第二話「一生涯大きな怪我とか病気をしないワクチンの副作用が性転換体質とか、そんなバランス悪いことある!?」
「そろそろ晩ごはんだから、こっちのやつに着替えよっか?」
ユウリはベッド上に別のコーディネートを置いた。
「も……いいだろ……散々着たんだし……服返せよ……」
「は?」
――ドン!
やつは俺を挟み込むように壁際に押し付け、片手を突っ張ったまま、残った片手で顎をクイと持ち上げた。
姉だったはずの青年が低くささやく。
「これで済むわけないじゃん? わかってる……だろ?」
あ゙ぁ〜……ダメそう……。
とろとろメス脳汁溢れそう!
色んな意味でまた死んだ!!
その時、下から声が聞こえた。
「ユウリ~、タキ~! ごはんよ~」
助かっ――
てはいない!!!!
アウト!!!!
俺は死んでいる。
それなのに俺は、また死地に向かうのだ。
「女装コス親カ厶アウト」という死後の公開処刑場に。
リビングに漂う重い空気。
父、母、女に戻った姉、そして女のままの俺。
食卓に座る誰もが口を閉ざし、沈黙の中に言葉を探している。
しびれを切らした父が顔を上げた。
「やっぱり父さんは受け入れられない……」
バン!と机を叩く母。
「あなた……どうしてそんなこと言うの!? みんな……みんな大切な『家族』なのよ……」
父は首を横に振り、静かに箸を置く。
「すまない……」
「やめて……そんな言い方……」母は声を震わせながら肩を落とした。
黙々と食事を続けていたユウリはようやく手を止め、両親を交互に見つめた。
「パパ……ママ……」
まばたきほどの時間。それは永遠に思えるほど長かった。
……
「あたしはパパに賛成」
……
グラスの中の氷がカランと音を立てる。
「そんな……ユウリまで……」
その場で崩れ落ちそうになる母をまっすぐに見つめ、彼女は淀みなく言葉をつむぐ。
「やっぱ、たこ焼き・お好み焼き・ごはん・みそ汁って違うんじゃない? しかも晩ごはんでしょ? お腹いっぱいになりすぎるっていうか……。ね?」
ユウリは俺のほうに向き直り、目を細めてみせる。
「ええと……」ミニスカートの裾を握りしめ、太ももをぎゅっと閉じる俺。
韓国風のレトロガーリーファッションに身を包みリビングに現れた息子(のような少女)を見ても、両親は何も言わなかった。
というか、まったくいつも通りだった。
以前からずっと俺が女だったように。
ヒェ……。
そして、いつも通り夕食がはじまり、なんやかんやあって今にいたるのだ。
「ねぇ、聞いてる? あんたはどう思うの?」
やつはレトロブラウスのリボンをつまみ、眉間にシワを寄せた。
父が続ける――「そうだな。父さんはタキの意見も聞きたい」
母も続ける――「そうね。私も気になるわ」
うつむく俺。
三人の視線が身体中に突き刺さるようだ。
てかこれが「女装を見られる」感覚なのか!? こんなんで外出たら死ぬだろまじで。脳汁におぼれて死ぬぞ!? いいのかみんな!?
俺は言葉を選びながら答えた。
「いや、俺は別に――」
「俺ッ!?」三人が食卓から身を乗り出す。
あー、はいはい。わかったわかった、やりますやります。やればいいんですね。
はいはい……。
もう一度だ。
「う、『うち』は別にそこまで気にならない……かな?」
ゆっくりと顔を上げると、三人は難しい顔をしていた。
ユウリは母のほうを向いて、首をかしげたまま尋ねる。
「むーん……これはなくない? ママはどう思う?」
眉をひそめる母。
「そうねぇ。やっぱりこれは系統が違うわね」
「うんうん」と父。
そして三人は示し合わせたように深くうなずくと、椅子に座り直した。
ユウリが軽く手をたたき、何かを祝う。
「おめでとー! これからあんたの一人称は『わたし』ってことで決まり! わかった?」
「は……はひ……」
この瞬間、俺は俺ですらなくなってしまった。初めまして、わ・た・し。
俺はたこ焼きをぽいと口に入れ、あえて可愛くはふはふしながら食べて見せた。
はいはい!これでいいんだろ、これで!?おお!?
ユウリが満足そうな顔をしながら問いかけてくる。
「あ、ところでブラどう? JK時代のがあってよかったけど、二枚しかないから買いにいかないとね」
「べ、別に……大丈夫……だし」
「ネット通販ってけっこう失敗するからね〜。ファーストブラはちゃんとしたお店で調べてもらったほうがいいよ? たぶんC65だから、プチプラでも色々選べてラッキーだね」
「へ、へぇ……」裏声になる俺。
女装コスプレの後、俺は姉(?)――いや兄(?)状態の姉に着せ替え人形としてもてあそばれ、様々な服を着せられた。
下着もね。
今、俺のお胸を優しく支えているのは、ラベンダーカラーのレーシーなコードブラだ。同素材の小さめのフルバックのショーツがスッキリとした下半身を包みこんでいる。
つまり、身体は女のまま。
おちんちゃんは戻ってきていない。
おいおい……。
やばいだろこれ。いいかげん誰かなんとかしないと、明日からどーすんだよ。こういうのって、普通は「移行期間」みたいなのが必要なんじゃないの?
俺は冷静と女性用衣類を装いながら食事を続け、今後の身の振り方を考えていた。その間、父、母、姉は楽しそうに母の出身地域の話をしていた。
食後のフルーツが出てくるころ、ようやくユウリが話を切り出す。
「あ、そうそう。タキ、身体『も』女の子になってるから」
「んふッ!」ピックを持つ俺の手が一瞬止まる。
いや、まだ心は女になってねーよ!! なってねー……よな? ……たぶん。え……なっちゃうの?
パイナップルを口に入れ父が軽く返す。
「そうか」
軽ッ!?
え、なんでそんな軽いの!? 突然息子が女装して現れたんだよ? しかも面影はあるものの、奇跡の神ビジュで! もうなんか時代の多様性が怖い!!
母が言葉を続ける。
「たぶん……男の子の服に着替えて、一日か二日あれば元に戻るわよ。統計的には着用時間の2.5倍以上が経過して以降、最初のノンレム睡眠で身体的特徴が変質するんだけど、タキは初めてだから、もう少し時間がかかるかもしれないわね。はじめは痛みがあることも多いんだけど、そうじゃなくて安心したわ。……まぁ、知らんけど」
詳しいッ!!
てかぜったいなんか知ってる物言い!! なんか言いたくて仕方ない感じが出てる! あと母さんの『知らんけど』久々に聞いた!!
背中をゆったりと椅子にあずけ、ユウリがアホそうに口を開く。
「……だってさー、どうする?」
俺はグラスを握りしめて答える。
「どうするって――それなら俺……わたしはさっさと着替えて男に戻ったほうがいいと思――」
「えー……明日友だちとジャコスモール行くんでしょ? どーすんの?」
「や……それはふつーに男の格好で……」
「え、無理でしょ。ノーブラでTシャツとかアホの娘なの?」
「そ、それは……なんかうまいことごまかす感じで……」
「はー……男友だちのほうはともかく、あんたは女の直感を舐めすぎ。男女の乳首差なんて、女ならすぐ分かんだからね?」
「じゃ、どうすんだよ……」
「ふふふ、それは――」ユウリが何か言いかけたところで、父が手を挙げた。
深刻な顔をみて、話を譲るユウリ。
「パパ。どーぞ」
「父さんと母さんな、実は未来人なんだ」
……は?
◇◆◇◆◇◆◇
いつの間にか宇宙空間になったリビングで、俺は両親の説明をぼんやりと聞いてる。
「ペラペラペラペラ……で、それがアレで反相対性フラックス・キャパシタの仕様上……ペラペラペラペラ……時空連続体を穿ったしたデータニードルは一時的にソレして……」
ユウリははうんうんとうなずきながら、ときおり独り言をつぶやいていた。
「つまり、魔力特性を全反転したってこと?……ペラペラペラペラ………たしかにそれなら魔量子理論的にはソレがアレするけど……ペラペラペラペラ……」
お互い何の話をしているのか俺にはさっぱり分からなかったが、人が宙に浮くと簡単にスカートがめくれ上がるということは分かった。
ユウリは生成AI「Chat PTG(通称:チャッピー)」を使い、その場で要約を作って見せてくれた。
――【 はい。あなたが書くSF小説の設定を要約すると、次のようになります。 】
・両親の「肉体」は正真正銘の現代人だが、「心」は未来人の集合意識体(現代と未来を繋げる要素)
・両親は別々の場所で生まれ育つが、やがて「偶然」知り合い恋に落ちた(偶然と必然が交差する要素)
・当初、父の任務は世界的な少子化が止んだ「きっかけ」を観測することだった(自己と他者の比較)
・母の唯一の任務は「救世主」を生むことだった(愛と未来を繋げる要素)
・二人は愛する子どもたちと共に、現代で生きることを決めた(未来における価値観の変容)
――【もしご希望なら、さらに詳しい設定やプロットを提示することもできます。どうされますか?】
「はぁ……そうなんだ……」
ややこしい話が一段落すると、俺はようやく口を開いた。
「つまりそれって……わたしが『性転換体質』なのと、どう関係してるんだ? ……してるの?」
俺は頭を逆さにしながら、実にアホそうな質問をした。
「ふふ」と母がほほ笑み、惑星のひとつを蹴ってこちらに飛んでくる。
「それはあなたが――あなたたちがこの世界の救世主だからよ」
そう言って母は俺の手を握る。
「――ていうのもあるけど、副作用なの、それ」
「副作用?」
「小学校に入った時、遠くの病院に行ったの覚えてる?」
「えーっと……たしか……」
俺の脳裏にそのときの記憶が浮かび上がる。家族全員で真っ黒な飛行機に乗って……軍用車みたいなのに乗って……途中でキャンプしたとき、ユウリに歯を折られて……。
到着した先は、窓も扉もない真っ黒な立方体だった。
その中で俺たちは……なにしたっけ?
「タキもユウリも、注射をしたのを覚えている? あれは、一生涯大きな怪我とか病気をしない『因果律ワクチン』っていう、未来のワクチンなの。それには、五千万人に一人くらいの確率で発現する副作用があって……」
「それが……」
「性転換体質よ」
俺は無意識に首のあたりをさすっていた。そうだ、たしかこのあたりにチクっと。
母の言う「因果律ワクチン」のせいで、俺たち姉弟が揃って性転換体質になってしまったってのかよ。
てか一生涯大きな怪我とか病気をしないワクチンの副作用が性転換体質とか、そんなバランス悪いことある!? 未来人ってアホなの?
――ふっと壁や床が現れ、リビングはいつもの状態に戻った。
すべてを理解したような顔でユウリがつぶやく。
「そうだったのね……」
「黙っていてすまなかった……」
「ごめんなさい、ユウリ、タキ……」
再び沈黙が支配する。
「グスッ……」ユウリが鼻をすする音が響く。
「でも、教えてくれてありがとう、パパ、ママ……。あたしたちのこと考えてくれてありがとう……ほんと大好きだよ……」
母がユウリの肩を優しく抱きかかえる。二人の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。もちろん父の目にも。
勢いよくユウリが顔を上げる。
「聞いて、パパ、ママ!」やつは目をうるませながら家族を見回した。
「あたしも気持ちの整理ついた!」
おいおい、次はなんだよ。
散々俺をオモチャみたいにもてあそんで辱めたあげく、さっき両親が未来人って知ったばっかで、もう今日はお腹いっぱいなんだけど?
どうせ彼氏できたとかそんなだろ?
はー、陽キャ女は気楽でいいねぇ~。
どんなカムアウトでも、少なくとも俺よりダメージ少ないだろうし、羨ましいよほんと。
あ、なんかムカついてきた。
「あたし、注射を打たなかったの……」
え、そうなの!?
「そもそも現代人の作った針なんか、肌には通らない……」
いやいや、めっちゃ神ビジュ青年くんになってたけど? 何言ってんの……お前?
突然ライトが消える。
「えッ? 停電?」
しかし、消えたはずの光は粒子となってユウリの周りを漂っていた。
「な、なんだこれは……」驚く父。
「これは……フラックス・キャパシタの量子フローみたいだわ……」光の粒に触れようとする母。
ユウリは軽く息を吸い込み、人差し指を天井に向ける。
――ポッ!
指先に小さな「闇」が灯った。
「あたし、実は元魔王なんだ」
……は?
闇が弾け、街は一瞬だけ光を失った。