三、白の神女(20)
彼女の言葉が真実なら、男はとんでもない思い違いをしていたことになる。
何もかもが巧くいかなかった原因が……肌身離さず身に着けていたこの剣そのものだったとしたら。
「そんな、……まさか、」
しかし。
そう考えると何もかも説明がついてしまう。
沈みゆく男の表情を色なく見つめていたエルサイスだったが、ふと、ひとつ尋ねる。
「旅の方、お名前は」
「マーティンだ。
~~おのれ、あの行商め、何が……またとない逸品だ!騙しおって……!!」
がっくりと肩を落としたまま、力なく名乗り。
やがて沸々と沸き上がる怒りに、剣をがすんと蹴飛ばした。
「マーティン。……軍神の加護を受けし名ですか。良い名ですね。
それでは、もう、この剣は――貴方には不要なのですね」
「当然だッッッ!!!
こんなもの、目にするも忌々しいわッ!」
虫でも払うようにしっしっと手で払う仕種。そうですか、と短い返事。
マーティンは尚も、何かに取り憑かれたようにぼそぼそと呪いの言葉を吐き出しているが、エルサイスは彼を宥めるでも窘めるでもなく、振り向きもしない。
ゆったりとした現実味のない足取りで、床に転がった剣のもとへ歩いていき――両手でそっと掬い上げた。
「――これも、宿星の悪戯かもしれません」
ふたつの黄金が、閉じる。雪が積もるよう、白い睫毛に覆われる。
細くしなやかな指は、さながら蝋のそれ。つい、と柄から鞘の先へ、つま先が滑っていく。
ふわふわと、白いヒカリがフランベルジュを包む。
(この女……何をするつもりだ?)
魔法――のようなものだろうか。
魔法だの法術だのといった知識を持たないマーティンには、目の前で何が起こっているのか、皆目見当がつかない。
判ることといえば、魔剣となったフランベルジュに『何か』をしているということくらいで。
――囁くような、詠うような、声。
男には聞き覚えのない響きだった。
意味をもたぬ旋律かもしれない。古代語かもしれない。
彼女は両手を放す。
くるくる、くるくる、くるくるくる。
鞘が自ずから抜けていき、赤黒く輝く刀身が露わになる。
くるくる、くる。
床に水平に、浮かんで、ゆるく回転しながら。
しばらく、その音色を聴いていただろうか。
やがて声は止み、
――、ぱりん。
硝子が割れるような音。
次いで――何かが、ほどけた。
落下する音ではない。
剣はまどろむかの如く、ゆっくりと床へ沈んでいった。
鞘が再び剣へと戻り、
くるくると回りしながら、徐々に高度を下げ――
……から、ん。
剣が床に着地したところで、男は我に還った。
「いまのは……??」
「天に在るべきものは天に。地に在るべきものは地に。理を正したのみです。
『呪いを解いた』とお話ししたほうが明快でしょうか――」
エルサイスはフランベルジュを再び両手で拾い上げると、マーティンの前に差し出す。
「ひ……ひぃッ!」
「大丈夫。この剣はもう、嘆いてはいません。ただのあなたの剣です」
独特の言い回しが、鼻につく――そう男は思った。
気取っているわけではない。きっと、彼女は元々そうなのだ。
「――ふん、」
片手でひょいと、彼女の手から剣を引っ手繰る。
「解呪の代金なら払えぬぞ。第一、頼んだ覚えもないがな」
「はい、頂くつもりもありませんし、頼まれた覚えもありません――」
ふわり。首を傾ける白い女性。
白い髪がさあっと肩へおちる様子は、やはりどこかリアリティに欠けていた。
(……嫌みも通じぬか)
すいと視線を外し、マーティンはひとつ舌打ちをする。
それから、最後の抵抗だろうか――己の頬をぐいと抓ってみた。
(――。痛い)
いまさら、夢でしたというオチは与えて貰えないらしい。
かしゃ、ん。
恐る恐る、柄を握ってみる。
それは以前と同じように、吸いつくよう掌に馴染んだ。
「……私の……剣――」
身体が軋むことなど、どうでもよくなっていた。
マーティンはベッドから飛び起き、鞘を抜き――両手で確りと柄を握り締め、フランベルジュを構えてみた。
波打つ特徴的な刀身が、窓から入る木漏れ日に反射し妖しく煌めく。
うぉんっっっ!!!!
ひとつ、風を切る。以前のような魔力の波動らしきものは感じない。
「これが……私の剣か。ふむ、悪くない」
満足げにひとつ頷く。
と、
……どさ、り。
「つ、ッ……!」
全身から奔る痛みに、その痩躯は床へと崩れ落ちた。