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比翼の風  作者: 鷹峰悠月&若臣シュウ
二、足跡
19/26

三、白の神女(19)

 ボロボロになりながら、鬱蒼とした森を往く男がひとり。

 木々の切れ間から覗く濃紺だけが、更ける夜を伝えていた。

「……ッは、はぁ……は、」

 ど、と膝が落ちる音。服のあちこちはほつれ、褐色の染みができている。

 歩いた足跡に沿って、赤黒い雫が糸のように道を示していた。

 だむっ!

 男は歯を軋ませ、大地に拳を突き立てる。

「――くそッ!!!

 それもこれもすべて、あの……」


 ――『あの日』から、歯車が狂い始めた。




 あの日、男はノルン南東部――ガンドロフ伯爵領にいた。

 男の記憶に、豊穣祭の賑わいが蘇る。

 不穏な噂を受け、男は用心棒の一員として伯爵に雇われた。

 闇に潜んだ暗殺者を発見し、何事もなく任務は遂行され、男は伯爵の執り成しで身を立てる――はずだった。

 手に吸いつくよう馴染む剣、それも希少な魔法剣を新調し、

 安物のなまくら剣とお別れし、

 万全の状態で意気揚々と任務へ挑み――

 しかし、男は暗殺者相手に不覚をとり、返り討ちに遭ってしまう。




 ……ずきり。

 あの日、暗殺者の術士から受けた傷が。痛みを訴えた。


「あの、パニッシャーが……あの忌々しい小娘……

 ……セリオ=ド=ヴァレフォールめが……ッ!!!」

 ――そうだ。

 あれからというもの、散々だ。

 任務にはしくじり、出世話は反故にされ、路銀は枯渇し、こうして宛てもなく森を彷徨っている。

「この私が、このような目に遭うのも、すべて……すべてあの小娘の――ッ、」

 怒りだけが、男の足を前へ――生へと進ませていた。

 ざくざくざくざく、

「ん?」

 草を切る足音が、やけに速く進んでいく。

「なん、だ……?」

 耳をそばだて、木の陰に潜んでいると、幾つか話し声が届いた。

神女みこ様をお守りするんだ……!」

「ここは我々が命に代えても食い止めます。

 お逃げください、神女様!」

 ざくざくと草を蹴る音に次いで、遠く金属が弾ける音。

「神女?いったい――

 ぐあ……ッ!!!」

 鮮血が飛び散り、染みの色を更に鮮やかにする。

 男が振り向くと、そこには野犬の群れが眼光を光らせていた。

「ちっ、血のにおいを感じ取ったか……」

 剣を両手で握り、構えを正そうとする。しかし、

「――、ッく、」

 かたかたかた、から、ん。

 指先に力が入らない。

 波打った刀身が特徴的な剣――フランベルジュが一振り、木の根元を転がった。

 しまった、と男が感じたときには、もう遅い。

 野犬の咆哮。

 全身を縛る激痛。

 男の意識が宵闇の森に溶ける、

 ――刹那、

 その視界に映ったのは――圧倒的な、白、だった。




 白、白、――白。

 目覚めた男の視界に、限りない白がひろがる。

 気を失ったその瞬間と、同じように。

「……、ぐ」

 上半身を起こそうとして、眩暈に頭をおさえる。

「まだ、あまり動かないほうがいい。

 あれだけ血を流していたのですから」

(…………女の、声?)

 ぼやけていた視界が徐々にクリアになっていく。

 そこではじめて、男はその白が女性の形をしていることに気づいた。

 ヒカリを織り込んだような純白のローブは、シスターの法衣によく似ている。

「死後の国……ではなさそうだな」

 肩越しに見る女性の横顔。

 雪を梳いたような白い髪は、時折窓へ吹き込む風にふわり揺らめく。陶器のような白皙に両の瞳は神秘的な黄金の色。

(あの白い髪といい、先程聞こえた『神女様』という声といい……

 この女、もしや――)

「薬湯を。」

「あ、……ああ、」

 反射的に、差し出された杯を受け取る。

 ふわり、湯気の香気が心地好い。

 やや警戒するが、彼女から敵意らしきものは感じない。

 それに、川も池もない獣道を彷徨い続けて喉はカラカラだった。

 こくん。熱い液体を体内へ流し込む。

「――ここは?貴様は何者だ?」

 明らかに高貴な身なりの白い女性を睨め上げ、無遠慮に尋ねる。

「ここはただの山小屋。昔は樵が住んでいたのでしょう。

 そして、私は――世界を『視る』者」

 気分を害した様子もなく、女性は淡々と返す。

「では、貴様が『神女』エルサイスか……はッ、」

 予測は、確信に変わった。

 かつての聖戦で英雄神を助けた白き神の末裔は、代々白い髪を持つという。

 神の息女むすめ――『神女』エルサイス本人に、間違いないだろう。

「……何故、この私を助けた?」

「――貴方が、生きようとしていたから」

 声は、至極当然のことのように告げる。

「生きようと……していた、か。ふん、そうかもしれぬ」

 確かに、ここで果ててたまるものかと思った。

 ――任務で一戦交えた黒衣の娘、自分を追い返した雇い主、かつて自分を嗤った者たちの顔、顔、顔。

 ――あの者どもを、見返すまでは死ねないと。そう思った。

(神の救いが降りるような動機ではないが――な)

 ぎり、と歯を軋ませる男を、黄金色の双眸は静かに見下ろすのみ。

「神が人を罰することはありません。どんな思想を持ち、どんな行いをしようと。

 罰を与えるのは常に人でしょう――」

「……………………」

 さらり、白糸がこぼれる。男は憮然とした面持ちのまま彼女を睨んでいる。

「かもしれぬ、な。

 神とやらは罰も与えなければ救いもしないわけだ」

 吐き捨てる。

 ――神官が見れば激昂するであろうな、などと頭の片隅で思いながら。

 エルサイスは男の言い草にやはり怒るでも嘆くでもなく、薬湯の鍋をくるくるとかき回している。

 それから、ふと視線は立て掛けられていた剣へと向けられた。

「変わった剣を、持っているのですね。魔剣など」

「……商人から買い上げた。

 手柄を立てるはずだったからな、全財産を費やしてしまったが」

 思い出して苛立ったのだろう、神経質にかたかたと指でテーブルを鳴らしている。

「まさに、人を殺める為にあるような剣……

 こんなに強い瘴気――それに邪気を纏った剣は、久々に見た気がします」

「瘴気だと……?」

 魔法を帯びた剣、ということは聞き及んでいる。

 ――あの小娘が用いていた邪法のようなものか?

「かつての持ち主は、余程無念だったのでしょう。

 世を去る際に禁呪を用い、己が恨みを魔力に変え剣に封じ込めた――」

 かたん。

「な、な、な、ななななな」

 かた、かた、かたかたかたかたた、

「気というのは同質のものを呼び寄せます。

 歓喜は歓喜を集め、憤怒は憤怒を集め、怨嗟は――怨嗟を集める。

 数多の無念が、この剣に渦巻き――、……?」

 ふと、見遣る。

 いつの間にか男は布団を頭まで被り、かたかたと震えていた。

 怪談が苦手なようである。

「恨みを晴らすには適した武器なのでしょう。

 しかしながら、人を斬らねば己が身が瘴気に満たされていく」

「そ、……それで、どうなると、いうのだね」

 男の声は裏返っていた。エルサイスは暖炉に薪をくべると、

「――負の感情を引き寄せるようになります。

 有態に言えば、『不幸になる』と申しましょうか」

「そんなモノただの呪いではないかッッッッ!!!!!」

 がばっっっ!!!!

 思わず起き上がった男の絶叫が、狭い小屋に響く。

「ええ、そうとも呼びます」

「な……なん、だと……」

 けろりとした女性とは対照的に、男の顔色はどんどん青ざめていく。

「――と、いうのか……?

 私は……全財産を賭して、呪いの剣を買ったと……」

 愕然とした。次に彼を襲ったのは、絶望だった。

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