第82話 三叉戟と六弦の使い手 7
5月31日。10:37――駄菓子のうたげや前。
現在、日本中の全支部長が参加するオンライン会議は、全ての協会職員に公開されていた。
一部の、SSが潜行中の支部内では、職員全員が連携する必要があった為。
日本探索者協会の全職員が勤務中に装着するインカムは、今年に入って全ての支部に支給された物で、原理は不明だが、距離を無視して全支部間で相互に通信も可能。
改札や探索者証と同じく、スキルで作られた物なのだろう。
そんな中、騒動の渦中にいる久保田だけは、手元のスマートフォンで情報を得ていた。
出勤前だったためだ。便利なインカムは更衣室のロッカーの中だ。
「はあ? 屠殺天使が何言ったか? 聞こえませんよ、そんなの。結界の中の音なんて爆発音か、武器が打ち合う音しか聞き取れません」
会議室の支部長から直接、妙に切羽詰まった様子で尋ねられた意味不明な問いかけに、若干の苛立ちを滲ませて答えると、電話の向こうからは大き過ぎる溜息と「首、繋がった」の呟きが返って来た。
そんなことより、現在進行形で繰り広げられている怪獣大戦争をどう処理するかを考えて貰いたい。
結界の中では現在も、三つ巴の常識外の戦闘が続いているのだから。
赤槍と屠殺天使が高速で打ち合いを続けており、既に久保田の目には何がなんだかわからない状態だ。
「スピードとパワーは赤ちゃんの方が上なんだけど、屠殺天使はテクニックでカバーしてるねー。キャリアの差かなー、やっぱり」
呑気に感想を語る青鎚のお陰で辛うじて状況を推測できる程度だ。
「オレ達より三年も長く探索者やってる人は違うねー」
あの童顔、いつから探索者やってるんだ。いくら【不老】持ちだとしても限度がある。今はそんなことを気にしている場合ではないため、久保田は何も言わずに戦況を見守る。
打ち合う二人だけでない。戦場には、文字通り、雨あられのように矢が降り注いでいる。
「坊やたち、よそ見してると風穴開くよ!」
実に楽しげに、結界のもっとも端から千手アルテミスが矢を次々に放つからだ。
「ばあさんやるな! 途中で軌道が変わるの、何のスキルなんだ?」
「ばあさんは弓のスキルなんて取ってないだろう? あれはばあさんの素の技だ」
結界のお陰で自分達に被害が及ばないと気づいた商店街の面々は、完全にリラックスし観戦に入っている。
「赤くんのチームの人だって? あんたのお陰で店が壊れずに済みそうで本当に助かるよ」
しまいには、結界を回り込んで青鎚に気安く話しかける始末。
「しっかし、赤くん、強かったんだなあ。屠殺天使と互角の勝負に持ち込めるなんて立派だよ」
逆だ、逆。
屠殺天使が赤槍の速さにどうにか対応できているのだ。久保田は複雑な表情を浮かべる。
それにしても、と久保田は思う。
いったい赤槍はいつのまに商店街の人々とここまで馴染んでいたのか。誰もが親しみを込めて『赤くん』と呼ぶ。
あんなとっつきにくい顔付きなのに。月に一度しか帰って来ないのに。
結界内では目にも止まらぬ早さで何かが起こっている。
千手アルテミスから放たれる途方もない数の矢を避けながら、槍と戟を打ち合わせる。そんな真似が普通に出来る。こいつら、軽く人間辞めてるな、と久保田は思う。
何十回を数えたかわからない剣戟と、空気を切り裂く弓矢の響き。
結界の向こうの音は微かに届くのみ。
時々、結界に水やら炎やらがぶつかるのは、魔法も織り交ぜているせいか。
気が済むまでやらせればいい、と青鎚は言ったが、いつまでも現場を封鎖するわけにはいかないだろう。
そんな時、支部長から再び着信。
今度は何だ。通話ボタンを押すと。
『銀剣がそっちに向かった! 止められなくてすまん! 無理かもしれんがフォローしろ!』
それが援軍に対する言い草か。
久保田はもう一度、支部長の言葉を口の中で反芻する。
ゆっくり考えても、やはり迷惑な何かがやって来るという予告にしか聞こえない。
漏れ聞こえる銀剣の噂について思い出してみても、何が問題なのかわからない。
だが。
現に今、隣に佇むだけの青鎚を見ていると。
世間の評価に何の意味もないことは明らか。
きっと、何か厄介なものがここに来る。
◇
5月31日。10:38――駄菓子のうたげや前。
菜穂が電話で何かを話している間も、私は青みがかった半透明のドームの中から目が離せない。
一秒間に二回のペースで聞こえる金属音。刃と刃がぶつかる音が途切れることなく、もう何分間も続いている。
ロングコートを翻し、時々戦場を空中に移しながら、赤くんの真っ赤な槍が男の子の三叉の戟とぶつかる。
硬い表情。あんまり見ない赤くんの真剣な表情が男らしくて格好いい。
二人揃って空に浮いた時は、どっちもSなんだなあ、なんて思ったけど、落ち着いて考えたら、こんなところでSがこんなことをして大丈夫なのかと心配になる。
赤くんが処罰されたらどうしよう。
幸い、周りにいるのは近所の人達だけだし、探索者協会に知られなければどうにかなる、かもしれない。
みんなをどう口止めするか考えていた時だった。
空から隕石のような何かが、ドームの中央にいる二人の真上から降って来た。
違う。
人間だった。
結界の中、上空にいつのまにか入り込んで垂直に落ちて来た、人だった。
落ちる速度は異常だったのに、音もなく静かに両足で着地。
白いスタンドカラーのシャツ。装飾多め。
ボタンの多い紺色のジレ。ジレの左肩からは同じような紺の、手首近くまでの長さのあるペリースが揺れている。
両耳には大きな石のついたピアスが一つずつ、キラキラと光に反射している。
両手を左右に拡げ、二人の間に立った。
指先を揃え、掌は外に向けられている。
その掌がそっと抑えているのは、槍と戟の先端。
目の部分だけ穴の空いた白い仮面。
仮面?
「……SS?」
こんな所に突然SSが降って来る。意味がわからない。
混乱しているのは揉めていた二人も同じだったらしく、困惑したように赤くんの眉が下がる。
あ、子犬みたいな顔になった。
現れた仮面の人は、ゆっくり両の掌を返し上に向けた。
同時に、掌からシャボン玉のような物がたくさん出て、二人を包む。
次の瞬間には、二人の瞼が同時に閉ざされ、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
倒れる、と思ったけど、そんな二人の腕を仮面の人が同時に掴んで支えた。
男の子と同じくらいの身長しかないのに、あの大きな赤くんを片手で支えてこっちに向かって来る。
◇
5月31日。10:39――駄菓子のうたげや前。
本当に来た。しかもよくわからない演出で。
久保田は開いた口が塞がらない状態になった。
わざわざ、赤槍の真上に【転移】。それも何十メートルも上の、結界で覆われた空の限界ポイントに。
そこからご丁寧に加速して降って来た。
普通に赤槍の目の前に出る、という方法もあったと思うが。
素顔ではなく仮面姿で来る理由もわからない。
ただ立っているだけで絵になる立ち姿に、思わず見惚れそうになる。
武器の止め方も何か芝居がかっているし、その後の魔法も無駄に幻想的。
しかもSSは確か【状態異常無効】のスキルを持っているはずなのに、何故魔法一発で意識を刈り取れる。
何だ、これ。
ツッコミどころの多い一連の流れのはずなのに、動作がいちいち洗練されているせいで何の不自然さもない。
故に、言葉が出ない。
人間二人を片手で軽々と持ち、なぜかこちらへ向かって歩いて来る。
いや、多分、青鎚がいるからだろうが。
人間だけじゃない。
二人の槍と戟もだ。一度地面に落ちたそれも一緒に運んでいる。
しかも手で持っていない。空中にふよふよ浮かんで、銀剣の後ろから着いて来ている。
今の今まで自分はただ支部に現場実況をするだけの存在だったが、こちらに来られたら、完全に巻き込まれる。
これ、きっと、銀剣の素顔まで拝む羽目になる流れだ。
久保田は、職員として知る銀剣の風貌を思い出す。
確か、アホみたいにピアスがいっぱいついていて、時代錯誤の革の服を着た目付きの悪い小男だったか。
そんな形の男の中身が普通の青年のはずはないから、覚悟だけはしておこう。
これで無事全てが片付いたと、久保田が肩の力を抜いた瞬間だった。
手元のスマートフォンから、繋がったままの支部長の叫びが漏れ聞こえたのは。




