火星の殻
漆黒の小型機は――『君主』と呼ばれていた。
ブラックターミナを出た俺たち一行は、待ち構えていたマイクロバスへにぞろぞろと乗りこんだ。
空いた席に座ると、なぜかマルケスの父親と隣り同士に。息子と同じく大柄なマルケス父は、俺の目をじっと見つめたあと、肩を組んで豪快に笑った。
「わははは! ずいぶん印象が変わったな、タキくん! 前も男前で良かったが、案外今のほうが君には合ってるのかもしれんぞ!」
「はあ……そですか」
「息子がお姉さんにフラれたら、その時は頼むよ! がははは!」
「いや、それはちょっと……」
目的地はすぐそこだというのに、マルケス父は自社製品である超音速シャトル――『君主』の魅力を、これでもかと語ってくれた。
「――つまり本機最大の特徴である、『慣性スクラム推進機構』は、『国峡』で発生する無重力嵐の影響を受けず、さらに『ラグランジュ層』の外側でも飛行が可能ということだ! ついでに言えば、あのエッジの効いた造形が最高だろう? 男の子にはたまらんデザインにしたんだ!」
以前の俺なら、それをオカズに飯が食えるほどの魅力的な話だった。だが今の俺には、驚くほど響かない。“かっちょいい飛行機”に心が動かないのだ。
(やべー……ぜんぜん興味ない……。これって、マジで“女脳”に寄ってきてるってことだよな……)
バスがゆっくりと停車すると、マルケス父が立ち上がった。
「神谷さん! 今日は“特別な用事”のために、我が社のソヴリンを選んでくれてありがとう!」
「いやいや、礼を言うのはこちらだよ。ありがとう原田さん」と父が返す。
「プレゼンは、まあ皆さんが眠くなるまで続けるとして……ソヴリンは、パイロットとCAを除けば十人乗りだ。そして、今この場にいるのは――」
今回、南極へ向かうメンバーは十六名。
神谷家:俺、ユウリ、父、母の四名に加え、猫のエラクルが一匹。
宓家:ヤオ、姉、母、父の四名に加え、ボディガード兼秘書が三名の計七名。
原田家:マルケス、兄、父の三名に加え、、ボディガード兼秘書が二名の計五名。
「――つまり、どうしても二手に分ける必要がある。そこで家族ごとではなく、“古株チーム”と“若手チーム”に別れて搭乗する案がいいと思うが……どうだろう皆さん?」
「俺も“古株”に入っていんですか父さん?」
マルケス兄の一言に、車内が和やかな笑いに包まれた。
「じゃあ、私は“若手”ってことでいいのかしら?」
ヤオ姉が続け、また笑いが起こる。
最終的に、“古株チーム”は、父、母、ヤオ父、ヤオ母、ヤオ姉、マル父、マル兄、ボディガード兼秘三名の計十名。
“若手チーム”は、俺、ユウリ、ヤオ、マルケス、猫のエラクル、ボディガード兼秘二名の、合計七名が搭乗することになった。
◇◆◇◆◇◆◇
タラップの階段を登ろうとしたとき、俺は無意識にスカートの裾を押さえながら、ふと足が止まった。
(まてよ……?)
振り返ると、マルケスが不思議そうな顔をしていた。
「ん? どうしたタキ?」
「あ、いや……」
(なんで俺は恥ずかしがってんだ……? 別に生パンでもないのに……)
「どした? ションベンか?」
「ちげーよアホ」
(まじかよ……今、こいつのこと“異性”に見えたのか……? 女装怖ぇ……女脳怖ぇ……)
「また生理か? そういうのもちゃんと揃えてあるぞ?」
「デリカシーかよ! ユウリにチクるぞアホ!」
スカートを押さえる手を離し、堂々とタラップを上がる。機内に足を踏み入れると、そこはまるで映画で見る“セレブ御用達のプライベートジェット”そのものが広がっていた。
「おおおお……すご……」
思わず声が漏れると、マルケスが得意げに答える。
「だろ~! 今回はちょっとだけ俺も関わらせてもらったんだぜ。まあ……ほんのちょっとだけど……」
物騒でイカつい外見からは、想像もつかないような豪華な内装。明るい照明に照らされ、オーバーヘッドコンパートメントの縁が柔らかく輝いている。
ヤオが座席のすき間を通り抜けながら、感心したように声を上げた。
「え、ギャップあって良き~! わいん家のシャトルも、次はこれにしてもらおうかな~! シートって変えられるよね~?」
間隔を空けて据え付けられたシートは、ゆったりとした深い座面をもち、側面には“衝撃吸収カバーd”のような張り出しが付いていた。
促されるまま窓ぎわの席に腰を下ろし、男性CAにベルトを締めてもらう。すると、プシュ、と小さな音がしてカバーが膨らみ、頭と身体がしっかりと支えられた。
「ああ、そういうことね……」
どうやら俺は不安そうな顔をしていたらしく、男性CAが優しく声をかけてくれる。
「苦しくはございませんか、タキお嬢様?」
「いえ、その……こういうに乗るの初めてで。ちょっと緊張してるだけです」
「……初めてでいらっしゃいますか?」
「あ、はい……」
男性は少し考え込むと、すぐに説明をはじめた。
「スペースプレーンとは異なり、この機体は離陸時に時速600kmまで加速します。人体に害のない斥力ガスにより、加速Gは三分の一以下まで軽減されますが、安全のため、このようなシートを採用しております」
「は、はぁ……」
「キャビンの後ろはラウンジになっております。“ラグランジュ層”到達後は、自由にお過ごしいただいて結構です」
「はぇ~……すっごい」
俺たち三人が席に着くと、猫のエラクルが入ったペット専用ケージが運ばれてくる。
「だだだだ……大丈夫大丈夫。このシャトルは落ちない落ちない落ちない落ちない……。いけるいけるいけるいける……」
エラクルは明らかに人の言葉を話しているが、誰もその様子に驚くことはない。ケージがどこかのシートに固定されると、彼女は黙り、喉を鳴らす音だけが機内に響いた。
最後に男性CAがシートに座ると、シャトルはトーイングカーに引かれ電磁カタパルトレールの端へ運ばれていった。
小さな窓の外には白い蒸気が見え、床下からは低い脈動音が響いている。
俺たちへの演出かのように、コクピット内のやりとりがキャビンにも届く。
「アーク・タワー、シャトルU503。ランチレール端にて待機中
「シャトルU503、アーク・タワー。離陸を許可する」
「ランチ・スキッド、グリーン。ロック3点固定、確認」
「ランチ・スキッド、グリーン。ロック3点固定、確認」
「レール加速曲線“プロファイル6”、同期完了」
「レール加速曲線“プロファイル6”、同期完了」
空調の音が少し変わり、機内照明が一段下がると、耳鳴りのような高周波音がかすかに聞こえてくる。
「アーク・タワー、シャトルU503。レール励磁開始はタワー側で実行します」
「シャトルU503、アーク・タワー。レール励磁、タワー側でどうぞ」
「シャトル23、レール励磁シーケンス開始。ウェーバ、20……40……60パーセント。機体共振値、正常域」
「共振値、当機でも正常。イナーシャインテーク、ハーフクローズ。可変翼“加速姿勢”へ移行」
窓から見える機体の翼が後退し、“薄く”なる。すると外板が喜ぶかのように、わずかに震えるのが見えた。
「加速姿勢、タワー側スキャンでも確認。――シャトルU503、カウントダウン・レディ?」
「アファーマティブ。当機、レディ・トゥ・ランチ」
すべての離陸準備が整ったのか、いつの間にかシートの周りには白いガス――斥力ガスが漂っていた。
それを吸い込む間をおいて、静かにCAが告げる。
「まもなく離陸します。カウントダウンの後、強い加速Gがかかりますのでご注意ください」
10……
コイル冷却流体が吠えるような音を上げる。
5……
レール磁束が最大値へ。機体が大きく沈み緑色の光を帯びる。
3……
シートベルトの自動テンションが締まる。
2……
息を吸い込む。
1
背中を巨大な手で押しつけられるようなG。
胸が左右に離れていき、股が自然に開いてくる。
機体は跳ねるようにレールを抜け、すぐに地上が遠ざかっていくのが見えた。
「アーク・タワー、シャトルU503、飛行データ受信。上昇軌道に問題なし。良い旅を《グッド・ラック》」
「タワー、サンキュー。――シャトルU503、イナーシャインテーク、フルオープン。上昇を継続する」
◇◆◇◆◇◆◇
離陸から一時間がすぎ、時刻はすでに日付をまたいでいた。お肌のこと考えればすぐにでも寝るべき時間だ。
その点ユウリは、ベルトサインが消えた瞬間シートを倒して、エラクルを抱いて眠りについた。ボディガード兼秘書の一人もさきほど仮眠に入ったらしい。
一方の俺はメイクオフを済ませ、友人たちとラウンジでくつろいでいた。
「――てのが、さっきタラップで立ち止まった理由」
「いやいやいやいや……なんで俺がタキの汚いケツ見て喜ぶんだよ。むしろそっちがセクハラじゃね?」
「はん! 誰が貧弱なケツだってぇ!? 自分で言うのもなんだが、わたしバージョンの俺のケツは相当ビジュいいぞ!? 見るか!? 見てみるか!? ああん!」
「ま、まてまて……落ち着けタキ……ちっさいユウリさんじゃねーんだから……」
ソファを軽く叩くと、身体がふわりと浮いた。
「おわ……ととと……っておい、マルケス! いまチラ見したろ!?」
「しねーわアホ!」
シャトルは重力と斥力の平衡がとれた高度――“ラグランジュ層”に到達していた。
身体は地上とは別物のように軽くなり、ほぼ無重力に近い状態になっている。
俺とマルケスの掛け合いをぼんやり眺めていたヤオは、大きく背伸びしながらあくびをかました。
「ぬぬぬぬ……ぬぅ~~~~ッッッッ……。ふぁ……。てか……わい……もう寝る……」
ラグランジュ層は身体だけでなく心も軽くする。
ここで眠くなるのは“女にとってのあるある”らしく、気づけば俺もさっきからずっと眠かった。
ヤオが立ち上がり「おやすみ~」と手をふったその瞬間――キャビンとラウンジをつなぐドアが、コンとノックされた。
マルケスは軽い調子で返事をする。
「はーい、どーぞー」
ドアが静かに開き、男性CAが顔をのぞかせる。
「みなさま、ご不便はございませんか?」
そう言いながら彼はラウンジに入り、操作パネルに触れながら話し続けた。
「シャトルはまもなく『東アジア大陸』を離れ『太平峡』に到達します。
今夜は雲海――『重力ガス雲』に晴れ間があるため、念のため遮光シャッターを降ろさせていただきます」
「それって……天気良いってことですよね? ワンチャン『世界樹』見れたりとか……?」
「おそらく見られますよ」
「わあ、まじで! やったー! 世界樹見れるかもだってさ!」
俺が声を弾ませると、男性CAはにこやかに続ける。
「世界樹だけでなく、『太陽』も見えるかもしれません。先ほど、近くを飛んでいたスペースプレーンから連絡がありました」
「てかええええ!? まじ!? ええええ、太陽サン見れんの!? わあ! やったー!!」
俺のはしゃぎようを見て、ヤオは少し目が覚めたようだった。「じゃ、みんなでそれ見てから寝る……」と再び席に着く。
すぐにパイロットのアナウンスが流れる。
「本機は先ほど太平峡上空へ入りました。現在、重力ガス雲の晴れ間に近づいておりますので、これよりラウンジを“全周ディスプレイモード”に切り替えます」
――ヴン
ラウンジの床や内壁が、電源を落としたようにふっと暗くなった。続いて、ゆるやかなフェードによって、外の風景が少しづつ投影されはじめる。
上空約五千メートル。
眼下には、夜の雲海がどこまでも広がっている。
大陸と大陸の“すき間”を縫い、満たし、覆い尽くす重力ガスの雲。
それは世界を裂く峡谷であり、すべてを包む海でもあり――『太平峡』と呼ばれていた。
視線を前に移すと、太平峡にぽっかりと口を開けた深淵が見えた。
怪しくオレンジ色の光を放つ深淵辺縁部。そこに向かって、ソヴリンはゆっくりと近づいていく。
上空に差しかかると、俺たちは思わず声を漏らした。
「わお……すご……」
「おおー! こんなにはっきり見えたの初めてだ!」
「ふぁ……まぶし……目ェ覚めちゃいそう……」
光に照らされ、縦横無尽に絡み合う巨大な構造体――『世界樹』の幹が、くっきりと浮かび上がる。
それは自然物のようでもあり、人工物のようでもある。触れれば冷たそうで、だが血の通っているかのような、まったく掴みどころのない表皮をしている。
幹からは無数の枝葉が伸びており、その先端にある“花”は重力ガスを吐き出していた。
幹のすき間から見える、その奥――世界樹のずっと、ずっと、さらに奥。
ディスプレイに映る、小さな点――世界の中心、地表から約六万八千メートルにある“無”
そこに『太陽』が存在していた。
「わ! 太陽だ!!!! すげぇー!!!! てかはじめて見るんだが!?!?」
まるで床にペタッと貼られた“黒いシール”のようだった。
そんな冗談を言い忘れるほど、俺は太陽に釘付けになっていて――気づいたときには、ソヴリンはもう深淵を通り過ぎていた。
「あ……写真撮るの忘れてた……」
深淵の向こうで、東アジア大陸の海の断面が輝いて見えた。
それは、人類文明が最高潮を迎えた時代――“惑星外科手術”によって火星の地殻を剥ぎ取り、造り出された十二片の『大陸』のひとつ。
太陽と世界樹。
重力ガスと斥力ガス。
無数の奇跡と犠牲の上に成り立つ、いまの人類の故郷。
それが俺たちの住むこの世界――『火星の殻』だ。




