはその類推を人間に応用しようとしてるの」
(ちょっとちょっとちょっと?)
小学校時代から才女として有名だったユウリは、大学に入ってからすでに数本の論文を発表している(らしい)
それはいいとして――
今やつが話している内容は「SF界隈」では有名な架空の研究だ!
それでもユウリは続ける。
「で、この研究に必要な条件は三つ。ひとつ、膨大な数の何も知らない群衆をサンプル化できること。ふたつ、AIを含まない純粋な人間の集団であること。そして最後のピースが――」
「ゴクリ!」と実際に口にするヤオとマルケス(アホ)
「とびきり可愛い“女装した男性”による不確定要素の挿入――つまり、女装したタキよ」
静寂が、喧騒を切り離す――
「……はぇ~……なんかすっごい」ヤオが目を輝かせる。
「まじか……さすがアジア最高学府、『超東京大学』は違ぇ……俺も頑張らねぇと……あと三年もねぇんだ……なんとかしねぇと……ッ!」
マルケスは拳をぎゅっと握りしめ、決意を燃やした。
(アホか)
(もっとSFを読んどけ、SFを)
(百科事典で殴られるぞ。アシモフ先生に)
(でもセーフ!! よかった!! 耐えた!! 死んでない!!)
(ありがとうございますユウリ様!! そしてアシモフ先生!!)
(貴女様と先生のおかげで「初女装外出」という人生転換イベントを、マイルドに終わらせられそうです!!!)
状況を飲み込み「それなら仕方ない」と納得した二人。
学歴にボコられ、俺はポテポテと歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇
「え~、めっちゃ新鮮~! なんか突然、親友と妹が爆誕した感じぃ~! てか可愛すぎてやば!」
女同士(?)の距離感が分からない。
横に並んだヤオが当然のように腕を組み、嬉しそうに肩を寄せてくる。
「お、お前……あんま引っ付くなよ……ッ////」
メスっぽく照れる俺。
後ろを歩くユウリとマルケス。
「どこ向かってるんすかユウリさん?」
ご機嫌な顔でマルケスが切り出すが、ユウリは無言で「レディースファッション」の看板を指さすだけ。
「服っすね! 了解っす!」
女子と女子の服屋に行くと、なぜか特別感が湧く。
女になった今もその気持ちはまだ残っているようだ。
ユウリが「ふっ」と鼻を鳴らした。
なぜか不吉な予感――
「とりま今からブラ買いに行く」
「えっ、ブブ……ラすか……!? え、え、それってどういうことすか!?」
「タキのブラに決まってるじゃん」
ゔあ゙ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
俺は死んだ。




