第64話 紫紺の暗殺者 14
遠くに火の手。闇夜を照らしている。
深夜、微かに鼻腔を刺激したのは煙の匂い。
まだ左肩と脇腹の問題はあったが、すぐに起き上がれる程度には回復している。
ゆっくりと小屋から外へ。周囲に人の気配は無い。念の為【索敵】と【気配察知】全開。
誰にも見られていないことを確認し、草鞋を脱いで【収納】に入れ、【浮遊】で垂直に上昇。
周囲の木々の高さを越えたところで停止。
遠くの空が赤く染まって見えた。
「……山火事?」
と思ったのは一瞬。
僅かながら油のような匂いも嗅ぎ取れた。【五感強化】で嗅覚を上げる。放火だ。
何も無い山奥で夜中に火を点ける人間。
現代人的な感覚で言うと普通じゃないが、ここは乱世。
これが日常なのか、この時代においても異常事態なのか、すぐに判断できない。
ただ一つわかることがあるとすれば、異様なスピードで木々の枝を飛び移りながら進む人影が、次第にこちらへ近づいているということ。
気配は希薄。後ろを気にしながらジグザグに。
さすがに数日一緒にいたのでわかる。師匠だ。
師匠が気にする背後。もたつきながら山道を走る男達が数名。甲冑だろうか、ガチャガチャうるさい。
深夜に山奥に現れる武装した集団。それを撒こうと一人急ぐ、山に住む少年。放火。
忍びの隠れ里が奇襲を受けてる?
急いで【遠見】と【暗視】で師匠を確認すると、頬に裂傷。
他に怪我はなさそうで、少しだけほっとする。
多分これ、俺を助けに向かってるんだろうな。本当は自力でどこへでも行けるのに、いつまでも動けないふりをしていることへの罪悪感が湧く。
よくよく見れば、師匠を追うグループは一つじゃない。
全部で三つ。師匠の姿は見えていないのに比較的正確にこちらへ進んでいる。
違うな。きっと他にも、四方八方に追手を向けていて、その中に偶然当たりを引いた奴らがいただけなんだろう。
幸い師匠は奴らの位置を把握しているらしく、上手く避けて移動している。
おそらく師匠は、俺を背負って逃げるつもりだろう。
怪我人のふりはここまでだ。ここではぐれると二度と師匠に会えない可能性があるので、同行させてはもらうが。
師匠がここに辿り着いたら、普通に自分の足で歩こう。
俺は急いで【回復魔法】を使い、足の傷を一気に癒やす。
最悪飛べばいいんだが、人間じゃないと思われそうなのでそれは避けたい。
師匠は猿よりも早く木から木へ飛び移っている。あれについて行けるかというと。
出来る。
伊達に紫紺の暗殺者なんて恥ずかしい呼ばれ方をしているわけじゃない。【加速】と【跳躍】、【身体強化】の合わせ技で行ける。
なので、同じように木々を移動すれば速やかに安全な位置まで離れられる。
スキルも無しにあんな速さで動けるって、やっぱり忍者はすごい。
そんな呑気な感想を抱いている間に、師匠はもうすぐそこまで来ていた。
やばい。
慌てて【浮遊】を解除し、自然落下。【飛行】を使って飛び降りるほどの高さではないから。そんな真似をしたらまず間違いなく地面に激突する。
着地。足の裏に土のざらついた感触。
空中で脱げて落とす恐れがあったから草鞋は【収納】に入れたままだった。
裸足で外にいるのはさすがにあれか。
草鞋を取り出し履いたと同時、目の前の樹木から飛び降りて来る師匠。枝は揺れていないし、音も無い。
これ、どう反応しようか。【暗視】で見えているが、物音も気配も無しに闇夜に近づく人間の存在に、すぐに気づくのは普通じゃない。俺はとりあえず、師匠が何か声を掛けてくれるまで極力そちらを見ないように努める。
「紫根、俺だ」
小声。
一拍置いて、びくりと驚いたふり。かなりわざとらしかった自覚はある。
だが師匠はそんな些事に構っている余裕は無いらしい。
「逃げるぞ」
案の定、俺を背負おうとしたので、俺は頭を振って断る。
「紫根、意地を張っている場合ではない!」
人よりも治りが早い、という到底納得できそうにない説明も、実際に俺が普通に歩いて見せることで押し通す。
平常心を失っているのか、師匠は何とも言えない表情で頷き、俺の手を掴む。
手を引いてくれるつもりらしいが。いや、【暗視】があるので暗闇も一人で歩ける。
「大丈夫、見えるから」
「……そ、そうか」
内心、何かがおかしいと思ってはいるんだろうが、非常事態なのでそのまま俺を先導し歩き出す。
木の上の移動でも大丈夫、というのをごく自然に伝えるには、どう切り出せば良いんだろうか。
さすがにそれは師匠も怪しむ気がする。
一刻も早くここから離れることを優先するのならば、伝えるのが正解なんだが。
とんでもない偶然が働いているらしく、追手のうちの一組が正確にこちらに向かっているのを、俺の【索敵】が知覚する。
このまま小屋に辿り着き、中を捜索してくれれば多少時間稼ぎにはなるだろうが。
「那智。どこに向かってるんだ?」
追手には聞こえないだろうが、念の為小声で尋ねてみた。
「万が一に備えて、あらかじめ定めてある」
つまり、緊急時の集合場所があるらしい。
「何があったか聞いても?」
振り返ることなく突き進む師匠は、全く足音を立てない。しばらく黙って歩き続けていたが、ぽつりと一言だけ答えた。
「……奇襲だ」




