とんでもない泣き虫妹ムーブ
不快な視線が全身を舐めまわす。
胸。
顔。
下腹部。
股。
脚。
そして胸から顔。
「メンソーレタムズ」を名乗るナンパ男二人組は、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「てかおねーちゃんもそーとーさー、綺麗だけどさー、キミもバチクソ可愛いねー!」
「え、もしかしてアイドルの卵とか? ベリショでこんな可愛いって相当やばくね?」
(え……)
(キモいキモい)
(見るな見るな、や見るなって!)
「本土の人だよね? てか本土感すごち? 当たりっしょー?」
「SNSなに使ってるー? だいたいやってるから垢教えてよー? カギ垢でフォローするから絶対大丈夫さー!」
(キモいキモいキモいキモい)
(もういいから……)
(まじで……)
俺はただ困惑することしか出来なかった。
「ええと……」
これまでナンパの「ダシ」に使われたことは何度もあるが、まさか自分が「ターゲット」になるとは思いもしなかった。
見知らぬ男から声をかけられる。それがこれほど怖いとは……。
心がどうあれ、現実問題として今俺は「女」だ。
どう見ても成人には見えない水着を少女を……大人が二人がナンパ?
(ヴェ……)
(まじかよ……ヴォェ……)
(ロリコンおじキモすぎる……)
背筋がゾッとして、不安が襲ってくる。
――恐怖、緊張、不快、不審、嫌悪、困惑。
それを表に出すための言葉が見つからない。
すべてのネガティブな感情が高まり、どう反応していいのか分からない。
俺の恐怖を感じとったのか、ふいに金髪が沖のほうを指さして「てかあれ見える?」とたずねた。
「え?」思わず答えてしまう。
「あの沖のほうにある白い船、見えるかなー? あれ、俺らのクルーザーなんだけど、乗ってみない? おねーちゃんと一緒にさ?」
「大丈夫さー、ぜったい沖のほうには行かんさー? ね、ちょっと遊んでみよーよー? てか、キミ一人でもいいよー?」
(イヤだ)
(もういい)
俺は両手を胸の前でギュッと握る。
(だれか)
(なんとかして)
(助けて)
そう思った瞬間――視界がまっ白に輝く!
カッ!!!!!!!!
「ヒッ!!」
雲一つない空から突如落ちてきた雷光。
それはジグザクの軌跡を描きながら、沖にあるクルーザーへと吸い込まれていった。
3、4秒の静寂。
――ドガガガガァァァァァァァァァァァァァン!!!!!!!!
雷鳴。
「キャァァァァッ!!!!」
「うおぉぁぁぁっ!?」
「どわぁぁぁぁっ!!」
空に轟音が響き渡り、ビーチにいた全員がしゃがみこむ!
「すぐに上がって! そこ! 早く早く!」
ライフセーバーが一斉に飛び出してきて、海から出るように叫んでいる。
クルーザーを見ていると、ちいさなオレンジ色の光が揺れた。
火だ。
「え!? え、燃えよーん!? わんねーらの船や、燃えちょーるば!?」
「うそやみ!? まじか!? あれよ、機材とか、みーんな船ん中やいびーど! あいっ、あいっ、どうするばー!?」
意味はわからないものの、彼らの焦りが伝わってくる。
「とりあえず、いちゅんどー!?」
「行ち行ちすんどー!!」
二人は船着き場に向かい急いで水上バイクにまたがる。
ガボボボ!という音とともに走り去る二艘の水上バイク。
徐々に火の手が回りはじめるクルーザー。
背後からユウリの声が聞こえた。
「あらら~、めちゃ燃えてるな~~~~。こんな天気いいのに、どーゆーことよ?……」
俺の心に不思議な感情が込み上げてくる。
「……うッ……」
「えっ、なにその顔? どした? なになに!? なんかあった!? 怖かった!?」
「な゙……な゙ん゙でも゙……な゙ぃ゙……ゔっ……」
「まってまって、なになに!?」
視線をそらし、目頭に力を入れる。
唇を噛み、嗚咽を押し殺す。
「……こらこら、無理すんなタキ。なんかしらんけど、もう大丈夫。大丈夫だよ?」
優しい抱擁。
喉元で押さえつけていたものが、一気に決壊する。
「ゔっ……ッ……ゔっ……。ゔぇぇぇぇ~~~~……ゔぇぇぇぇ~~~~!!!! ユ゙ヴリ~~~~!!!! ごわ゙がっ゙だ~~~~!!!! ゔぇぇぇぇ~~~~……ゔぇぇぇぇ~~~~!!!!」
(ちょちょちょちょ、ちょっと待って!?)
(なんつー声を出しとるんじゃ!?)
(とんでもねー泣き虫妹ムーブじゃねーか!?)
だが涙は止まらない。
「ゔぇぇぇぇ~~~~……ゔぇぇぇぇ~~~~!!!!」
昨日までの威勢は――死んだ。
バカ強ェ決意で「俺は男のまま家族旅行をやり遂げる」とか言っていた男は――死んだのだ。
とはいえ――今回は最初からデバフ要因が強すぎた感もある。
初の女性用水着着用による脳汁ドクンドクン、ナンパによる恐怖と緊張、突然の落雷による心臓バクバク。
これら全部が合わさって、少々感情が不安定になった。
つまり、実質的にはノーカウント。
ダメージ相殺。
ライフポイントは変化なし。
「はいはい……よしよし……大丈夫大丈夫……」
「うっ……ッ……ううっ……ゔぇっ……ッ……」
俺は生きのびた。
◇◆◇◆◇◆◇
落雷におびえ、肩を寄せ合いながら歩く姉妹。
ヴィラに帰ってくると、俺はリビングへ顔を出さず、そのまま一直線で浴室へ向かった。
「じゃ、あたしは二階でシャワー浴びるから。あんたはちゃんと浸かんなよ?」
「……ん……ありがと……ユウリ」
たっぷりとお湯の張られたバスタブ。
その中で俺は膝を抱えながら座ってる。
耳奥に残る低い声。
全身を舐めまわすような視線。
行為を連想させるような誘い文句。
あいつらが俺に向けた「すべて」
思わず口を抑える。
「ゔッ……ぎも゙ぢわ゙り……」
――ジャァァァァ……
バスルームを出ると、すでにユウリが待ち構えていた。
「これ、下着と着替えね?」
「……入ってくんなよ……まぁ、いいけど……」
やさしく叩くように身体を拭き、髪をタオルドライ。
「はいスキンケアするよー?」
プレ保湿をしながら、下着を着用。
化粧水、フェイスパック。その間に身体に美容液とボディオイル。
パックを取って美容液、乳液。
毎回、バカ面倒に感じていたこのルーティンですら、今日はすこし心地良い。
俺は正直にそれを伝える。
「なんかちょっとリセットした」
「でしょ?」
「でも面倒なのは面倒だな……」
「はぁ~~~~……」ユウリのクソデカため息。
「みなさんそう仰ってサボって。結局、後々になって後悔なさるんですよねぇ~~~~。でも、お気持ちは分かりますよ~~~~、『女』って大変ですもんねぇ~~~~!!!!」
◇◆◇◆◇◆◇
ディナーのためホテル「コンロン」本館に向かうと、マスターコンシェルジュの近栄さんが、俺たちを出迎えてくれた。
「あ……(しまった!?)」
ヴィラに案内するまで俺はたしかに「息子」だった。
しかし今はどうだ?
・胸から肩にかけて大きく開いたオフショルダーデザインのひざ下丈ワンピースドレス(さらっとした白のシアー素材に繊細な百合の花柄デザインが上品でGOOD)
・ちょっと背伸びしたスクエアトゥの低いヒール付きサンダル(ビーチのときより多少歩ける)
・メイクはポイントを押さえつつ、ラグジュアリー感を抑えた韓国アイドル系ナチュラルメイク(ヘアはくるりんぱアレンジにしました)
・主張しすぎない、こぶりなゴールドアクセ(本物じゃないよ)
もはや近栄さんの知る「神谷タキ」はどこにもいない。
(俺のこと分かります?)
(分かりませんよね……?)
(見た目はちょっと変わりましたが……「神谷タキ」です)
(なんかややこしくてすみません……)
父がそのことを切り出そうとする。
「ああ……近栄さん……こっちは――」
「お待ちしておりました、皆さま。ではお席にご案内――」
さすが近栄さん。
彼は表情ひとつ変えることなく、俺に気づいた。
「実にお似合いでございますよ――タキ様」
(サンキューコンェ!)
案内された席は、海の見える半個室タイプのボックス席。
すでに日は落ち海は真っ暗だが、ライトアップされた浜辺にまばらな人影が見える。
席に着いたあと、なんとなく外を眺めていると、どこかから聞き覚えのある声がした。
「――でさぁ! なんか俺、腕六本ある色黒モンスターになっててさ! 肩にユウリさん乗せてるわけ! もうパワー感がパワーで、どういう状況だよってゆーwww」
「わかるwww わいも紐バニー着て宙に浮いてて、しかもチョー豊胸で、イミフすぎてうけたwww」
――「あれ……これ?……」
行儀の悪いことは承知で、身体をひねり辺りをうかがう。
「あ」
見覚えのある二人の横顔が見えた。
すぐ父に尋ねる。
「ごめん……ちょっと席外していい?」
「ん。お手洗いは出て右だ」
「いや……なんか偶然友だちが来てるみたいで……」
「ん……あぁ、原田さんと、宓さんか?」
父は知っていたかのように、二人の名前を挙げた。
「え、なんで分かったの?」
「分かったというか……今回は『そういう場』でもあ?な……」
「えぇ、なんだよそれ……わたしなんも聞いてないんだけど!?」
ほっぺたを膨らまし、不服そうな顔をする息子。
「とりま行ってくる!」
声のした席にそっと歩み寄ると、いつも以上にメスっぽい感じの声を用意する。
さて、俺が誰だか……わかるかなぁ~????
「あの……すみません……」(恥じらいメス声)




