二、足跡(14)
東の地平線すれすれに薄らと紫の色彩が混じる頃合い。
陽が昇るまではまだ僅かに時間があり、やがて訪れる一日のはじまりを待ち望む静寂に村はまどろむ。
そんな静寂は、
――刹那、音を立ててかち割られた。
ばりんっっっ!!!
聞こえた音に目を覚まし、咄嗟、壁に立てかけていた愛剣に手を伸ばす。
――敵か。
周囲を警戒しつつ、物音の方角へ駆け出す細身の若者。
「――スペリオル?」
後ろから聞こえたイルクの言葉。成程、確かに彼の姿がない。
振り向かず頷く。
(ファング……?まさか、)
何者かに襲撃を受けた、またはファングがそこへ討って出たしたとして、彼ほどの実力者ならば容易に倒されることはないだろう。
しかし。
……たん、たん、たん、た、た、
そのまま廊下を駆け抜け井戸のある裏口方面へ急ぎ――
そこで、ウェルティクスは足を止めた。
「…………あ、」
何が起こったのか理解できず、茫然と立ちすくむ。
敵の姿はない。あるのは男の後ろ姿と、
そして、
――床に散らばる硝子の破片。
壁には鏡があったはずだが、金属製の枠だけがそこに佇んでいる。
……きらきら、きらきら、
足元にひろがるそれは、放射線状にこちらへひろがる。
……きらきら、きらきら。
雪のようだ、と。ぼんやりそんなことを考えていると、
「スペリオル……」
その人物を呼ぶイルクの声に、ウェルティクスの思考は中断された。
散らばる破片の中央に、ファングの姿があった。
「……、ファング、」
長い髪で顔が隠れ、表情は伺えない。
ただ――その佇まいは、ウェルティクスの目にひどく痛々しいものに映った。
「スペリオル……またやってしまったか」
「――、ち、」
頭を抱えるイルクの横を、舌打ちがすり抜けていく。
そのまま、ファングはふらりと姿を消してしまった。
「……すまぬ、ウェル殿」
見上げていたイルクの姿が、ふいに低くなる。
彼の指は、割れた硝子の破片をひとつひとつ拾い集めていた。
同じようにしゃがみ、破片を集めるのを手伝うウェルティクス。
――暫しの沈黙。やがて、イルクはぽつりと呟いた。
「鏡を見ると……な。昔から、ああなのだ」
どう話したものか戸惑いながら、イルクは破片を布袋へ流し込む。
「鏡……?」
「うむ。同じ理由で、湖や河川にも寄りつかぬ」
「…………そう、ですか」
やはりこちらもどう答えたものか、短く切り返すのが精一杯で。
「村長殿には俺から謝っておこう。
料理用の窯を借りれば、この程度なら修復できるはずだ」
「修理??この鏡を……です?」
イルクは頷き、壁から枠を取り外すと高く掲げてみる。
「では――、
そちらは貴方にお任せします」
言って、ウェルティクスはすくと立ち上がる。
「スペリオルのところか?」
「ええ。……怪我を――していました」
――恐らく硝子を割った際に、切ったのでしょう、と。
腰に提げた布袋に幾らかの薬草が入っているのを確かめ、細身のシルエットがひとつ、裏口をくぐっていった。