三、白の神女(26)
赤毛を三つ編みにした痩躯の少女がひとり、パニッシャーのアジトに用意された一室の扉に手をかける。
「はぁぁぁぁ、つっかれたぁぁぁぁ!
ラゼルさまも出かけてるし、報告は戻ってからで――」
がちゃっ。
自室――そう、自室の扉を開け、彼女は固まった。
「よぉヤム、相変わらず色気のねえ部屋だな」
「ふぉあああああ!?ファングさまぁ!?」
ヤムと呼ばれた少女は、思わず室内と廊下を二度見する。間違いなく自室だった。
どういうわけか、男がそのベッドに寝転がっている。――『刀牙』ファング。
彼は眼を白黒させる少女に顔色ひとつ変えず、身体を起こすと唐突に話を切り出した。
「ンで、『神殿』で何があった?」
何か言いたげに口をぱくぱくとさせるヤム。しかし程なくして、この男への非難は諦めた。漏れたのは言葉ではなく、盛大な溜息のみ。
ファングは自分の聞きたいことしか聞かない。まして相手のプライバシーやデリカシーなんて繊細な事情は一切考慮しない。それは部下のヤム自身が痛いほど理解していることだ。
彼女は大袈裟にひとつ咳払いをすると、報告を始めた。
「白き神を奉る『神殿』について、ですよね?
南東へ降りて情報を集めてたら、フォーレーンで反逆者が捕らえられたって話で。
こんどは誰のことかと思って調べてたんですけどぉ」
ぴくり、とファングの眉が動く。
反逆者。処刑。昨今のフォーレーン王国はそんな話題ばかりだ。
「その反逆者ってのが……信じられないことに、白き神の『神子』一族だったんですよぉ!
フツーありえないじゃないですか!」
「ぁあ?……随分とキナ臭ぇな」
ファングは露骨に表情を歪める。ヤムはファングにこくりと肯き、肩をすくめてみせた。
かつて世界を救った四英雄に力を授けたとされる『白き神』の末裔。
伝承が何処まで事実かは確かめる術もないが、彼らの末裔が星を視る力で人々を導いていることは事実だった。
現在、一族の当主は――『未来視』エルサイス。
彼女は王国に囚われ、他の一族や神官達はそれに抵抗し惨殺されたという。
――勅令の名の下に。
王家にとっても信仰の対象となるはずの神の子を捕らえるなど、本来ならば到底あり得ないことである。
誰がどう聞いても、異常事態以外の何物でもなかった。
心なしか声をひそめ、彼女は話を続ける。
「ええ。国王も伏せってるっていうのに、国議にもかけず二週間後の満月に処刑だそうです。
……あ、あともうひとつ!ファングさまがお求めの情報がありましたよっ」
にんまりと得意げな表情を浮かべ、少女は人差し指を立てる。
その様子に、訝しむよう男は眉を上げた。
「フォーレーンの英雄、ラグナ=フレイシスとクラリス=トラスフォード!
二人が生きてるって情報を掴みました!ぱんぱかぱーんっ!」
口頭でファンファーレを鳴らし、表情を輝かせ男を仰ぐヤム。
芸を覚えた小動物が飼い主に褒めて褒めてとすり寄っている様に、それはとてもよく似ていた。
「続けろ」
「……。は、はいっ。
クラリス=トラスフォードは、フォーレーン城を脱出した後ノルン方面に逃走したーってだけで、詳しくは判らなかったんですが……
ラグナ=フレイシスは、いろんな村や町を救い、反乱組織を作ってるみたいです」
ほう――とひとつ唸り。話を聞くファングの表情が、徐々に輝いていく。
そう、その反応を求めていたのだ。ふふん、とヤムは得意げに胸を逸らす。
「まな板にしちゃ上出来だ。よく調べたな」
「ちょ、ちょっとぉ!まな板関係ないじゃないですかっ!?」
続いた有難くない誉め言葉に、かくんとよろめいた。
ヤムは小柄で痩せており、表情にもあどけなさが残る。その体格は、女性らしい起伏にはまだ届かないようだ。
しょんぼりするヤムを余所に、くつくつと喉で笑い――恐らく好敵手の手応えを感じて――悦に浸っていたファング。
彼は気を取り直し、ヤムに向き直ればこう尋ねた。
「フォーレーンの第二王子について、何か情報はあるか?」
「人の話聞いてな……いのは、まあ、いつものこととして……
ええと、第二王子……って平民の血が入ってる人ですよね?
ほぼ顔が割れてないから、脱獄してからの足取りは判りませんけど……。恋仲って噂のアクディア公女が、城を抜け出してフォーレーン領に入った――って情報くらいしかないですねぇ」
第二王子の話題を急に振られ戸惑うものの、手の中にある情報をヤムはすらすらと並べてみせる。とはいえ、その実『何も判らない』という情報ではあった。
「……ち、やっぱまな板か」
「だからまな板関係ないしッッッ!!!」
ヤムは眉を吊り上げ、ファングに噛みつく。残念ながらその姿も何処か齧歯類のようであり、迫力は微塵もなかったのだけれど。
「ま。それでも、しっかり密偵として腕を上げてるじゃねえか。
助かったぜ、ヤム」
ぽむり。
ヤムの頭にファングの手が乗せられる。
「…………ッ、……。」
威を削がれてしまったのか、彼女は頬をふくらませ、拗ねたようにっぽを向いた。
ファングはといえばそんな相手を気にかけるでもなく、かたりとベッドから窓辺へと歩いていき。何処か、遠くを眺める。
それから。
「ヤム。ひとつ頼みがある」
「……へ?頼み?ファングさまが……!?」
男の口から告がれた意外な言葉に、思わず驚きの声をあげるヤム。
このファングという男、他者に頼みごとなどするような人物ではなかったからだ。少なくとも、己が認めた相手以外には。
「解毒薬を多めに用意してフォーレーンに持ってこい」
「解毒薬……ですか??」
鸚鵡返しに尋ね、不思議そうな顔をする少女。それに首肯すれば、ファングは毒の症状を幾つか挙げていく。
「えーっとその症状ならたぶん、あれでこれでー……。
……わかりました。一週間もあれば準備して、フォルシアの……例の酒場に、持っていけると思います」
「五日でなんとかしろ。急ぎで必要だ」
「~~相変わらず無茶ばっかりぃ……わかりましたよぅ」
諦めたのだろう。肩をすくめ、彼女はかくんと肯く。
「ああ、頼んだぜ。それと」
「……はい?」
まだ何か?と、男を見上げる赤毛の少女。
「世の中にはつるぺたが趣味って野郎もいやがるからな、自信持て」
「~~~~知りませんッッッッッ!!!」
怒鳴り声を上げるヤムに、恐ぇ恐ェと大仰に肩を竦めて。ファングは部屋をあとにした。
やがて、静寂。
少女だけが残された部屋に、はふ、とちいさく息がおちる。
「ファングさまがその趣味じゃないなら……意味ないんですよぉ」
己の胸を両手で抱いて、ヤムは力なく項垂れた。