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第92話 三叉戟と六弦の使い手 17

 6月2日。10:50――加賀美洋菓子店前。


 怖そうな代表の人が折れてくれたおかげで、あかくんは無事、今日お休みを貰えた。

 待ち合わせは十一時。うちの店の前。なぜか協会支部の方から歩いて来たいつものロングコート姿に、思い切り手を振ってあげる。


「赤くーん!」


 そんなことしなくても赤くんはもうこっちを見つけていたっぽいんだけど、ふにゃりと笑って、軽く片手を上げてくれた。


 うん、可愛いな。

 あれで年下だと思うと、何てことない仕草が全部可愛く見えるから不思議だ。


 商店街は人で溢れていたけど、背の高い赤くんはとても目立つ。


「まどかさん、お待たせっす」

「まだ約束の時間じゃないよ? 赤くん、お腹すいてない? 豆腐屋のおじさんの豆乳ドーナツが出来上がる時間だから行ってみる?」

「はい、まどかさん」


 一昨日はしばらくベッドの上で膝を抱えて項垂れてたから、三ヶ月連続潜行がよっぽど嫌だったんだろうけど、今日はいつもの赤くんだ。


「赤くん、明日から三ヶ月毎日潜るんでしょう? 槍も取り上げられちゃったし、大丈夫なの?」


 いつも毎月来てくれる赤くんが、しばらく顔を見せないってなんだか変な感じ。


「大丈夫っすよ。予備の槍、何本かあるっす。まあ、あれ気に入ってるから早く返してほしいっすけど……」


 寂しそう。でも代表の人が持って行っちゃったし、なんだか逆らえない迫力あったし。


 使い慣れた武器を持たずに連戦って、少しだけ心配だな。


 そんな感情が顔に出たらしく、赤くんは無理矢理笑顔を作る。

 そして、人混みの中、はぐれないようにさりげなく手を繋いでくれる。優しい子だよね、赤くんって。


 結局、なんで赤くんと屠殺天使が揉めたのか、誰も教えてくれなかった。

 赤くんのチームメイトの男の人には「近いうちに赤ちゃんが説明すると思うよー」とはぐらかされたし。


「まどかさん、後で大事な話があるっす」

「今でもいいけど?」


 見上げた横顔。

 結わえられた癖毛の陰から覗く耳が少し赤い。何だろう。


 あ、私も大事なこと思い出した。

 ついでだ、言っちゃえ。


「ね、赤くん。前にお父さんが慰安旅行で赤くんのこと見かけたんだって」

「え、そうなんすか? 声掛けてくれれば良かったのに」


 唐突過ぎる話に、きょとんとした顔も良い。


「うん、女の人二人と一緒だったから話し掛けづらかったみたい。……その人って、どっちか、赤くんの彼女……」

「違うっす! それうちの居候っす!」


 被せ気味に否定して来た。

 って、居候って何?


「赤くん、女の人と同棲し……」

「違うっす! うち、他にも筋肉の団体が住んでるっす! 俺に筋トレ強要して来るマッチョがたくさんいるっす! だから好きで鍛えてるわけじゃないっす!」


 赤くんの家ってどうなってるの。シェアハウス?

 っていうか、この逞しいボディは赤くんの趣味で作られてるわけじゃなかったんだ。ちょっと安心。


 どんどん赤くんの足が大股になる。歩くの早い。


「色っぽい大人の女性と、ボーイッシュな感じの女の子は、じゃあ彼女じゃ……」

「その二人は違うっすよ! 本当に!」


 強く否定して来る。

 じゃあ。彼女、いない?


「ねえ、赤く……」

「赤、見ーつけたっ! 会いたかったよ!」


 話しかけようとした途端、いきなり真後ろから女の子の声がした。

 そして。

 するりと、とても自然に赤くんの空いている方の腕に手を絡ませた。


 クロップドトップスからお臍を出した、髪の長い、猫みたいな女の子が満面の笑みで赤くんの腕にぶら下がる。

 聞いてた女の子とは特徴が一致しない。


「……なんでここにいるんすか」

「あんたが女心理解してないから来てやったんだよ。まず指輪買いに行こ」


 指輪。


「……指輪、っすか?」

「ほら、やっぱり分かってないじゃん。来て正解だったでしょ、ね、くろ


 後ろをちらりと振り返りながら、同意を求めた先にも、別のロングスカートの女の子。


きん、おまえのタイミングが最悪だということは私にもわかるぞ」

「……そう思うなら、金さんを止めてほしかったっす」


 赤くんの声色が、私の知ってる赤くんとは少し違う。

 昨日の代表の人と話してる時に近い。何て言うか、家族と一緒にいる時みたいな雰囲気。


「赤くん、もしかしてこちらが赤くんの……」

「絶対に違うっす!」


 再び被せて来た。


「じゃあ後ろの……」

「それも違うっす! この人達はチームのメンバーっす! 俺が好きなのはまどかさんっす!」


 はい? 


     ◇


 6月2日。10:59――とうふのいたがき前。


 祭りに沸く商店街に響き渡る美声に、久保田菜穂は思わず振り返る。

 聞き覚えのあり過ぎる、よく通る声。赤槍せきそうだ。


 なぜSS(ダブル)達は、素顔の時にわざわざ目立ちに行くのか。


 人混みの中、頭一つ抜けている長身は思ったよりも近くにいた。


「違うっす!」


 連れは久保田の幼馴染。無事、祭りデートを開始していたようだ。

 また何か色気のない会話をしているのだろう。

 そんなことを思いながら、豆乳ドーナツを頬張った。


「赤、見ーつけたっ!」


 おい。

 おいおい、何だあれ。絶対あれ、金棍きんこんだろ。

 久保田は口からドーナツを吹き出しそうになり、必死に堪えて前屈みに震える。耐えた結果、「ぐぼふぉっ」と乙女にあるまじき音が出た。


「菜穂ちゃん、大丈夫かい!?」

「だ……大丈夫」


 豆腐屋の店主が慌てて飛び出して来て、背中をさすってくれる。


 なんでこんな小さな町の祭りにSS(ダブル)が二人も揃うのか。


 呼吸を整えつつ顔を上げると、赤槍と金棍の背後にもう一人。


「……ぶぼふぉっ!」

「菜穂ちゃん菜穂ちゃん! お水飲んで!」


 嘘だろう。あれ、黒太刀くろたちじゃないか。


「な……なんでこんなとこに……」


 田舎の祭りに、SS(ダブル)が三人。


 盛大にせる久保田だったが、三人の会話はしっかりと耳に届く。


「あんたが女心理解してないから来てやったんだよ。まず指輪買いに行こ」


 なるほど、赤槍が指輪も準備せずに求婚しようとしていると聞きつけ、咎めに来たのか。

 だが言い方。悪意がある。幼馴染に誤解させようという意図しか感じられない。


 金棍は悪戯好きと聞いていたが、噂より遥かに悪質だ。


「俺が好きなのはまどかさんっす!」


 そして赤槍の声は、本当によく通る。


 豆腐屋店主は指から力が抜けたらしく、手にしていた水の入ったコップを落とした。

 道行く人々が思わず、振り返る。


 幼馴染は混乱しているらしく、完全に固まっている。


 立ち止まった四人を、通行人が遠巻きに見守る中、赤槍がその美声を響かせ頭を下げた。


「俺と付き合ってください!」


 幼馴染はどう反応するのだろう。さすがにこれは、ケーキのことでいっぱいのあの脳みそにも届いただろう。


 久保田が固唾を呑んで見守る中、最初に動いたのは黒太刀だった。


 そっと赤槍の肩を叩き、どこからともなく小箱を取り出した。


「差し出がましいかもしれないが、これを」

「……なんすか、これ」


 箱の大きさからおおよその予測はついているだろう赤槍が、敢えて尋ねた。


「赤色の魔力結晶で作った指輪だ、サイズの自動調整機能は付けてある。加工費用は結婚祝い代わりに無料で良い」


 普通は宝石の付いた指輪を用意するものではないのか。何のモンスターからドロップした魔力結晶だ。

 久保田は、軽く咳き込みながら心の中で呟いた。


 黒太刀の言葉に、赤槍は少年のように頰を染め、大きなその手で自らの顔を覆う。


「……なんでいきなり結婚……俺、そこまではまだ考えてないっす……」


 そこまで考えてくれよ、と久保田は思う。

 既に幼馴染は、何年も前からそういうことを考える年齢に達している。

 そして同年代のはずの赤槍が、何故それを意識していないのか。


 これだからダンジョンと【居室】の往復で常識的な時間の感覚を逸してしまった人間は困る。


 その前に、一昨日のあのセリフはプロポーズではなかったのか。結婚を前提にせず「世界が終わるまで一緒にいてほしい」と言ったのか、あの男は。


 十九で時間を止めた男は、成長しないどころか退化するらしい。腕白な小学生男子と同程度の恋愛観しか持っていないと思われる。


「ちょっと黒、そういうのはこっそり渡さないと、赤の立場ないじゃん」

「この場合、少し抜けているくらいの方が、可愛げがあると判断して貰えるだろう?」


 一人照れ続ける赤槍を尻目に、周囲に聞こえる大きさの声で裏事情を相談し始めるSS(ダブル)の女性二人。


 それを見つめながら、これが何をゴールに見据えた告白だったのか判断できず、どう答えれば良いのかわからないといった様子で目を泳がせる幼馴染。


 この惨状、どうしてくれようか。

 久保田は咽せながらも、支部に報告すべきか、真剣に迷う。

 さすがに今日は銀剣ぎんつるぎ青鎚あおつちも来てはくれないだろう。

 

 迷った結果、久保田は豆乳ドーナツをもう一つ購入し、店先に置かれたベンチに腰を下ろした。

 SS(ダブル)達が決定的な何かをうっかり口にしない限りは、このまま祭りの余興として見物するのも悪くない。

 

 腰を据えた久保田の耳に、祭りの実行委員が流す放送が届く。

 協会支部が今日のために特別にダンジョン産のドラゴンの肉を無償提供したこと。そしてその肉を使ったバーベキューが今から振る舞われることを知らせる放送だ。


 商店街の至る所から歓声が上がる。

 だが、無償提供の理由が『仮面集団』からの慰謝料だとは、商店街の人々は想像もしないだろう。


 赤槍の周囲はまだ騒がしい。久保田はドーナツを豆腐屋店主から受け取りながらそれを眺め、知らず笑みを浮かべる。


 二人の微妙な関係を知って早八年。僅かながらも進展があった。大切な幼馴染の為、今はそれを喜ぼう。

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