第78話 三叉戟と六弦の使い手 3
5月31日。10:07――加賀美洋菓子店。
店を開けたばかりなのに、もうお客さんが来た。赤くんだ。
菜穂の言うとおり、本当に今日来た。菜穂の方が赤くんのことに詳しいのが、なんだか悔しい。
「こんにちは、まどかさん」
いつも通り、季節感のまるでないロングコート姿。
そして超絶エロい声を出して来る。良い、すごく良い。
「いらっしゃい、赤くん! エクレア用意してあるよ!」
うちのお祖父ちゃんが店に立っていた頃から変わらないレシピで作るエクレアが、どういう訳か赤くんのお気に入り。
「エクレアとショートケーキと……あ、新作っすか、これ」
目ざとく、先週から販売を始めた新しいチーズケーキに気づいてくれる。なんだか今年はこれが流行りそうな気がして、作ってみたんだよね。
このやりとり、実はもう十三年も繰り返してるんだけど、赤くんの見た目が全然変わらないから、そんなに時間が経ったなんて実感が全然ない。
赤くんって、本当は幾つなんだろう。
十三年前から二十代後半って感じだったから、今は四十前後ってことになると思うんだけど。とてもそうは見えない。
やっぱり【不老】持ってるのかな。
ショーケースに目を奪われている赤くんをこっそり観察。
あ、でも少しだけ変わったかな。顔じゃなくて体つきが。
初めて会った時と比べると少しずつシルエットが変わったような気もする。何ていうか、筋肉質になった。
一年中ロングコートを羽織ってるから分かりにくいんだけど。
赤くんは真夏でもロングコートを着て現れる。最初の夏は驚いたけど、さすがにもう見慣れた。
体温調節できるスキルでも持っているんだろうって思うことにした。
「あ、そうだ、赤くん」
「なんすか?」
忘れないうちに昨夜の話を教えてあげる。
「でね、可愛い顔してるのに、カッコいい声で上手いんだよ、その子」
黙って聞いていた赤くんが、最後にぽつりと小さく口の中で何か呟いた。
「…………屠殺天使」
「ん? 何か言った?」
聞き取れないほどの小声。多分、独り言。
「なんでもないっす。……まどかさん、そいつのこと気に入ってるんすね」
「うん。声がいいんだよね、顔も可愛いし」
「そうっすか……」
こころなしか、赤くんの表情が暗い。音楽の話、つまんなかったかな。
「それより、赤くん。今度の土曜日お祭りなんだけど、良かったら一緒に行かない?」
急に明後日の予定を空けるのは無理かもしれない。でも彼女がいるかどうかなんて話は、店の中で問い詰めるようなものではないだろうし。
赤くんは困ったように眉を下げ、苦笑しながら大きな手で私の両手をそっと包む。
「少しだけなら。あんまり長い時間はいられないっすけど」
やったよ、菜穂。赤くんとダンジョンの外でもデートだよ。
赤くんはすぐに手を離し、今日のケーキを選び始める。
いつものように十個。
「ありがとうごさいました!」
箱を渡し、表まで赤くんを見送りに出た時、ちょうど店の前を通り掛かった人と目が合った。
◇
5月31日。10:28――2657番ダンジョン協会支部一階。
受付カウンターに立つ職員は、頬を紅潮させながら端末を操作し、目の前の人物の入場手続きを終えた。
SSを見るのは初めてだ。しかも、素顔。噂で聞いていた容貌は誇張表現ではなかった。
「明日の八時から二十四時間の潜行、予約完了しました」
そのまま踵を返す相手に深々と頭を下げた時、背後の別の職員が装着したインカムから何かを聞きつけ叫んだ。
「お待ち下さい! 緊急事態です!」
◇
5月31日。10:21――駄菓子のうたげや。
「ばあちゃん、当たり出た」
購入した菓子の封をその場で切り、口に放り込んだ青年が、年代物のレジスターの前に座る店主を振り返る。
本日のシフトが遅番の久保田菜穂は、出勤前の暇潰しに訪れていた店で、商品棚を見るふりをして息を殺していた。
見間違いでなければ、先客はアレだ。たまにしかこの商店街に近寄らないはずのランクS。
嘘でしょ、と久保田は冷や汗をかく。
すぐに目を逸らして背中を向けたため、ちらりとしか見ていないが、まず間違いない。
どうしてここに屠殺天使がいる。
よりにもよって、なぜ今日。
何年もの間、偶然にも赤槍が戻る日に屠殺天使がこの近くに現れることは無かった。だから久保田は安心していた。
赤槍が屠殺天使を一方的に敵対視している、という噂が近隣の協会職員の間に広まったのは数年前。
元はと言えば、自分のちょっとした勘違いが原因だ。
屠殺天使は何も悪くない。勝手に恋敵認定されたことすら、当人は知らないだろう。
だが数年越しの今日、赤槍と同じタイミングで同じ場所に屠殺天使がいる。
まずい、と久保田は思う。
子供のようなところのある赤槍と、自制心の欠片もない屠殺天使が出会ったら。
SSとSが喧嘩した場合、どうなるのだろう。
当然、勝つのはSSの方だ。それは疑う余地もない。
問題は、決着が簡単につくのかどうかだ。
赤槍が秒殺するならば被害は最小限、屠殺天使が大怪我をするだけで済む。
だがもし、屠殺天使がそこそこ抵抗できた場合。
周囲にどんな被害が及ぶのか。
考えたくもない。
今すぐ支部に駆け込んで、支部長経由で他のSSを呼び寄せて貰いたい。
だが、久保田は今、動くことができない。
屠殺天使はイカレている。機嫌の悪い日は、目が合っただけで殴りかかって来るような男だ。
そして喜怒哀楽の表現方法が異様に乏しいせいで、屠殺天使の機嫌は容易に窺い知ることが出来ない。
本日、荒ぶる天使様のご機嫌はいかほどか。
下手に振り返って目が合ったら死ぬ。
久保田は緊張しながら、背後の会話に聞き耳を立てる。
「亨ちゃんは相変わらず運が良いね、ほら、もう一個持って行きな」
「ありがとう」
待て、澄江おばあちゃん。なんで屠殺天使を名前で呼んでいる。どういう付き合いだ。
「ばあちゃん。そこの楽器屋、何時に開くの?」
新たに受け取った菓子もすぐに口に放り込む。
「カドタ楽器かい? 十一時だよ」
「そう。カフェかファストフード、近くにある?」
「喫茶店なら八時から開いてるよ。出て右、ケーキ屋の隣」
いや、おばあちゃん、そこは駄目だ。
加賀美洋菓子店の前を歩かせるのは絶対にまずい。
多分もう、赤槍がそこにいる。
「行ってみる」
真後ろを屠殺天使が通る。久保田は息を止め、通り過ぎるのを待った。
そして、店から青年が出たのを確認し、すぐにその後を追う。
そっと洋菓子店の方を伺うと。
何故だ。
何故今、幼馴染が外に出ている。
更に。幼馴染に促され、続けて店から姿を見せる長身。
幼馴染の目が、今まさに店の前に差し掛かった青年の姿を捉えた。
悪気の一切無い笑顔で、隣に立つ長身の男の袖を引く。
「あ、赤くん! この子だよ、歌が物凄く上手いの!」
万事休す。
久保田菜穂は駄菓子屋の扉の陰に身を潜ませながらも、洋菓子店の前から目を離さず、素早く協会支部の電話番号を呼び出す。
迷いはしなかった。
最悪の事態を想定するのならば、これは氾濫現象に匹敵する。
SSを呼ばなければならない。




