第87話 三叉戟と六弦の使い手 12
5月31日。12:36――2210番ダンジョン支部一階、第一救護室。
屠殺天使の二つ名を持つ青年は目を覚ますなり、半身を一気に起こした。
そしてここが救護室だとすぐに気づき、ベッドの傍らに立つ男をちらりと見遣り声を掛ける。
「僕のトライデント、返して」
「………」
傍らに立っていたライダースジャケットを着た短髪の男は、どこからともなく三叉戟を取り出し、無言で差し出す。
その遣り取りを背後で見守っていた久保田菜穂は、額にじんわりと汗が滲むのを感じた。
どうして屠殺天使は、目の前のこの男が自分の武器を持っていると思ったのか。
後から録画映像を見せて貰い、赤槍の正体があっさり屠殺天使にバレたことを知った。
まさかとは思うが。
今目の前にいる男が誰なのかも、わかった上で話しかけているとでも言うのか。
減俸されるかもしれない、と久保田は思う。日本にSSが誕生し、十数年。これまで何故か知られることのなかったSSの素顔を見破られたのが、この支部の管轄する地区での騒動。
今年のボーナス、カットされるかもしれない。
屠殺天使は受け取った戟を矯めつ眇めつ眺めた後、その先端をいきなり傍らの男に突き付けた。
だが男は微動だにしない。いや、しなかったように見えた、久保田には。
鋭い三つ又の先端は男の眼前で止まっている。
久保田は知っている。屠殺天使は寸止めをしてくれるような人間ではない。突き刺すつもりで向けたはず。
ならばこの男が避けたか、或いは屠殺天使に無意識に止めさせたか、のいずれかだ。
久保田はうんざりする。どこかの熱血少年漫画のバトルならば、こういう時、百戦錬磨の猛者が解説してくれるのに。
自分の目では何が起こっているのか捉えきれない。
それどころか。
気性が荒い上に礼儀に煩いと聞くこの男に、いきなり刃物を向けるなど言語道断。今度はこの二人の間で戦闘勃発か。
頼むからもう勘弁してほしい。
あんたらが暴れたらビルが壊れる。
だが次に何が起こるのかと固唾を呑んでいた久保田の前で、短髪の男は予想外の動きをする。
戟の先端から一歩横にずれると、短髪の男は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、初対面の方に無礼を働いた身内に代わってお詫び申し上げます。ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした!」
この男がこんなに普通の言葉遣いで話すことがあるなど、久保田の知識には無い。
他人に頭を下げたという話も聞いたことがない。
噂と違う。常識人ではないか。久保田は少しだけ安堵した。
一方で、いきなり謝罪された屠殺天使はと言うと。
ぼんやりとした表情のまま、男を見上げて呟いた。
「悪いと思うなら僕と遊んでよ、銀剣」
思いっ切りバレてんじゃん。久保田は目眩がした。
ボーナスを当て込んで買った数々の品が脳裏をよぎる。支払い、どうしよう。
「最近みんな、僕と目も合わせてくれないんだ。ね、いいでしょ、殺し合いしようよ」
何言ってんだ、このイカレ天使。久保田は今すぐ罵りたい気持ちになった。
残念ながら、屠殺天使にそんな口を利く勇気はないので、実際はただ黙って成り行きを見守ることしかできない。
通り名を言い当てられた銀剣の方は、下げたままだった頭を思い切り振り上げ、鋭い視線を屠殺天使へと向けると鼻で笑う。
「殺し合い? 出来るわけがねぇ。その程度の実力で俺と勝負になるわけねぇだろ、クソ野郎」
素が出た。本当に気が短かった。噂通りだったことに久保田は言葉を失う。
これから何が起こるのか、もう絶望しか感じない。
「僕、レベル8,136。Sのトップだよ」
聞いたこともないような高レベル。衝撃的な数字に、久保田は両足から力が抜けるのを感じた。
「イキがるのはレベル10万超えてからにしろ! 人が頭下げてんのに喧嘩売ってくんな! 頭沸いてんのかてめぇは!」
銀剣のレベルは十万を超えているのか。久保田は思わず壁に手をつき、どうにか身体を支えることに成功する。
「10万になれば遊んでくれる? わかった。僕、職業探索者になる」
「……おまえ、今まで自分のこと何だと思ってやがったんだ」
銀剣は知らないらしい。
屠殺天使は自称ミュージシャン。彼は自らの本業を音楽の方だと捉えている。
音楽の数十倍以上の金銭をダンジョン探索で得ていながら、彼は自分のことを職業探索者だなどとは思ってもいないのだ。
「勝手にしろ」
「約束だよ、銀剣」
天使のような笑顔を浮かべているが、ずっと銀剣に突きつけたままの三叉戟をまず下げるべきだろう。
「……その呼び方やめろ。銀だ」
「わかった、銀」
「呼び捨てにすんじゃねぇ!」
何か言うたびに銀剣を怒らせる。屠殺天使と銀剣は相性が悪い。だが手を出さないだけ赤槍よりましなのかもしれない。久保田は早くこの場から離れたいと思う。
何故自分がこんな危険な状況に立ち会わねばならないのか、とも。
久保田が逃げ出したい気持ちになっていた時だった。救護室の扉の外から、控えめなノックが聞こえた。
「うちの主さん、おります?」
艶のある女性の声がした。
主さん。誰のことだかわからず対応に困る久保田の後ろ、まだベッドの上にいた屠殺天使が声を掛ける。
「胡蝶さん。僕、ここ」
その言葉を受け、そっと扉を開いたのは、色気しかない和服の女性。流し目、細首、唇ぽってり。口元にホクロまである。
普段ダンジョン付近ではほぼ見かけないタイプ。
何故かギターのソフトケースを背負っている。
胸でかいな、とまじまじと見つめる久保田に気づき、その女性はゆっくりと頭を下げる。
「主さんを引き取りに参りました。またどなたかに手傷を負わせましたでしょうか?」
よくよく見ると、背負っているのはギターではなく三味線だった。
「……おまえの眷属か」
銀剣は一目で正体を見抜いたらしい。
「胡蝶さんは僕の唄の師匠。そういう呼び方やめて」
屠殺天使の眷属は初めて見る。いるらしいという噂だけで、実際に伴ってダンジョンに入場したことがないためだ。
「……おい、なんで武術系のスキル持たせてねぇ」
「いらない。胡蝶さん戦わない」
それは眷属としての基本から間違えてはいないか。
久保田はもう空気になりたいと思った。
ゆっくりと二歩、後退する。
最初から二人の会話には一切参加ししていないが、もうこのまま部屋から出ても気づかれないのではないか、とも思う。
更に一歩下がり、扉に近づく。
「どこから連れて来やがった?」
「江戸時代。槍の道場の近くで歌ってた。良い声だったから弟子にしてもらった」
これはあれか、特定事象とやらで出会った師匠か。
部屋から出たいと思いつつ、気になるので会話には耳を傾ける。
「……槍の道場はどうした」
「僕、ギターと歌の修行の方がいいからこっちにした」
特定事象の趣旨と絶対違うだろ、それ。久保田は心の中で呟いた。
「……よくそれで連れて来れたな」
「胡蝶さん、鳥追いよりも路上ライブの方が楽しそうだ、って勝手に着いて来た」
鳥追い、というと、時代劇で時々見る、編笠に三味線の。家々を巡って門付けするあれか。女の隠密が諜報活動の時に変装するあの。
ただこの女性は隠密などではなく、本物の鳥追いのようだが。
だが屠殺天使とうまく付き合えるというだけで、十分に只者ではない。
「なんで歌唱系のバフばっかり覚えてんだ……?」
「胡蝶さん、声がいい。ダンジョンでも後ろで歌っててほしい」
ダンジョン内でBGМを欲する気持ちも理解できない。
「おまえ、連れて来た経緯ちゃんと協会に説明してねぇだろ……」
確かに、そんなイレギュラーの報告は聞いた覚えがない。
特定事象で例外的な何かが発生したという話は、昨年、協会中で噂になった紫紺の暗殺者のみだ。
支部長のところに駆け込むのに丁度いいネタが出来た、と久保田はほくそ笑む。
更にもう一歩。
後ろに回した久保田の手が、扉に触れる。
「支部長を呼んで来ますね!」
早口に叫び、久保田は一気に扉を開き廊下へ飛び出した。
インカムで呼べば済む、という事実に気づかれる前に早くここから離れなければ。




