一、戦乱の予感(6)
部屋を出て最初の角を曲がりかけたところで、後ろからどたどたと足音が近づいてくる。
「いたぞ!ウェルティクス様の名を騙る賊だ!!」
「逃がすな、捕らえるんだ!」
がちゃがちゃという金属音が、足音に交じって届く。
槍を手に向かってくるのは、数名の城内の警備兵だ。
「!!!賊などと、無礼な――」
主へ向けて槍を向けようとする兵士たちに、イルクは歯を軋ませる。
ファングは一歩踏み出し、ちらとウェルティクスを振り返った。
「面倒だ。片付けちまうか?」
「……いえ。彼らは命令に従っているに過ぎないただの衛兵です。
可能なら衝突は避けたい。それに……口実を『相手』に与えるのも厄介ですから」
『相手』――とは、その命令の張本人だろう。
第三王子ウェルティクスを亡き者にしようと目論んでいる人物。兵士に剣を向けることは、彼らに有利な展開しか運ばない。
そして……臣下に剣を向けたくないというのも、王子の偽らざる本音だろう。
「ふん、面倒くせぇな。じゃあどうする?」
「――こちらへ、」
先導するよう、廊下を滑るウェルティクス。
ファングは不承不承ながら頷き、懐から棒状のものを取り出す。
ぱきっ。
それをへし折ると、追ってくる兵士目掛けて投げつけた!
「く……なんだこれは!?」
「おい立ち止まるな――がッ!!」
白い煙が廊下に噴出し、兵士たちの視界を奪う。
「催涙効果はあるが、死にはしねぇ。これなら文句ねぇだろ?」
「煙幕――ですか。
流石、本業の方は便利なものをお持ちですね」
そのまま足音がみっつ、一目散に階段へ駆ける。
しかし。
後方だけでなく前からも、物音と物々しい声が響き――三人は足を止めた。
「む……挟まれてしまったようだな」
「こりゃ、強行突破しかねぇだろ」
沈痛な面持ちのイルクを横目に、得物へと手をかけるファング。
「…………っ、」
ウェルティクスが苦虫を噛み潰した、
そのすぐ傍で、
――ばたんっっっ!!!
扉が開け放たれた。
「早く、こちらへ!!」
「シャガル……!」
部屋の中から、覚えのある声。ウェルティクスはイルクと顔を見合わせ、ひとつ頷くと室内へ滑り込む。ファングもそれに続いた。
三人が部屋へ入ったのを確かめ、シャガルは静かに扉を閉める。
「持ち場に戻ろうとしたら、衛兵が集められていたので……
厭な予感がして舞い戻ったのですが、正解でした」
「『正解』?部屋の中に閉じ込められて、か?
こんな場所でやり過ごせるとは思えねぇけどな」
見覚えのない姿がひとつ増えていることに気づくと、シャガルは腰の剣に手をかける。
「こちらは?先ほどは居られなかったと思いますが……」
ファングから目を離さないまま、ウェルティクスへ尋ねる。
「彼は……
敵ではありません。少なくとも……いまは」
「ああ、『いまは』――な。
なんだ?喧嘩なら相手になってやるぜ?」
挑発的な態度をとるファングを、イルクがじと目で窘める。
「スペリオル、ところ構わず喧嘩を吹っ掛けるのは止めていただけぬか」
「…………、ちッ」
ファングの素性を、王国兵である彼に話すわけにもいかず。
ひとまずシャガルには、彼がイルクの知己であるとだけ説明した。
「して、シャガル。何か手だてがあるのですか?」
「はっ。実はこの部屋、警備兵が臨時で使う控え室で……
普段は滅多に使われない部屋なのですが、」
ぐぐ、ぐ。
暖炉の煉瓦、そのひとつを強く押すシャガル。
すると、ゆっくり暖炉が動き出し――その後ろから隠し階段が現れた。
「かなり昔に作られた抜け道のようです。
ティフォン様が以前、発見されました」
「成程。いつも、これを使って城から抜け出していたのですね」
やれやれといった顔で、ウェルティクスは呟く。
「はい。……非常時ですし、ひとつくらいお教えしても問題ないでしょう。
殿下に何かあれば、それこそ私がティフォン様に殺されます」
――『ひとつくらい』。
「……つまり、まだ他にもあるのですね」
にっこり。
「あ。」
ウェルティクスの笑顔に、シャガルは思わず口を両手でおさえた。
彼は大慌てで松明を差し出し、
「と、とにかく!早くお逃げくださいっ。後のことは、私が何とかします」
「シャガル……。――感謝します」
松明を受け取り、仄かに照らされる顔を見遣った。かつてより幾分皺の増えた、彼の面差しを。
「……ウェルティクス様。どうか、このフォーレーンをお救い下さい。
民は大きな不安の底にいます。
我等の希望は……ウェルティクス様とティフォン様だけなのです」
絞り取るようなシャガルの声。
ファングは眉を顰め、つまらなさそうに鼻で嗤った。
「国の命運を王子たちに押し付けて縋るのか?
はッ、残酷で身勝手だな。国や民ってのはよ」
「……それは、」
すい、と。ファングを制し、松明で前方――階段の先を照らすウェルティクス。
「参りましょう。
いまは……できることをするだけです」
やや強い調子で、はっきりと告げる声。
その傍らにいるイルクに睨まれ、ファングはひょいと肩を竦めた。
「シャガル、後の事は任せます。どうか無理をせぬように」
一歩踏み出し、十字を切って。
ウェルティクスはシャガルに背を向け、歩き出し――
二つの影がそれに続き、
そのまま、振り向くことはなかった。
「ご武運を――お祈りいたします」
遠ざかる姿に、深々と頭を垂れたまま。
シャガルは階段を下りていく三人を見送っていた。