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第76話 三叉戟と六弦の使い手 1

 5月30日。12:15――ラーメン蒼蘭。


「ねえ、菜穂。あかくんてさ、もしかして、スキル【不老】を取ってるんじゃないかな?」


 幼馴染の口から、今更過ぎる質問が飛び出した。

 久保田菜穂は啜っていたラーメンを吹き出しそうになり、ぎりぎりのところで堪えたが「んがふぉっ」と妙な声は出た。


「ちょっ……大丈夫!?」


 慌てて向かい側の席から立ち上がった幼馴染が背中を擦ってくれる。


「……大丈夫」


 三十を越えた女二人のランチタイム。もっと小洒落たカフェでランチプレートを食べたいところだが、残念ながらこの小路町通り商店街にそんな店は無い。

 定食屋に洋食屋、寿司屋にラーメン屋に蕎麦屋、町中華と喫茶店。昭和の時代から生き残った飲食店にオシャレさを求めても無駄。


 洋菓子店の定休日と、久保田の休日が一致したこの日、幼馴染に誘われるまま、子供の頃から通うラーメン屋に連れ立って入店。


 店長がおまけで通常より三枚多く入れてくれたチャーシューメンを食べ始めるなり、幼馴染から出たセリフがこれだ。


 テーブルに備え付けの紙ナプキンを一枚取り、咳払いをしつつ久保田は考える。


 さて、どう答えたものか。

 協会職員の久保田には、当然ながら秘守義務がある。

 特に、SS(ダブル)に関する話の殆どは国家機密扱いだ。

 だからといって、「国家機密だから言えない」などと馬鹿丸出しの説明をするわけにもいかない。


 どう答えるか以前に。

 まずこちらから聞きたいことが山程発生している。


 赤槍せきそうがこの商店街を根拠地にして早十数年。これだけの年月、顔が変わらない男のことを、一体幼馴染は何だと思っていたのか。


 それよりも。

 問題はいつまでも煮え切らない赤槍の態度の方だ。


 ダンジョンと【居室】の往復で時間の感覚が麻痺しているのかもしれないが、初デートからもう八年。幼馴染はもう三十三歳。

 いい大人の男女が、手を繋いだことしかないなど、さすがにおかしいだろう。


「あのさあ、まどか。赤のこと、何か変だと思ったことないの?」


 明らかに普通ではない側面が見え隠れしているはず。

 たとえば本名。たとえば現住所。


 幼馴染は箸を片手に少し考え、真剣な顔で久保田を見つめる。


「菜穂。やっぱり、赤くんて……彼女いる?」

「………」


 斜め上から降って来た違う種類の質問に、久保田も箸を置く。

 ラーメンが伸びるが已むを得ない。


「いるわけないでしょ」


 赤槍の好きな物。それはスイーツとダンジョンだ。

 そこに何割か幼馴染も含まれるかもしれないが、おおよそ小学生男子並みの嗜好の持ち主の赤槍に、まともな交際をする女性などいるはずもない。


「だって、前にお父さん達が慰安旅行に行った時に、赤くんが女の人といるの見たって……」

 

 見間違いだ。あり得ない。


「……どんな女?」

「色っぽい大人の女性と、ボーイッシュな感じの女の子だったって」

「二人もいたら絶対違うでしょ!」


 その二人なら、久保田も見覚えがある。あれは長らく赤槍の【居室】に住んでいた『居候』だ。


 だがそれを言うのは憚られる。何年も女と同居していた、と誤解される恐れがある。

 実際のところ、赤槍の【居室】には、むさ苦しい筋肉眷属達も住み着いているので三人きりではなかったのだが、それも言えない。

 スケルトンの大集団を眷属化しているのはSS(ダブル)だけだからだ。


 気になるのなら、本人に直接聞けばいい。それを皮切りに、何かが始まるかもしれない。


「赤に聞くのが一番早いと思うけど? 明日、来るでしょ」


 月初めの金曜は赤槍が根拠地ダンジョンに潜行する日。明日の木曜には、この街に戻って来るだろう。


「……なんで菜穂が赤くんのスケジュール知ってるの。ずるい」


 いい加減、気づけ。赤槍は毎月、決まった日にしか来ない。

 久保田は心の中で呟き、再び目の前のラーメンに集中する。

 あんたらのベタなラブコメより、今はラーメンの方が重要だ。


 ――日本中の探索者協会支部を震撼させる大事件勃発まで、残り二十二時間十五分。


     ◇


 5月30日。14:55――焼き鳥ごうき。


 小路町通り商店街の隣町。住宅街の片隅にある焼き鳥屋では、臨時で入ったアルバイトの青年が串打ちを続けていた。


 年の頃は二十歳前後。癖のある栗色の長めの髪は、今は作業の邪魔にならぬよう後ろで括られている。憂いを帯びた瞳が艶っぽく、それとは対照的な丸顔が幼さを演出しており、やや中性的でありながらもどこか倒錯的な印象を見る人に与える。


 平日の仕込みにしては多い、と思いながら、慣れた手付きで次々と鳥串を完成させて行く。


「助かるよーとおるちゃん。うちのバカ息子、一週間も入院だって言うんだから困ったもんだよ」

「これくらいの手伝いならいつでも言って、おじさん」


 話しながらも手は止めない。

 学生の頃から時々バイトをさせて貰っている、勝手知ってる隣の家だ。串打ちはこの店の息子より慣れている。


大毅だいきのケガって、ダンジョン?」

 

 二階の自室でベッドに転がり、漫画を読んでいたところに「亨ちゃん助けてくれ!」と叫びながら飛び込んで来られた為、青年は、そもそもこの家の息子がなぜ入院したのかを聞きそびれていた。


「あのバカ、ランクDになったからって、いきなり制限階層限界の四十階層に一人で行こうとしたんだよ」

「いきなり一人でそこまで行けたんだったら十分凄い」

「違う違う。行こうとしただけ。実際は三十一階層に着くなりモンスターに一撃でやられて、階段を這って逃げ帰ったんだ」

「へえ……」


 あまり興味が無いためか、青年から気の利いたコメントが出ることはない。


「亨ちゃんは、今夜はいつものところかい?」

「そのつもり。聴きに来る?」


 初めて顔を上げ、青年は店主の方を見る。勿論、手は止めない。

 手元を見ることなく、串に肉とネギを刺し続ける。


「おじちゃんは店があるからなあ。たまに月曜日にもやってくれると行けるんだけどねえ。……亨ちゃん、見ながらじゃないと危ないよ?」

「考えておく。あと、見なくてもだいたいわかる」


 青年は再び手元に視線を戻し、次の串を掴む。

 油で滑る指先に構わず、鳥肉の的確な位置に手早く串を打ち込んで行く。


「しっかし、亨ちゃんはイケメンで歌も上手いのにねえ。もったいないねえ」

「………」


 この町の駅前を始め、自分が行ける範囲で歌えそうな開けた場所は殆ど巡った。

 人はそれなりに集まる。まず声量で人を集め、顔で人を引き留める。ギターケースの中には、悪くない金額の現金が入れられる。

 だがそれ止まり。副業のせいで特定の範囲から出られなくなった。


「本当に天使みたいに可愛いのにねぇ」

「……天使って呼ぶのやめて」

「ああごめんごめん! 亨ちゃん、嫌いだったよね、二つ名で呼ばれるの」


 ストリートミュージシャンの青年の副業は、ダンジョン探索者。

 ランクは(シングル)

 このエリアで最も有名な、屠殺天使の二つ名を持つ男。

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