目測で、秒速5センチメートル
勢いよく扉が開き、ギャル委員長が叫ぶ!
「ローマ美術カフェ!! ローマ美術カフェ!!」
教室が沸く。
「やったぁー! カフェー!」
「やっぱ女装系はむりだったかぁ~!」
「着物着たかったー!」
「演劇以外ならなんでも当たり!」
委員長はそのまま黒板の前まで歩いてくると、クラスメートたちが静まるのを待った。
「えー……ちゅーことで、うちらは第三候補の『ローマ美術カフェ』に決まりました〜。パチパチパチパチ~」
――それから約二ヶ月
「キーンコーンカーンコーン」
昼間部の終了を知らせるチャイムは鳴ったが、下校する生徒はほとんどおらず、校内は騒がしいまま。
今週末に迫った文化祭の準備は大詰めをむかえ、生徒の大半は居残りをしている。
校舎全体を囲む円環状の空中回廊――「リング大屋根」には万国旗やクラス旗がゆれ、さまざまな催し物の垂れ幕がぶら下がっていた。
いつもは日除け・雨除けでしかないリング大屋根だが、文化祭期間中はその様子が変貌する。
軒下にいくつもの「店」が並び、まるで巨大な商店街となるのだ。
「文化祭なんて陽キャのバカ騒ぎイベントでしょ?」
――と思っていた時期が俺にもありました(入学前)
年に一回、五日間に渡って開催されるこのお祭りは、官民一体で開かれる真剣の本気の「国際文化芸術イベント」なのだ。
とはいえ、あくまで主役は高校生。
「社会勉強」以外の目的でバイトをする必要のない生徒たちに、一体なにができるのか?
できるんです、それが。
催し物を行うすべてのクラスには、協賛団体や企業から専門スタッフが多数派遣され、そのノウハウや思考法を完全伝授。
そして――ニヶ月後で、ボンボンの素人だった生徒が「そこそこレベルのスタッフ」に変身しているという仕組みだ。
この国の現在と未来をかけた「国際文化芸術イベント」――「文化祭」
そりゃあもう、動くカネとヒトも多く、予算のかけ方もハンパない。
デ美造棟の廊下から見える「中央ステージ」を指差し、俺はマルケスにたずねた。
「あれって……終わったら撤去すんだよな?」
「そりゃそうだろ」
「……なんで常設にしねーの?」
「まあ『ハレの日』ってそーゆーもんじゃね?」
「なるほどなー……」
まるで古代アリーナを彷彿とさせるすり鉢状のステージでは、連日にわたってさまざまなイベントが開催される。
世界各国のプロによる民族音楽やダンスパフォーマンス。ホロマッピング技術を使った幻想的なイリュージョンショー。世界中の武術流派による演舞会。お笑いライブ。コスプレワールドカップ……等々。
その中にはもちろん――「女装コンテスト」も。
そう――
文化祭といえば女装コンテスト。
女装コンテストといえば文化祭。
俺はもちろん参加……
しないッ!!!!
参加しない!!!!
参加しないしないーーーーッ!!!!
当然だ。
俺は身長がそこそこあるし(170)、別に塩顔でも女顔でもない。まさか「女装がバカ似合う」などと、誰も思わなかったのだろう。
しかし念には念を。
女装関係の催し物を行うクラスや友人にはできるだけ近づかないように気をつけ、できるだけ女装に繋がるフラグを折っていった。
ふー……できることはやった。
思い返せば、最後に女装したのは二ヶ月以上前。
なんならもう完全に女装を封印――卒業したといっても過言ではない。
最近は女性用衣類や下着、水着やコスプレ衣装を見ていても「着たい」という気持ちが(ほとんど)湧いてこない。
生来の女に比べれば、男の生活は本当に安心・安全・気楽で優雅なもの。
水着ではしゃいだ「あの夏の思い出」を胸に……ほんのちょびっとだけ後ろ髪を引かれながらも「男子高校生」を謳歌する日々。
父さん母さん……ありがとう。
俺、男でよかったです。
遠い目でステージの設営を見ていると、ふと――マルケスが時計に目をやった。
「あ! そっかお前、夜間部の講義もとってたよな!?」
「そなんだよ……外部大学受験組だからな」
「いいよいいよ! あとは俺やっとくから行ってくれ!」
「おお、すまん!? じゃ頼んでいいか!?」
「おけまる」
小走りで去っていくマルケス。
その場に残されたのは十個の段ボール箱。
箱の中には、展覧会の図録やアート系雑誌など、貴重な紙原本がパンパンに詰まっている。
持ち上げると、ズシリとした重みが腕と肩に伝わってきた。
「え重……」
女バージョンの自分では絶対に持ち上げられない重量。だが、今はそれが楽しく感じる。
「っしゃ。がんばるか……」
俺は腕まくりをして「男」っぽく箱を台車に乗せはじめた。
◇◆◇◆◇◆◇
廊下に漂うコーヒーの香り。
教室が近づいてくると、扉の上にフレスコ画風の看板が見えた。
――『ローマ美術カフェ Caffè Roma Antiqua』
クラスメートのA子とB美が脚立に乗り、その看板を取り外そうと苦戦している。
「ちょっと下通っていいかー?」
見上げながら尋ねると、木くずがパラパラと落ちてきた。
「うわっ! プフッ……ペッ、プッ!」
「ごめー! てか神谷くん、後でコレ外すの手伝ってくんない? なんか、なんか引っかかっててんだけど?」
「おっけー、これ置いたらやるよ」
台車を押しながら扉をくぐると、教室はすっかり様変わりしていた。
ポンペイのモザイク風タイルが貼られた床。
半円形に配置されたテーブル席。
部屋の中央には「トラヤヌスの記念柱」断片レプリカをシンボルとして展示。
アウグストゥス像、ボルゲーゼの剣闘士、ラオコーン像(1/2サイズ)、カラカラ胸像、ユピテル像、パンテオン模型、コロッセオ断面模型、元老院内装模型、ローマ凱旋門(ティトゥス凱旋門)模型、凱旋行列ジオラマ、ポンペイの住宅模型、カラカラ浴場の装飾断片、「犬を繋げ」モザイク、「踊るサテュロス」壁画、サルコファガス彫刻断片、パンとニンフの浮彫、アンフォラ(ワイン壺)、ランパーダ(オイルランプ)、指輪・印章。(※すべてレプリカ)
壁面には「洞窟の酒宴」が飾られ、ホログラフィック照明+プロジェクションマッピングで再現された「古代ローマの一日」が流されている。
――ガヤガヤガヤ(ローマの喧騒)
何も知らない俺ですら、その物量と質感には圧倒されてしまう。
すっかりバリスタが板についてきた黒豆ら「カフェチーム」
そして、外国人学芸員から指導を受ける「キュレーターチーム」の横を通ると、ヤオとウォンヒに目が合った。
「がんばえー」
荷台を押しながら手をふる俺。
(え?)
(ところで俺とマルケスは、なにをしているのか?)
俺たちは――「バッファチーム」
(うん、バッファってなに?)
「バッファ」とは余裕や、ゆとりを指す言葉。
それはつまり――雑用
雑用チーム、チーム雑用。
俺たちなに? え? チーム雑用。
雑用。
荷物を右から左に運んだり、重いものを支えたり、色を塗ることもあれば、洗い物をしたり、パシリに行くこともある。
大した責任も役割もないが、空いている時間はサボってもいい。
委員長いわく――「外部進学のために授業がたくさんある人や、家業や習い事などを優先したい人は、バッファチームがオススメです」
箱を台車から降ろし終えると、ちょうどギャル委員長が教室に帰ってきたところだった。
「いいんちょー! 本の運搬終わったから、看板下ろすの手伝ってるぜー!」
「あよろしくー」
短い返事。
扉に向かうと、さっきの女子二人(A子とB美)はまだ看板を取り外せないでいた。
「手伝うぜー」
「プロ来たー! 助かるー!」とA子。
「なんでも屋きたー!」とB美。
すき間から裏を見ると、看板の『取り付け仕様』が頭に浮かぶ。
「一回上に持ち上げて、ひねりながら前に出すタイプだな」
雑用として幾多の現場を渡り歩いてきた経験は、決して無駄にならない。
成功に最短ルートはあれど、寄り道は無駄ではないのだ(しらんけど)
「指示するから……言った動かしてくんねー?」
「りー」
「じゅあ、そのままちょっと上にー……ちょっと前に出して……そうそう、そのままひねって――」
二人に指示を飛ばしていると――
(ツルッ!)
A子の手から看板が滑り落ちるのが見えた。
実際「ツルッ」なんて音はしなかったが、その瞬間、世界がスローモーションに変わる。
顔に向けて迫ってくる看板の縁。
このまま体を反らせば、ギリ避けられそうだが……。
残念ながら俺にV-MAXスイッチは付いていないし、アクセル系フォームにもチェンジできない。スピードフォースへのアクセス権もない。
ゆっくりと動く世界が認識できたとしても、自由に動けるわけではないのだ。
このままでは顔面直撃。
(顔……顔かぁ……顔は最悪だな)
看板が眼球に向けて迫ってくる。
目測で、秒速5センチメートル。
4センチメートル。
3センチ。
2
1
ぶつかる!――と思った瞬間、誰かに服を優しくなでられたような気がした。
(フワァッ)
ガン! ガガン……ガラン……ガランガラン…。
看板が後ろに転がり落ちた。
少し遅れてA子とB美が叫ぶ。
「キャッ!?」
俺は目を開いたまま、両手を挙げたポーズで固まっている。
なにが起こったのか理解できないが、看板は眼球に落ちてこなかった。
それはなぜか――真後ろに吹っ飛んだ。
「えどゆこと……?」
顔を下げると、視線の先に立つウォンヒと目が合う。
彼女は左手を大きく開き、「なにかを発するようなポーズ」を取っている。
思わず尋ねる。
「ウォンヒ?……」
彼女は答えた。
「僕の“能力”を……弾いたの?……」
◇◆◇◆◇◆◇
「先生呼んでくる!」
誰かが叫び教室を出て行った。
近くにいた数人が集まってくると、学芸員や協賛企業の人たちも手を止め、すべての準備作業は一時中断した。
「え……いや、まじで平気なんだけど?」
「こら! 動いちゃダメだって!」
ヤオが駆け寄ってきて俺を床に座らせる。
すぐに教室へ戻ってきた担任は、慣れた手つきで頭や身体をチェックする。
「この指、追えるか!? 右、左、右……よし。はい次、上、下、上……t」
「ほんと、大丈夫です」
「まじで平気なんです」
「リアルにノーダメ」
何度言っても、担任はまったく聞く耳をもたない。
遠巻きに様子をうかがっていたウォンヒが「先生!」と声を上げた。
「看板が落ちてきて、タキの頭にかすったように見えましタ!」
ΩΩΩ<「な、なんだってー!?」
「外傷はないみたいだが……念のため医療室で見てもらったほうがいいだろう……」
「先生……俺、無敵なんです……」
「ああ、そうだな。大丈夫だ。大丈夫だからな!」
「とりあえず――」クラスメートをぐるりと見回す担任。
「崔利、頼めるか?」
偶然か必然か、ウォンヒを指名する担任。彼女は驚く様子もなく「はい!」と答えた。
ストレッチャーが近くになかったため、何人かが教室を出ていく。
俺はその場に座り込み気まずい緊張感に耐える。
(めちゃ大事になってきてんじゃねーかー!)
(まじで元気だってどう伝えれば……)
(どーしよどーしよ……)
「あ、ちょっと……ウォンヒ?」
「ん、どうしたノ?」
「肩……肩、貸してくんね?」
ウォンヒの肩を借り、俺は立ち上がる。
心配そうに見守る担任やクラスメートたち。
「とりあえず歩けそうなんで……様子みながら行ってきます……」
――茶番である。
もはや何を言ってもこの場を収まりそうにない。そう考えた俺は、いっそのこと医療室に行くことを選んだ。
こうやって立ち上がって歩けば――「思ったより大丈夫そうだな?」というのが分かってもらえるはず……。
と思いたい。
ウォンヒが耳元でささやく。
「よし……二人きりになれる場所に行こう。君の“能力”のこと、聞かせてもらうヨ」
「ち、チカラ? ……え、まってまって? 言ってる意味が――」
「じゃ、行ってきまス」
俺はみんなに見守られながら教室をあとにした。




