第77話 三叉戟と六弦の使い手 2
5月30日。19:31――加賀美洋菓子店。
明日の準備に時間が掛かったせいで、ダンジョンに行くのが完全に遅れた。お父さんは私に全部任せて、ウォーハンマーを担いで先に店から出てる。
もう今夜は潜るの諦めようかな。
明日には赤くんが来るらしいから、エクレアも多めに作っておいた方がいいかもしれないし。
そんなことを考えながら、店内に流していた有線を止めた途端。外の音が店の中にも聞こえて来た。
水曜の夜に時々来て、二軒先の文房具店のシャッターの前で歌い出す男の子の歌声だ。
もう十年以上いるから、男の子って歳じゃないかもしれないけど。
錆のある格好いい声と、商店街に響き渡る声量に釣られて見に行ったことがある。
まさかの童顔の可愛い子だった。
あんな可愛い顔から、大昔のボクシングアニメの主題歌みたいな声が出る。そのギャップに面食らって、ギターケースに一万円をそっと入れたんだよね。
良い声だけど、赤くんの声の方が凄い。
赤くんの声は、小学生の頃に宝石店のテレビCMで聴いた男性ボーカリストの、地を這うようなセクシーな歌声に似ていて、思い出すだけで顔がにやける。
今日の歌は昔のバラード。時々聞こえるこの歌を私は知らなかったから、歌詞で検索したら聞いたこともないバンドのアルバム収録曲だった。なんと私が六歳の時に発売された曲。
チョイスがマニアック過ぎる。
虹と別れをテーマにした歌詞をあの男の子が切なそうに歌うところは非常に良い。
思わず手を止めて聞き入る。
と、突然、ギターの音が途切れた。
男の子も歌うのを中断している。何で?
気になってそっと表の扉を開けて顔を出すと、男の子のコアなファン数人の前に立つ、柄の悪い男三人。
信じられないことに、男の子の胸倉を掴んでいる。
この商店街にも昔懐かしいヤンキー少年達は健在だけど、あの子達はファッションヤンキー。毎朝登校時間に学校に行き、きっちり授業も全部受けて掃除までして帰る。
こんな時間に他人に絡むような、如何にもな三人組は見たことがない。
この町の住人ではなさそうだけど。
「ガラガラ声でうるせぇんだよ! ご近所迷惑だろうが!」
その煽り文句、私がまず反論したい。
ハスキーボイスのエロティシズムについて、このマナーの悪いクソガキ共に延々語りたい。
腹が立ったので、店から出てそいつらに近づく。お姉さんが一発説教をかましてやる。
「……汚い手で触るな。邪魔するな。口臭い。あと、僕の声けなすな」
やば。
喋り方エロい。赤くんの次くらいに良い。
想像より良い話し声に足が止まる。
「……手、離せ。ブタ野郎」
そう言うと同時に、相手の男の顔面を殴りつけた。
手にしていたギターで。
それほど力を込めていたようには見えなかったのに、絡んでいた男は思い切り横に飛んだ。軽く見積もっても二十メートル。三軒先の店の前まで。
ギターはバラバラに砕けている。
ミュージシャンって、楽器で人殴るものだっけ。
「……一昨日買ったばっかりだったのに。どうしてくれるの、これ」
自分でやっておきながら、ギターだった残骸のヘッド部分を、残りの二人に突きつける。
この子、ちょっと変。
「邪魔だから帰って」
言いながら、残ったヘッドを目の前の一人の顔に押し付けた。
無機物の砕ける音が顔から聞こえる。
軽く押し付けただけに見えるのに、男は真後ろに飛び、向かいの店のシャッターにめり込む。
力強過ぎ、この子。
「帰って」
残された一人の顔を素手で掴むと、自分より大きな身体が宙に浮く。
そのまま無造作に横に放り投げると、これもまた二十メートルくらい飛ぶ。
三人が動かなくなったところで、それまで黙って見ていただけのギャラリー達が一斉に話し始める。
「亨くん、今日もギター壊しちゃったよ……」
「これが亨くんのライブの名物だから」
どこのパンクバンドの過激なライブよ、それ。
「あ、この三人、探索者証付けてる! 協会に通報しなきゃ! 外で暴れた探索者って、潜行禁止三ヶ月だっけ?」
気絶した三人の様子を見に近づいたギャラリーが手首の探索者証に気づいて、協会に連絡をしている。
探索者を簡単に制圧できるって、この子も探索者かな。
騒ぎに気づいた向かいの楽器屋のおじさんが外に出て来て、凹んだシャッターを前に絶句。
それを見た男の子は、おじさんに近づくと、無言で小切手帳を取り出す。
「これで直して」
小切手帳持ち歩くストリートミュージシャンって、初めて見た。
慣れた様子に、普段から行く先々で何かを弁償してる感じがする。
書かれた金額に目を見張ったおじさんだったけど、納得したように小切手をポケットに入れ、男の子の肩を笑顔で叩くと店へ戻って行った。
いくらって書いてあったのかな、あれ。
開いたギターケースと譜面台の前に戻った男の子は、何も無い空間から新しいギターを一本取り出した。
すご、【収納】持ちじゃん。
そして何事も無かったかのように、また歌い出す。
お客さんもこれが普通なのか、また静かに周りを囲んで聴き始めた。
私も今更店に戻るのもなんなので、ギャラリー達の一番後ろに移動。
あ、財布持って来てない。どうしよう。
三曲目のサビに入ったところで、協会の制服を着た人と一緒におまわりさんが到着。
まだ伸びている三人を叩き起こして連行して行った。この男の子がお咎め無しの理由がよくわからないけど、これで騒動は決着らしい。
でも本当に、近くで聴くと良い声。明日赤くんにも教えてあげようかな。
◇
5月30日。21:09――2210番ダンジョン支部一階。
商店街で喧嘩、との通報で出かけて行った職員が疲労を隠せない様子で戻って来る。
「どうしたんです、疲れた顔して。そんなにランクの高い連中だったんですか?」
警察と連携する都合上、今は制服姿だが、彼の通常業務は作業着での清掃だ。並の探索者であれば四、五人程度は簡単に相手取れる。
「喧嘩じゃなかった。屠殺天使が暴れたんだ……」
「うわ、あの人、今夜うちの管轄エリアにいるんですか」
受付の前で立ち止まり、深い溜息をつくランクAの職員の言葉に、受付カウンター内の職員が顔をしかめた。
「ってことは……警察のお世話になってるの、相手の方だけですか」
「目撃者の証言だと、屠殺天使に絡んで行って一発でのされたらしいから、まあ自業自得なんだけどな……」
世間には一切公表していないが、ランクSには、多少ダンジョン外で暴れてもお咎め無しという特権が与えられている。
処罰を与えている暇があるならダンジョン攻略を進めて貰った方が良い、という効率重視の考えによるものだ。
そもそもランクSともなると、普通の警察官では取り押さえられないという厄介な問題もある。
だが、その特権を享受しているのは、実は日本国内では屠殺天使ただ一人のみ。
よって今回も、ランクAの職員は屠殺天使とは目を合わせないようにしながら、のびている三人だけを連れてその場を立ち去ったわけだが。
「あの人、なんで路上ライブしかやらないんでしょうね。どっかのライブハウスで演奏してくれればもっと平和なのに」
「知らないのか? 屠殺天使は、半径百キロ圏内の全部の小屋で出禁になってる」
初めて聞く話に、受付の職員は目を丸くする。屠殺天使の行動範囲にライブハウスは何軒あっただろう。
「……何やったんですか、あの人」
「知らん。しかもあいつ、『生の音じゃないと僕の魂は伝わらない、ロックじゃない』とか言って、絶対に人前での生演奏しかしないからな。だから問題ばっかり起こす」
屠殺天使がやって来る。それは必ず乱闘騒ぎが起きるという意味だ。
前回この支部の管轄地域に現れた時は、ランクBの探索者十名を病院送りにし、支部内の備品三十二点を破壊した。
早く帰ってほしい、と受付の職員は願う。
「夜勤と交代するまであと二時間、何も起こらないといいな」
受付の職員の肩を軽く叩き、ランクAの職員は作業着に着替えるため、奥の職員用更衣室へ足を向けた。




