第88話 三叉戟と六弦の使い手 13
5月31日。12:40――2210番ダンジョン支部一階、第二救護室。
少し前から壁の向こうから怒鳴り声が聞こえる。隣の第一救護室には屠殺天使がいるはずだけど、目を覚ましたのかも。
こっちで寝かされてる赤くんはずっと眠ったままなのに。
救護室に運び込んでくれたスケルトンは、すぐに受付のあるロビーの方に戻って行った。菜穂が言うには、【回復魔法】が使えるから怪我人の対応の為らしい。
その菜穂が他の職員の人に呼ばれて出て行く時に、私も一度一緒に救護室から出た。
氾濫現象なんて初めてだけど、人手は多いに越したことはないはず。
私も遅ればせながらゲートを潜り、規定通り二十階層に向かった。
びっくりしたのは、殆どモンスターがいないこと。
氾濫現象中は、モンスターが活性化しているって聞いていたのに。
それでも現れるモンスターはいつもよりかなり強くて一体にかける時間も普段の倍近くなった。
必死に走り続けて、気がついたら三十階層にいた商店街のおじさん達と合流していた。
氾濫現象発生からは1時間半以上経過。
腕は重いし、返り血でボロボロだし、息は切れるしで、終わりの見えない戦闘に心が折れそうになった時、収束宣言の【拡声】が聞こえた。
おじさん達は抱き合って喜んでたけど、私は座り込みたいのを堪えて急いで地上に戻った。
氾濫現象のせいで、あの二人の揉め事の扱いは保留になっているんだろうけど、収まってしまえばまた蒸し返されるはず。赤くんが協会に処分される前に私が弁解しなきゃ。
そう思って戻って来た救護室では、信じられないことにまだ赤くんは眠ったまま。
「……寝すぎでしょ、赤くん」
あどけない寝顔を見てたら気が抜けた。
ついでに、私の今の格好も気になる。薙刀には血脂。服にも返り血。ついでに汗びっしょり。
帰ってシャワー浴びて出直そうか。
そう思って腰を浮かせた途端。
「赤ちゃん、起きたー?」
赤くんのチームメイトとかいう、変な髪型の人が入って来た。名前は忘れた。
「あ、まだ……です」
「えー? うちの責任者がそろそろ怒鳴り込んで来るよー? 困るなぁ……」
赤くんのチームの代表の人まで来てるとは思わなかった。どうしよう。こんな汚れた格好で顔を合わせちゃ駄目でしょ、絶対に。
「どんな魔法開発したのかなー? 無効を物ともせずに掛けて来る魔法って何だろー?」
枕元まで近づいて、赤くんの頰を長い人差し指で何度か突く。
ツンツンされても赤くんは反応無し。これ本当に自然に目を覚ますのか心配になるんだけど。
それよりチームの人が来たなら、ここはお任せして私は着替えに帰っていいんじゃない?
「あ、あの……私、一度家に……」
「赤! この野良犬が! てめぇのせいであんなイカレ野郎に頭下げる羽目になったじゃねぇか!」
とても声の大きな男の人が、扉を壊すんじゃないかって勢いで入って来た。
思わず振り返ったら、見るからにヤバそうな人がいた。この人も赤くんの関係者?
「あ、銀ちゃん、お疲れー。屠殺天使許してくれた?」
「俺に喧嘩売って来やがった! 殺し合いしてくれとかほざいてたぞ!」
怒鳴りながらベッドに近づいて、そのまま赤くんの襟元を掴み上げた。
「俺が話してんのに聞いてねぇのか!? 起きろ!」
そのまま頰を思い切り殴った。拳で。
悲鳴が出そうになったけど、隣にいる赤くんのチームメイトの人が私の肩を軽く叩いて「あ、これいつもやってることだから大丈夫だよー」と囁いてくれたので、なんとか堪えた。
すると、それまでぴくりともしなかった赤くんの睫毛が少しだけ震える。
そしてゆっくりと切れ長の目が開かれた。
「……銀さん?」
寝惚け眼。軽く目を擦りながら、目の前の人に呼びかける。
赤くん、赤くん。この人、すごく怒ってるから。早く気づいて。
「てめぇのせいで日本中大騒ぎだ! 罰金一千万! 一ヶ月タダ働き! 一ヶ月間毎日ダンジョン潜れ! 槍は俺が預かる!」
一気に何か凄いこと言った。罰金って普通は十万円だったはず。聞いたことのない罰が色々並べられてた。
「……銀さん、今日、北海道じゃ……?」
「てめぇのせいで呼び出されたんだ! 黒が俺の代わりやってる! 見ろ! 青まで休み返上してんだぞ!」
まだぼんやりしたままの赤くんに、小柄な男の人がかなりの剣幕で畳み掛けてる。
「だいたい喧嘩すんのに道具持ち出す奴があるか!? 喧嘩っつったらステゴロだろうが! 拳でやり合え!」
しまいにはヤンキーみたいなことを言い出した。
「俺……? あ……! まどかさんのケーキ……!」
急に意識がはっきりしたみたい。思い切りベッドから身体を起こして、きょろきょろと何かを探し始めた。
うん、ケーキね。私もそれ、どこに置いて来たのか気になってた。
「銀さん、俺のケーキ知らないっすか……?」
目を潤ませながら、小柄な男の人を上目遣いで見つめてる。ちょっと可愛い。
「……おい、真っ先に聞くのがそれか?」
赤くん、部外者の私にもわかるよ。ここはまず謝るところだよ。
◇
5月31日。12:38――2588番ダンジョン支部長室。
「いないって何?」
「……いないものはいないんです」
仮面を外した金棍は支部長のデスクに腰を掛け、国見に詰め寄る。
「ゲートの記録と怪我人の身元照らし合わせれば済む話が、いないって何?」
「騒ぎが起こってから出て来たのは全部で五十六人。全員、近くの大学の学生です。平日の午前中はいつも学生しかいないんです。単独潜行者はいません、全員にアリバイがあるんです」
猫のような瞳に睨まれながら、国見はひるむことなく答える。
記録上、疑わしい人間は一人もいない。自信を持って言える。
「じゃあ、あれ何? モンスターだとか言うわけ?」
「貴女こそ、正体見なかったんですか? 何のための【看破】ですか」
国見も勿論知っている。SSが全員、【看破】を習得していることを。
「だって初めての対人戦なんだよ? あ、あんたもしかしてゲームの攻略方法調べてからプレイするタイプ? 答えわかっちゃったら楽しくないじゃん?」
「……あの状況をゲーム扱いしないで頂きたい。それと私はどんなゲームも自力で攻略します」
3102番の支部長から言われている。金棍には毅然とした態度で臨め、と。
内心、軽く怯えながらもはっきりと言い切ると、金棍はデスクから飛び降りた。
「時間の無駄じゃん。ダンジョンに戻るから、何かあったらまた【拡声】で呼んで」
出来ることなら、もう今日はこれ以上【拡声】を使うような問題など起こってほしくはない。
今日は協会設立以来初めて、全国で同時に七箇所で【拡声】が使われた日だ。
これだけでも十分過ぎるというのに、一つの支部で同日に二度も【拡声】を使うなど冗談ではない。
「……他のSSの方へは報告されたのですか?」
「皆、あの七箇所同時氾濫で手空いてないし。暇なはずの赤も出ないから、楠木にだけ連絡しといた」
国見は心の中でガッツポーズをした。
やったぞ、全国の皆。金棍は赤槍と屠殺天使のあれに気づかなかったぞ、と。
「それでは明日の朝、また」
「ん、じゃあね」
金棍が支部長室の扉を閉めるまで、国見は微動だにせず見送る。
そしてそこからきっちり五分が経過してから、インカムでゲート前を呼び出す。
「金棍は? 潜ったか? ……よし! 2588番支部より報告! 金棍はまだ気づいていない! ダンジョン潜行に戻った!」
国見は全国の支部へ向け、晴れ晴れとした笑顔でミッション完了を伝えた。




