二、足跡(10)
素手で兵士たちを薙ぎ倒すその様子を見守っていたイルクは、ぽつりと声を漏らした。
「……驚いた」
「イルク?」
首を傾げ、巨漢の顔を見上げる碧玉の双眸。
驚いた、の意味を測りかねたからだ。
田舎兵士の相手など、ファングにとっては赤子の手を捻るようなもの。
いや――とイルクは視線を彷徨わせ、そして頭をがしがしと掻いた。
「スペリオルが戦いにおいて、他者の事情を考慮するなど……
少なくとも俺は、そんなあの方を見たことがないのでな」
『刀牙』の異名を持つ男――ファング。
彼にとって、戦うことと生きることは同義。
まさにその身は血に飢えた刃物そのものなのだろう。
――それが、いま。
「剣を抜かずに戦っておられるのは、拳が先に出たわけでも退屈凌ぎのハンデでもない。
……我々の立場と事情を考慮してのこと」
「……………………」
つい、と。ウェルティクスもまた神妙な面持ちで乱闘へ視線を戻した。
確かに、ここで兵士たちを殺してしまえば事態は更にややこしくなるだろう。
――、しかし。
「……これで完全に巻き込まれてしまったな。
尤も、ウェル殿に見て見ぬ振りが出来るとは思えぬが――」
「…………。やれやれ、貴方も随分と言うようになりましたね」
その頃。
兵士の抵抗も漸く収まったようだった。
地面へ叩きつけられた兵士は、這いずってファングから逃れようとする。
遠くなっていく罵声に、ファングはつまらなさそうに溜息をついた。
「雑魚ってのは、よく吠えんな」
そこに、先ほど兵士たちから絡まれていた男性が近づいてきた。
あちこち殴られた跡が痛々しい。
「あ、有難うございます!ああ、なんとお礼を言っていいやら……
連中を追い払っていただき……貴方がたは、村をお救いくださった恩人ですっ!」
神々しいものを見るように瞳を輝かせ、何度も頭を下げる男性。
『村を』というくだりといい身なりといい、恐らく彼が村長だろう。
「……はッ。俺は宿に泊まれない腹癒せに喧嘩売っただけだ。
それに礼はいらねぇぜ、報復されんのはアンタら――」
ふわり。
そこで――ファングはそのまま停止した。
否、ファングだけではない。何故かイルクまで完全にフリーズしてしまっている。
「失礼、連れがご迷惑をおかけしました。……貴方がこの村の?」
「はい……連中の横暴ぶりには困り果てていたものです。
私も助かりましたし、幾分、胸がすく思いでした。迷惑だなんてとんでもない」
痣だらけの村長と金髪の若者、二人の間にだけ時間が流れていた。
「ああ、そうだ!宿をお探しでしたね?
宜しければ、私の家にいらしてください。何もありませんが雨露くらいは凌げます」
ささやかですがお礼です――と、再び深く首を垂れる村長。
恐らく、それだけではないのであろうことを理解し、ウェルティクスは申し出を受け容れた。
「助かります。雨も降りそうですし、困っておりましたので。
……さあ、ふたりとも。参りましょう」
振り向いて、いたく爽やかに微笑む。
「…………。う、うむ」
「……………………」
その一声でフリーズ状態は解けたものの。
二人は相変わらず油の切れたブリキのように鈍い動作で、ぎし、ぎし、と後ろを歩く。
そこには、連れと呼ぶにはおよそ似つかわしくない距離が存在していた。
(なン、だ……?)
土煙で霞む後ろ姿から目が離せないまま、刀牙と呼ばれた男は己の手首を掴む。
目の前で起きていることが信じられなかったからだ。
――手が、小刻みに震えていた。
否、手だけではない。全身が、かたかたと震えていた。
ほんの一瞬感じた、今まで触れたどの殺気とも異なる。
「……何者なんだ、アレは」
「う、うむ……俺もあの笑顔にだけは逆らえぬ。
しかし、まさかスペリオルまで黙らせるとは」
イルクの返事が飛んできてはじめて、思わず声に出していたと気付く。
「――、ち」
続いた言葉になんともいえぬ不快感を覚え、舌打ちひとつ。
「む?どうされた??」
「……知るか」
ふいと極まり悪そうに顔を背け、そのままファングは不自然な足取りを早めた。