一、戦乱の予感(2)
ウェルティクスとイルクは、そのまま門の前で待たされるかたちとなる。
二人は顔を見合わせ、どうしたものかと首を傾げた。
「……おや?あれは」
先程の兵士が一人の中年兵士に従えられ、慌しく戻ってくる。
胸の勲章から、中年の兵士は隊長クラスであることが伺えた。
「ふむ?あの者たちの上官……のようだな。
何やら騒々しいが……はて」
話の内容までは聞き取れないが、兵士たちは揉めているようだ。
隊長らしき人物は、若き王子の姿を目にするや否や、
――ざっっっ!!!
直ぐさまその場に膝を沈め、レイピアを返還した。
「ウェルティクス様、無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます!
部下が大変失礼な真似を……!!」
「いえ、それは――」
「若輩兵とはいえ、臣下にあるまじき行為!!!
まったく――」
耳が痛くなる程の大声で捲くし立て、ばっと立ち上がる隊長。
がしっ!
部下の頭を捕まえ、耳元で怒鳴りつけた。
「このッ……~~大馬鹿者がッッッ!!!!」
主君の顔も覚えておらぬのか!?門番として恥を知れッ!!!」
傍でそれを聞いているウェルティクスたちも、思わず耳を塞ぐ。
ぽかんとしている部下に隊長の憤りは止むことなく、今にも殴りかからんばかりの勢いだ。
そこへ、
「彼も門番としての職務を果たそうとしただけでしょう。
他意はないのですから、どうかその辺りで赦してやっては頂けませんか」
やんわりと諫めるウェルティクス。
一先ず拳は収めたものの、隊長は不満そうに口を尖らせる。
「し、しかし……、」
「職務に誠実なのは悪いことではないでしょう。
――貴方がそうであったように」
すいと見上げてくる藍玉の双眸に、
今度こそ、
隊長は――言葉を奪われた。
目を見開き、何か言いたげに口を開くも、また噤んで。
それから、彼は再び恭しく敬礼の所作をとった。
「……慈悲深きお言葉、感謝いたします。
ささ、どうぞこちらへ。レイチェル様の許までご案内いたします」
「しかし、警備隊長にそのような……」
「いえ。部下の非礼がこの様なことで購えるとは思いませんが――、
どうかお供をお許しください」
口元の皺が、笑みのかたちにくしゃりと歪む。
「…………、判りました。お願いします」
「はっ。――喜んで」
心底嬉しそうに、今度は目元まで皺を寄せて。
隊長は二人に背を向ける。
兵士たちに一言、二言指示を投げると、ウェルティクスたちを先導し城内へ進んでいった。
城内を巡回する兵士たちは、主と上官の姿に壁際へと寄り道を開ける。
どことなく物々しい様子に、ウェルティクスは声を落とし、傍らの隊長へ尋ねた。
「随分と見回りを増やしているようですが……」
「はい。恥ずかしながら先日、賊の侵入を許してしまいました。
現在は二度とそのようなことがなきよう、警備を強化しております。」
「賊?……そうですか」
そういうことならば、全て合点がいく。
どんよりと重い城内の空気。
不可解なまでに厳重な門の警備。
何者かが、この城に忍び込んだ。では、一体誰が――?
「ウェル殿、」
「……話は後です。行きましょう」
この王宮近辺の警備は、元来手薄とは言い難い。
そんな中まんまと忍び込んだとあれば、何者であれ只者ではないだろう。
思案を巡らせていたウェルティクスの視界に、自室の扉が入る。そこでふと顔を上げ、
「母上へご挨拶をする前に、自室へ寄っても宜しいでしょうか?
時間はとらせませんので」
隊長を呼び止め、片目を瞑ってみせる。
「はっ。では、こちらでお待ちしております」
ウェルティクスの部屋へ到着すると、隊長は扉へ吸い付くように仁王立ちする。
壁を背にし、周囲を見回してから敬礼の所作。
「いえ。……貴方も中へ」
「はっ――って、私もですか!?」
かしゃん。
扉を開け放つと、若き王子は彼を室内へ招き入れた。
「どうぞ」
――ひとつ、目配せを添えて。
「殿下、……はっ、失礼致します」
目配せに何かを感じ取り、隊長は恐縮しながらも扉を潜る。
イルクがその後に続き、扉を閉めた。
ウェルティクスと目が合うと、彼はそこで足を止め、扉の前に停止する。
身体が大きいため、イルクは少し屈んで外の気配を伺う。
「……うむ」
不穏な気配がないことを確かめると、イルクは頷き、主へと視線を送った。
それを合図のように、ウェルティクスは隊長を奥へと手招く。
「ふぅ。まさか、このような再会になるとは思いませんでしたね」
「でん……か?」
――まさか、と。
声なき隊長の唇が動いた。
がくがくと全身が震えているのが、壁際にいるイルクにも伝わる。
「警備隊長――ですか。
ふふ、出世をしましたね、シャガル」
「な――、ッ!!?」
二度目だった。
シャガルと呼ばれた男は、またしも、言葉を失う。
彼はぱくぱくと魚のように口を動かしていたが、大きく深呼吸すると、
絨毯に擦りつく勢いで、跪いた。
ぱたり。
雫がいくつか、絨毯を濡らす。
「ウェルティクス殿下……!
……私などのことを……覚えておいでだったのですか」
返事はない。否、主の穏やかな笑みこそが何よりの答えとなるだろう。
「ウェル殿、お知り合いなのか?」
「ええ。私と兄のティフォンが、幼い頃大変お世話になった方です」
「~~と、とんでもないっ!」
シャガルは大慌てで、両手と首を激しく振った。
きょとんとするイルク、くすくすと笑い出すウェルティクス。
何処か極まり悪そうに視線を彷徨わせていたシャガルは、天井を見上げ、
「もう、あれから九年も経つのですね――」
懐かしそうに目尻に皺をつくって、やがて、語りだした。
「もともと平民の出で何の後ろ盾もない私は、下級兵の末席にありつくのが精々。
身を立てる為には、ただただ必死で努力するしかありませんでした。
来る日も来る日も槍を振るっていた私に……
……お声を掛けてくださったのが、ウェルティクス様だったのです」
細い灰色の瞳と、藍の色彩が重なる。ウェルティクスはちいさく頷いた。
――「貴方は努力家なのですね。私も見習わなくては」
利発な瞳が真っ直ぐと自分を見据え、
紡がれた言葉が昨日の事のように胸に蘇る。
――「努力する貴方の姿を、神はきっと見ておられますよ」
幼いその姿は、若き兵士の目には目が眩むほど輝かしく。
知らず、男の頬を涙が伝っていた。
「あの日のウェルティクス様のお言葉が……
今日まで、私をずっと支えてくださいました」
シャガルは手を胸に当て、かみしめるように呟く。
胸に込みあげた温かな記憶が、笑顔となってこぼれおちた。
「いえ、貴方が神の御心に忠実だったからですよ」
「そうだとしても、です。
あの日の出来事がなかったら、あの日、殿下にお会いしていなかったら……
私は出世できぬを身分の所為にして逃げる、腐った男になっていたに違いありません」
「……シャガル」
「私はそこまで強い男ではありません。心の何処かでは、ずっと恐れていたのです。
貧しい村に生まれた私が身を立てることなど、所詮は夢物語なのではないかと」
男の視線は、床へと落ちる。
「殿下のお言葉が――私の弱さと恐れを払い去ってくださったのです」
再び面を上げた男の面差しは、晴れやかだった。
「おや、随分と持ち上げられたものですね」
茶化すように肩を竦めてみせるウェルティクス。
誰ともなく表情を緩ませ、場を和やかな空気が包んでいた。
「――ティフォン様にお会いしたのは、そのあくる日でしたか」
「そう……でしたね」
ティフォンの名が話題に及ぶと、ウェルティクスは苦笑を浮かべる。
つられ、はははと苦笑するシャガル。
そんな二人を交互に眺め、イルクは怪訝そうに眉を寄せるのだった。