三、白き神女(23)
兵士に伴われ、ひとりの女性が部屋に入ってくる。
「ああ、よかった……!二人とも無事だったのね!」
夫と息子の無事を確かめ、彼女は大きく息を吐く。白い腕がつよく、愛しい息子を抱きすくめる。
「母、さん……?」
「……ノーラ……?お前、どうしてここに……」
「あなたたちが騎士さまに連行されたって、宿屋の女将さんが教えてくれたのよ。
よかった、間に合って……ほんとうに良かった……!!」
――よかった、と。
靴屋夫人は幾度となく、その言葉を繰り返す。まるでそれしか知らないように。
「なんだ、今度は夫婦仲良く息子の命乞いか?」
顎をしゃくる口髭に、夫人を連れてきた兵士が口篭る。
「そ、それが……」
ちら、と扉の方を見遣る兵士に、口髭は胡乱な顔をした。
かん、かん、かんかんかんかん……ばたんっ!!
「大変失礼いたしました、エレオノーレ様!!!」
部屋を開け放ち開口一番、一際高級そうな甲冑を纏った男が膝を折る。
「~~あっ!?」
思わず、少年は声をあげていた。ほかの騎士より立派な甲冑を着たその男に、見覚えがあったからだ。
無理もない。なにせ、行軍中に自分が突き飛ばしてしまった相手である。
つまり、この男こそ、
「た、……隊長ォ!?」
「どーしたんスか、いきなり!?」
突然傅いた上官に驚き、顔を見合わせる騎士たちを隊長は一喝した。
「貴様ら、この御婦人を何方だと思っている!?」
激昂する隊長に、口髭はへにゃんと太い眉を歪める。
「何方ってそこの靴屋の――」
「こちらは、畏れ多くもブライエル伯爵家の御息女エレオノーレ様にあらせられるぞ!!」
部屋に残響する、怒鳴り声。
騎士たちは青褪め、靴屋主人はぽかりと口を開けたま微動だにせず、少年は目を丸くしている。
そして当の靴屋夫人は、困ったような顔で黙り込んでしまった。
「エレオノーレ……様!?あの失踪されたと噂の……?
し、ししし失礼しましたぁぁぁぁ!!!!」
ずざざざざざざざーっ!
先程までペーターを引き摺り回していた騎士たちが、一斉に頭を伏した。
どの顔も、じっとり冷や汗が滲んでいる。
「……おやめください、騎士さま。
そもそもは息子の不徳のいたすところ、ひいては私どもの監督不行き届きですのよ」
数歩、進み出て。ノーラ――エレオノーレは騎士たちと靴屋父子の間に割って入る。
「息子も反省しておりますわ。
よく言ってきかせますので、どうか、今回はご温情をいただけませんでしょうか?」
ノルン王国式の貴族礼法に則った、上品な所作で頭を垂れる。
その姿は礼儀作法を齧った者が見れば一目瞭然、どう見たって庶民のそれではない。
「お、おおおおやめください!!!」
「そうは参りませんわ。お赦しをいただけるまで、頭を上げることはできません。
これはひとりの母として、当然のことにございます」
泡を吹いて制止する騎士隊長。しかし、エレオノーレは頭を垂らしたまま微動だにしない。
「お赦しだなんて、そんな!子供のしたことですし!!」
「そ、そうっスよねー!」
数刻前の発言を綺麗に反転させ、甲冑たちは口々にそんな言葉を捲くし立てる。
無理もない。
このままでは、首が飛ぶのは己のほうだと心得ているからだ。
「も、もういい!貴様は帰れ靴屋!子供もだ!」
「は、……ははっ!!帰るぞマーティン!」
ペーターに腕を引かれながら。
マーティンは何度も反転する世界が、やがて壊れていくのを確かに感じていた。
それから一週間後。
少年はひとり、村を出た。
靴屋のテーブルには、こんな書き置きが残されていたという。
――『僕は王国騎士になる。村の靴屋なんかじゃ終わらない』