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比翼の風  作者: 鷹峰悠月&若臣シュウ
二、足跡
15/26

二、足跡(15)

 闇は既に西の地平線へと潜り、東からは光が溢れ出す。

 建ち並ぶ水車小屋が、朱の色彩に滲む。そんな、静かな朝だった。

 村一帯を見渡せる小高い丘の上に、ファングは立っていた。

「――ち」

 忌々しく吐き捨て、髪を掻き毟る。

 ――苛々する。

 鏡に映る面差しが、記憶の中にあるそれと繋がったからだ。

 鏡の向こうからこちらを見ていた男は――少年の頃、憎悪と共に見上げた顔に、余りに似ていたから。

「くそ……ッ」

 だむっっっ!!!

 行き場のない苛立ちに、男は傍にあった老木を蹴飛ばしていた。

 何度振り払っても、忌々しい記憶はねっとりと絡みつき、男を離そうとはしない。

 逃げても逃げても纏わりつく父親の影から――それでも男は逃げ続けていた。

 ところが、

「――ここにいたのですね」

「……、あ?」

 刹那。

 世界が、ひらける。

 あんなに執拗に纏わりついていた、狂気じみた混沌が。

 金糸のヒカリに溶け――いともあっさりと霧散した。

 澄んだ声、たったひとつで。

 ファングはそのまま、焦点の定まらない瞳で声の主を眺めた。

「……なんで、」

 男の戸惑った様子に気づいていないのか、或いは意図的に気付かぬふりをしてか。

 声の主――ウェルティクスは、つかつかとファングの傍まで歩み寄り、こう言った。

「手を。出してください」

「な……?」

 ――『手』。何のことか判らず首を傾げつつも、右手を相手に差し出す。

 男の指には、赤いすじがひとつ。

「硝子を割ったときに切ったのでしょう。

 小さな傷でも、そのままにしておくと化膿することがありますから」

 じ、と。見つめる紺碧の眼差しはとても優しくて、何故か懐かしい。


 ――「藁を刈ったときに切ったのね。

    傷をそのままにしてはダメって、いつも言ってるでしょう?」


 記憶が、勝手に引き出しを開ける。あの頃と、現在の状況が重なったからだ。

 ファングはいつになく慌てて、ばっと手を引っ込めた。

「な――、

 ……こんくらい、舐めときゃ治る」


 ――「な――こんくらい舐めときゃ治る」


 はた、と。

 同じ台詞を吐いた自分に気付き、心底頭を抱える。

「なりません」

 ぴしゃり。

 言い放つと、ウェルティクスの細い指は薬草へと伸び、それを彼の傷口へと摺り込んだ。

「……ッ!?」

 ――何しやがる、と、言おうとして。

「こうすれば直ぐに、快くなりますから」

 ふわり、咲いた穏やかな笑顔に――男は完全に出鼻を挫かれた格好となる。

 抵抗を諦めたファングは、慣れた手つきで傷の手当てをする金髪の若者を、ただ見ているしかできなかった。 


 ――『綺麗な色の髪ですね』


 穏やかな声。しかし、これは。

(――違う、リフェナの声じゃ……ねえ)

 はっとして、顔を上げる。視線が、かち合う。

「おい。今……なんつった」

「え、私ですか??」

「他に誰がいんだよ」

 記憶の中に迷い込んでしまったような、錯覚。戸惑いから、ファングの語気が荒くなる。

 怪訝な顔をしながらも、ウェルティクスは先程の言葉を、

「綺麗な色の髪ですね」

 もう一度、ファングへ投げかけた。

「……綺麗じゃねぇよ。俺は――嫌いだ」

(――ガキの頃と同じ台詞しか出てきやしねぇのかよ。くそ、)

 ふいと拗ねたように、顔を逸らす。

 見ていられなくなったのだ。その金髪と碧眼が、『彼女』を思い起こさせるから。

 記憶から逃れようとするファング。

 しかし、穏やかな記憶に惹きつけられたまま、逃れることができずにいた。

「そうですか。でも、私は好きですよ。

 ――果てしなくひろがる、草原の色」

「――やめろ、」

 ……、ぱすん。

 耐えきれず、手を振り払う。

「え、あの……?」

「やめろ」

 声が震えている。

 ファングの只ならぬ様子に、ウェルティクスはその顔を覗き込もうとして、

 ど、っ。

 突き飛ばされ、細身の体躯が宙に浮く。

「――ッ、は、はぁ……ッ」

「……ファング?」

「――、な……俺を、見るな――ッ」

 背中に衝撃を感じ、同時に男の顔を見上げて、

 ――そこに、

 数滴、雨もないのに滴がおちるのを見た。


 さく。

 さく、さく、さく。


 顔の前におちた金髪をひと束、後ろへ払いのけて。

 臆すことなく、ウェルティクスはファングの腕を掴み、

 ……きゅ。

 傷口に、薬草と布を巻きつけた。

「……………………」

「傷が塞がるまで、外しては駄目ですよ。

 ああそれと、割った硝子はイルクが修復してくれています」

 手短に告げて、ふわり背を向ける。金のヒカリが朝陽を受け――散る。

「……おい?」

「村の周囲を見回ってきます。昨夜は嵐で出歩けませんでしたから」

 立ち止まることもなく歩いていくウェルティクスの背中を、暫くぼんやりと見ていたファングだったが、

「ち、」

 ちいさく舌を打って、……やがて、その後に続いた。

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