第一章6話・初陣編「極限状態」
————ペストマスクの、数多の軍勢がこちらに行進してきていた。
穂緒たちの手に負える数ではないことは明らかだった。
頭の中で絶望がじわーっと広がる感覚がする。
そして兵士が通り過ぎると、その背後から空色の何かがクルクルと出ていく。
その何かは、街灯やガードレール、果てはビルにまでその形を変え、都市を形成していった。
穂緒達の周りも次々とビルや道路などの建造物が「生えた」。
呆気に取られている内に穂緒達はいつの間にか都市の真っ只中にいた。
車の通行する音、横断歩道のピヨ、ピヨピヨという音も聞こえ、本物の都市にいるようだった。
ただ、人だけがいないことが不気味さを引き立たせている。
「本当に何なんだよもぉぉぉ!」
巫心都は次から次へと変わる状況に不安が限界まで来ていた。
頭を抱えながらしゃがみ込んで悲痛な声を上げる。
そして——
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ——
人影はないが確かに聞こえる、その足音。
穂緒達に向かってくる、あの無数の軍隊たちの足音であった。
地の底から響き渡るような不穏な足音は、穂緒達に死を宣告しているようだった。
「こっちに向かってくる!移動しよう!」
穂緒は二人に切羽詰まって促すと、しゃがんで動かない巫心都の手を取る。
「行こう!」
穂緒が巫心都の手を引くと、巫心都は引っ張られるがままに俯きながら走る。
「あ、あっちなら、見つからない、かもっ…!」
穂緒は永遠が示す裏通りへ入る。
しばらく必死に逃げるが、逃げる先からまた足音が聞こえてくる。
「クソッ!」
穂緒は足音から遠ざかるため別の道へ逃げる。
しかし、しばらくすると、また足音が聞こえてくる。
まるで迷路に迷い込んだように穂緒は感じる。
「あんなにいた電信柱はどこに行ったんだよ!」
神人達に混じって戦っていた電信柱の姿はどこにもいなかった。
都市の規模が大きく、助力を見込めそうにはなかった。
そうして逃げている内に、あちこちから足音が聞こえる。
輪唱のように足音は大きくなっていく。
最早、どこから敵が迫ってきているのか分からない。
音がより大きく迫ってくる度、一層焦燥感を掻き立てられる。
「!!!!!」
穂緒は道の先から、僅かに敵の黒い影を目にする。
穂緒は急いで二人を連れて別の脇道に入る。
夢中で走って逃げるが、目の前に何かが高速で落下した。
見えない銃弾だった。
「隠れろッッ!!!」
穂緒は二人を引っ張り、急いでビルの陰に転がり込む。
表の通りからは激しい発射音と、地面やビルの壁面を鋭く穿つ音が絶え間なく聞こえる。
無理矢理引っ張られる巫心都は、涙目で拳を振り上げ穂緒を何度も叩く。
それに構う暇もなく、穂緒は巫心都の手を引きながらビルの間を逃げる。
後ろからの、銃声音。
多方向からの、行進の輪唱。
頭を激しく揺すられてると錯覚するほど、あらゆる音が混じり、響き渡る。
そして。
大通りに出た穂緒は————目の前に広がる銃口群を前に立ち尽くす。
後ろも追いつかれ、大勢の災害因子に前後から挟まれる。
……ああ、終わった。
光を反射するステッキから裁きを下されるまで、無限に思える程の瞬間が過ぎる。
『——メタミエミカオト——』
————ふいに、誰かの言葉が響き渡る。
『——お前の仲間は全員、裏切者だ!!!——』
周囲の音が、一瞬にしてぴたりと止んだ。
『——お前の隣を見てみろ、噓つきの目をしてるぞ?——』
穂緒の周りにいるペストマスク達が、お互いに目を見合わせ始める。
敵の間で、言いようのない不穏な空気が流れ始める。
『——隣の奴はお前を盾にする、自分の事しか考えてないやつだぞ?——』
『——どいつもこいつも信じられないゴミばかりだ!殺しちまえ!!!——』
ペストマスク達は大きく後ずさる。
周りの仲間を信じられず、警戒心を剥き出しにし、ステッキを向け合っていた。
『——実はお前の部隊以外全員死んでる……周りの音は全部敵の音だ!——』
ペストマスク達の動きが止まる。
絶望の色が一様に広がった。
『——俺たちの故郷は空爆で全て無くなってしまった!——』
『——もうおしまいだ!逃げるしかない!——』
『——俺たちに帰る場所なんてない!今すぐ死ぬしかない!——』
続けざまに言葉がオーバーラップする。
そして——泡が弾けたように、ペストマスク集団は一気に混乱に陥る。
今まで一言も発していなかったペストマスクは狂ったように雄叫びを上げる。
散り散りに逃げる者。
殴り合い、撃ち合いをして殺し合う者。
絶望で発狂しその場で泣き叫ぶ者。
頭を地面に打ち付ける者。
こちらに縋りつき、必死に許しをこう者。
絶望から一転、穂緒達はその様を見て、啞然とする。
「な、なにを始めたんですか……この人たち……」
永遠は戦慄し、わななきながら声を絞り出す。
「……分からない」
穂緒は返事するのもやっとで、首を振りながら目を見張る他なかった。
……今響き渡った言葉はなんだったんだ?
……どうして敵は混乱したんだ?
……何で自分は何とも無いんだ?
目の前の地獄絵図を前にしても、穂緒は何も理解できていなかった。
人間の醜さを集めたような姿で感情むき出しで混乱している。
息が詰まるような恐怖を感じさせられる。
先程までは何にも感情を見せなかった不気味なまでの人型の何か。
それが突如として、人と変わらない生々しい感情を爆発させている。
極端すぎる感情の表し方は不気味ではあったが、まるで人を見ているようだった。
——ザッ。
突然の足音に穂緒は弾かれたように振り返る。
……目の前の惨状に気を取られていた穂緒はしまったと思った。
しかし、振り返った先に居たのはペストマスクではなかった。
呻きながらよろよろと歩いて来るのは——序鐘月夜だった。
血だらけでビルに手をつき満身創痍だった。
しかしその小さな体躯に見合わず荒んだ目つきは闘争心をむき出しにしている。
「序鐘……さん……?」
「……ああ、またお前か。徹底的に縁があるようだな」
月夜は血が滲む口をなんとか開け、大声で穂緒達に命令を下す。
「いいか、お前ら…そこにいる災害因子を、全員殺せ!!!」
月夜はその童顔からは想像できない、恐ろしい形相をした。
人を射殺せそうな鋭利な目つきは、穂緒が殺されるかと思うほどであった。
穂緒は気圧されながらも、何とか口を開く。
「こ、殺せと言っても…こいつらは急に何か言葉が聞こえてからおかしく……」
「そうだ、その『言葉』を使ったのは私だ」
「え……?」
「私が使った『言殺』という技だ。一帯の人災に精神的混乱を与えた。才能があれば誰でもできる。大幅に倒しやすくなったはずだ。分かったら徹底的に殺してこい!」
威勢よく災害因子を指さす月夜だったが、穂緒は返事をためらう。
穂緒は困惑の表情で災害因子を見る。
視線を向けただけで尻もちをつき、後ずさりしながら災害因子は逃げ惑う。
ペストマスクは、人間そのものに見えた。
穂緒は声を震わせながら月夜に尋ねる。
「こいつらは十分、俺達を恐れてます。追い打ちをかけるなんて……」
それを聞いた瞬間、月夜は血相を変える。
穂緒の胴の武装に掌底を思い切り当てた。
その衝撃は武装の奥まで伝わり、穂緒は体をくの字にしてうずくまる。
月夜は穂緒の襟を掴み、鬼の形相で覗き込む。
「甘ったれるな!!!!人災は人間のフリをした害虫だ!災害に同情してどうする!現実が分からない奴から消えていくんだ!消えたくなければあいつらの逃げる背中だろうが何だろうが構わずぶっ叩け!さもなければお前も現世の人間も、みんなまとめて地獄行きだ!……神人の使命、なめるんじゃねえぞ?」
月夜は穂緒を放り捨てる。
呻きを上げ恐怖する穂緒に、月夜は一切の同情を見せない。
ささやくように、凄味と圧のある声で語りかける。
「お前は、いったい何のためにここに来た?……現世の人々を、一人でも災害から守るためだろうが!!!分かったら早くぶっ殺してこいこの愚図が!!!」
怒鳴り散らした月夜は穂緒を蹴り上げる。
穂緒は涙を滲ませ、まだ痛む腹に体を曲げながらもよろよろと立ち上がる。
なんとか、災害因子へ向き直った。
穂緒は涙を拭いながら、阿鼻叫喚の災害因子に、震える手で刀を構えた。
「た、大刀流火、さん……」
息を飲む永遠は、心配そうな表情で穂緒を見つめる。
穂緒は肉体的にも精神的にも相当追いつめられていた。
しかし、災害因子に立ち向かわざるを得ない状況に追いやられている。
面の中に籠る息は恐怖と疲労、焦燥、緊張が入り混じり早くなる。
穂緒は一歩、また一歩、災害因子に近づく。
穂緒に気づいた一部の災害因子は、体をビクンと震わせ、穂緒を恐怖の目で見つめる。
それ見た穂緒には、次の一歩がなかなか出なかった。
……その時だった。
災害因子の中から、背の低い災害因子が仲間に突き飛ばされ、穂緒の前に出てくる。
そいつの仲間は、こちらの様子を伺いながら後ずさっている。
穂緒を見て、申し訳なさそうに手も合わせていた。
そこから穂緒は直感的に理解した。
「身代わり……?」
……こいつを差し出すから、俺達を見逃してくれ、と。
後ずさる災害因子達の雰囲気から感じ取ってしまった。
穂緒は息を飲む。
まさか災害が人間的な取引をしてくるとは、夢にも思わなかった。
まるで穂緒が悪いことをしているかのように感じさせられる。
災害に復讐するつもりが、何故か自分が災害から恐れられている。
あまりにも倒錯的で、異常だった。
「……チッ」
月夜が突然、舌打ちをする。
月夜は彼女の断災器である黒い本を呼び出すと、見覚えのある黒い笛を取り出す。
そしてそれをひと吹きすると。
————電信柱が召喚され、身代わりを出した災害因子達が、一瞬で殴り倒されていった。
その場にいた他の災害因子達がたちまち混乱し、さらに騒ぎが大きくなる。
身代わりになった災害因子は、極限状態で恐怖に打ち震えていた。
あの惨状を見れば災害因子でも分かる————次は自分の番だと。
「さあ、死にたいやつが名乗り出たんだ。……早く殺せ」
月夜は慈悲なく穂緒に処刑を促す。
「この状態で……?」
穂緒は月夜が外道に見えてきた。
「そうだ。……勘違いするな、助けるのは現世の人々だ。こいつではない」
それは穂緒でも分かる。
しかし恐怖に打ち震える者に刃を向けるなど、そんな経験は今までにない。
「はあぁぁ、はあぁぁ、はあぁぁ……」
穂緒は極限状態で息が浅く、早くなる。
……こいつらの仲間が、災害因子が、俺を殺した。
その復讐を果たすため。
そして、こいつらに家族を殺されないため。
そのために、今ここにいる。
……そうだ、大丈夫だ。
穂緒は自らの存在理由を今一度、自分に言い聞かせる。
そして。
「……っっっっ!!!!!」
穂緒は目の前の災害因子の胸倉を掴む。
一切、抵抗はしてこない。
もはや自分の死期を悟っていた。
……震えが、穂緒の手に伝わってくる。
穂緒は一瞬の迷いを捨て、災害因子を思い切り掲げる。
神駆火劔を後ろに引き。
……突き刺す。
災害因子の背中から、黒い液体の飛沫を上げて刃が出てくる。
ゴポゴポッ、と溺れたような音をマスクから響かせ、黒い液体がしたたる。
災害因子は、動かなくなる。
……黒い塵となって消えていった。
穂緒は月夜の方へ振り返る。
「これで、いいですか」
穂緒の瞳に、月夜と同じような荒んだ色が加わったように見えた。
それを見た月夜は神妙な面持ちで返す。
「ああ。それでいい。……いいか? 災害に同情なんていっっっさいするな。これができてようやく一人前の神人だ。……じゃあ、あとはお前らで倒せ」
「そんな……! 俺達ほとんど戦闘経験が無い素人ばかりで……」
「ばか言え、言殺で精神が狂ったやつらばかりだ、このぐらいちゃっちゃと仕留めろ。私は別の戦場で言殺をやらねばならん。くれぐれも死ぬなよ」
そして月夜は踵を返す。
電信柱を呼び出して身を守りながら、ビルの裏路地を足早に去って行った。
穂緒は月夜の後ろ姿を見る。
まだまだこれから大変なことが続くぞと言われているように感じる。
その見えない地獄の道筋に、穂緒は気が遠くなるような思いがする。