第83話 三叉戟と六弦の使い手 8
5月31日。10:39――2210番ダンジョン支部三階。
銀剣によって昏倒させられた二人の姿を確認し、支部長が安堵の息を漏らしたその時。
会議室内に、突如鳴り響くサイレン。
日本のどこかで氾濫現象が発生したことを知らせる警告音だ。
「こんな時に……どこだ!?」
思わず舌打ちした支部長に、会議室にいた職員の一人が叫ぶ。
「コードレッド! 326番! 973番! 1647番! 1995番! 2451番! 2736番! 3058番!」
「七ヶ所同時だと……?」
ニ、三箇所同時程度はこれまでもあった。
だがこれは。
「SSの数が足りない……ダンジョン外戦闘になるぞ」
しかもSSが三人もこの町に集まっているこのタイミングで。
「久保田! 聞いてるか!」
支部長は、商店街で通話中のままの職員を呼ぶ。
「コードレッド七箇所だ! すぐにSSを向かわせろ! 1647番、1995番、2451番、2736番、3058番の五箇所だ!」
◇
5月31日。10:40――駄菓子のうたげや前。
支部長の怒鳴り声に、久保田は反射的に隣に立つ青鎚を見上げた。
「ん? どうかしたー?」
「青様、コードレッドです。それも同時に七箇所。人口密集度上位五箇所に向かってください。残りの二つは捨てざるを得ません」
SSの手が足りない事態。いつかはそんな日も来ると、全国の協会職員は覚悟していた。
その場合、優先対処地に選ばれなかった支部の職員の命の保障がないことも。
だが久保田の悲痛な表情を前にしていながら、青鎚の態度は何も変わらない。
「んー…ちょっと待ってねー」
結界を何の抵抗もなく抜け出して眼前までやって来ていた銀剣に目配せし、口を閉ざす。
既に問題の二人は久保田達の前の地面に降ろされている。
幼馴染は「赤くん! 大丈夫!?」と屈み込んでその肩を揺さぶるが、銀剣の魔法で深い眠りに落ちているのか、全く反応は無い。
こちらの会話も耳に入っていなかったようだ。不幸中の幸い、と久保田は思う。
隣の青鎚は無言。これは他のSS達と【念話】で通信中なのだろうか。
数十秒後、青鎚は笑顔で久保田を見下ろす。
「お待たせ。7箇所全部行ったよー」
「は? だって……」
まずここで一人寝ている。更に、焦る様子もなく佇むのが二人。
行った、とは。
「それ、ここの支部長に繋がってるんでしょ? 伝えてくれるー?」
「は、はい……?」
まったく理解できないまま、久保田はスマートフォンを耳元へ。
「まず、1647番は黒ちゃんね。326番と973番には黒ちゃんのとこの居候二人。1995番と2451番は銀ちゃんのとこの居候、2736番と3058番にはうちの居候が行ったよー」
青鎚は涼しい顔で一気に説明し、「ほら、これで七人でしょ?」と微笑む。
「また何かあったら困るから、金ちゃんはそのまま今いるダンジョンの中で待機ね。オレ達、今、全部で十五人いるからねー」
色々あってすっかり忘れていた。
長らくSSの【居室】に住み着いていた、過去の日本から時代を越えてやって来た『居候』の隠語で呼ばれる人々。
彼等もついに【転移】を覚えたことで、SSの【居室】から出て単独行動を始めていた。
彼等も既にSSとして数えられる存在になっていたことを、久保田は完全に失念していた。
それは久保田だけではない。おそらく支部長達も同じだろう。
「……支部長」
電話の向こうでは、一瞬絶句した後に咳払いをして気を取り直した支部長が、今の伝言をそのまま全国の支部へ通達し始めた。
久保田は今度こそ大きく息を吐いた。
やっと周囲を見回す余裕ができたことで気付いたが、いつのまにか青鎚は結界を解除していた。
中に取り残されていた千手アルテミスが、つまらなそうに頭を掻きながらこちらへ戻る。しかも。
「まったく。あんなに動いてくれる的なんて滅多にないってのに。出て来るのが早いんだよ、あんた」
何も悪いと思っていなそうな様子で銀剣に文句を付け始めた。
何言ってんだ、このばあさんは。
久保田は喉元まで上がって来たセリフをどうにか呑み込む。
『久保田、全員しょっぴいて来い』
「……了解です。同行を求めてみます」
SSとSを、たかだかランクB相当の自分が連行できるわけがない。穏便に、支部へご案内するのみだ。
だが久保田が何か言う前に、早くこの場を離れたいのか、銀剣は屠殺天使の首元を片手で掴み、支部ビルの方へ歩き出していた。それは猫の掴み方だろう、と思いながら銀剣の背中を眺める。
その姿を確認し、青鎚も赤槍を担ぎ上げる。
自分より身長のある男を軽々と担ぐ。人目があるので、そういう細かいところでも、普通の人間のふりをする程度の気を遣って欲しいものだが。
「まどかちゃんも一緒に来るー?」
思い出したように幼馴染にも声を掛けているが、職員以外の人間がいるとSSの事情聴取ができない。
久保田は素早く二人の間に割って入った。
「まどかはここで、皆に口止めしといて! 赤のために!」
出来ればあの戦闘を誰も撮影したりしていなければ良いのだが。
「わ……わかった」
赤のため、を強調したおかげか、幼馴染は素直にその場に留まってくれた。久保田は小走りで銀剣と青鎚を追った。
◇
5月31日。10:41――2210番ダンジョン前。
駄菓子屋から支部までは直線距離で僅か百五十メートル。
意識の無い人間二人を運ぶSSの後に続き、久保田も支部ビルへ向かう。しっかりと駄菓子屋店主の腕を掴んだまま。
ビルの横、ダンジョンゲート前に差し掛かった時だった。
突如鳴り響く、大音量のサイレン。
反射的に改札を見た久保田は目を見開いた。
「嘘でしょ……ここ、赤槍の根拠地……」
日本には五箇所だけ、絶対に氾濫現象が起こらないとされるダンジョンがある。
そのダンジョンを根拠地とし、月に一度の頻度で、余人には到底不可能な深層へと潜行する探索者がいるからだ。
2210番は、SSの一人、赤槍が毎月深層へと挑む、絶対に氾濫現象が発生しないはずのダンジョン。
そのはずが。
久保田の目に映るのは、赤色灯を点滅させる改札。
同じく、ゲート前当番の職員も呆然と改札を眺めている。
「ねー、そこの人。早く中に【拡声】で警告出してー」
相変わらず何を目にしても動じる様子のない青鎚が、のんびりとした口調のままゲート前の職員に声を掛ける。
「は、はい!」
我に返った職員が改札に飛び込むと同時に、久保田も支部長に電話をかける。
今は自分が知らせた方が早い。
同じように青鎚もスマートフォンをどこからともなく取り出し、赤槍を担いだまま電話を掛け始める。
「あ、楠木ー? 変なことが起きてるよー。赤ちゃんの地元が氾濫してるー」
◇
5月31日。10:41――2588番ダンジョンゲート前。
遠い遠いどこかの町で起こったSSの喧嘩も収まったらしい。
更に、その最中に起こった七箇所同時氾濫現象も、どうにか全てのダンジョンにSSを派遣できたようだ。
氾濫現象発生により、一度ゲート前に姿を見せた金棍も、無言のまま【念話】を終えた後は再び中へと戻って行った。
ここは平和だな、と思いながら当番職員の町田は小さく伸びをした。
暇だなあ。そんな感想を抱いて欠伸を噛み殺す。
2588番ダンジョンは基本的に午前中は探索者が少ない。
ゲートの前を通る人間もほぼいない。
低空を飛ぶ鳥の鳴き声と羽ばたきしか聞こえない、平穏な日常。
今日もいつもと同じ、そんな長閑な世界が拡がっていた。
背後の転送装置から人が転がり出るまでは。




